そして、始まる

北原 亜稀人

#1



 ターミナル駅すぐそばのビジネスホテルの室内はすべてが必要最小限に組み立てられている。ベッドと、壁掛けのテレビ。大人が使うには少し小さすぎるテーブル。Wi-FiのIDとパスやホテルの細かい説明を見るためのQ Rコードが、点けっぱなしになっているテレビの画面に表示されている。リモコン操作で消すことができるらしいが特にその必要性がなかったからそのままだ。

 深夜二時半を回った窓の向こうはいくつかの高層ビルが宵闇の中にのっぺりと建っていて、その足元には無数の光を明滅させている電車の車両基地が見える。地上十二階の部屋からは細かなことは分からないが、きっと、時間帯に関係なく多くの人が蠢いているのだろう。現代社会において昼夜は漫然とつながり、いつでもどこかで誰かが動き、世界を維持しているということなのだと思う。僕がこうして真夜中に街を見下ろしていることもまたそうなのだろうか……多分違う。僕はほとんどすべてから切り離され、その結果としてここにいる。一般的に言えば思い詰めていたし、簡単に言えば疲れ果てていた。

 点けたままのテレビ以外と消されたLED蛍光灯。そして僕。サブスクリプションの音楽サービスでショパンのピアノソナタ第2番変ロ短調「葬送」を繰り返し再生し続けて、もうすぐ二時間半になる。一般的に見れば奇妙な行為かもしれない。けれど、僕にとっては必要な行為であったし、予定通りの行動でもあった。今よりももう少しだけ音楽と親しく付き合っていた頃の僕にとって大切な曲の一つだった。だから今日は一晩、昔から大切だったこの曲を聴こうと決めていたのだ。それは多分、僕自身の修復のために。ここ最近の僕は想定以上に多くを失い過ぎていた。一度立ち止まり、治療をする必要があったのだ。僕と、僕の仲間たちのために、僕にはいくつか取り戻さなければいけないものがあった。その準備行為として。

 繰り返し、何度も同じ旋律の中を僕は蠢いている。350mlのビールが二缶空いた。完全に少数派になった昔ながらのたばこが七本、灰になった。八本目。最近では日本中のほとんど全員が顔を顰めるようになったたばこの煙、匂いが室内に充満していく。リピート再生。再び、旋律が部屋に広がる。葬列がやってくる。

 葬列が世界を端から灰色に塗り替え、近づいてくる。灰色の濃淡で飲み表現される空の中に葬送列の足音は吸い込まれる。それだけではない。音という音、空気、静けさまでもが飲み込まれて、その、壊れ物のような世界の中に、淡々とした響きと深く濃い情感の同居する、すべての感情の死を願うようなピアノの旋律が定められた回数、定められた強さで奏でられる。それはまるで唯一許された存在であるかのように。あるいは、世界のすべてをその一身に引き受けているかのように。付近にいる誰もが抗うことを許されない。ただ近づいてくる葬送の列をじっと見つめ、その場に立ち尽くすより他ない。嘆きと悲しみ、そしてほんの僅かの解放感を詰めた棺と、それを不規則な形に取り巻く葬列が定められた場所に到着し、立ち止まる。そこに居合わせた人々はその意思がどうであろうとその光景の一部として切り取られるよりほかないのだ。空は未だ灰色のままだ。張り詰めた空気。深く、暗い世界。今にも雨が降り出しそうだった。



 十年前、今現在よりはもう少しだけ健全で、それなりに希望を持っていた僕はまだ大学二年生で、その日、言うなれば“はじまった”日、僕は河川敷に向けて原付を走らせた。当時住んでいたアパートからおおよそ二十分。季節は夏の終わりで、午前四時過ぎ。少しずつ街が明るくなり始める時間帯。県境になっている川に向かう幹線道路は日中混み合うが、この時間帯は三個、四個先の信号を発進するトラックの、ため息のようなエンジン音が聞こえてくるほどに静かだ。

夜が終わり、朝の始まる時間。終わりの時間。または、始まりの時間。衝動的に夜明けが見たくなった。なぜだろう。アクセルを吹かしながら、その理由を考えていた。衝動。間違いではないが正解ではない。理由と呼べるような理屈めいたものなんかそもそも無かったのかもしれない。少なくとも当時の僕にはそれを誰かに説明する必要がなかったし、十年が経過した今の僕には、もはや上手く説明できそうもなかった。加齢は人を色々な物事に対して慎重にさせるし、僕は子供の頃から今でも変わらず、ある種の不確かさを嫌悪する癖があった。自分に対しても他人に対してもあまり寛容ではない、というのは僕を紹介する上では伝えておくべき特徴と言えるかもしれない。そんなややこしい性格の僕が学生時代の得体の知れない衝動について今の僕が許容できるような表現方法で言語化することなんか不可能だ。

 夜明け前だからと言っても涼しいということはなく、不快な熱風が街中を支配していた。暑い1日になりそうな朝で、ゴミ収集車が、今にも息絶えそうなため息まじりに走っていた。僕の原付(ジョーカー50、という癖のあるバイクだった)はその左斜め後ろを追従していた。夜明け前の時間は警察もそれなりに暇をしている時間帯だから原付の速度超過のようなつまらない違反は検挙の格好の的なのだ。以前に二段階右折をせずに検挙された時に担当した警官から教わったことだった。

 目的地の河川敷まで、あと二キロと少し。僕の位置からは後方、少し離れた場所から大型の貨物車のブレーキ音。夜明けの空を切り裂くような音は僕を呼び止めていたかのようだった。ここで注釈を少し入れておくが、当時の僕は別段何かを失った訳でもなければ、手にした訳でもなかった。何処かに行かなければならない訳でも帰ってきた訳でもなかった。重大な事件は発生していない。(おそらく向こうしばらくは発生しない)大学に入学してから3回目の長い休みを文字通り好き勝手に謳歌していた。では、僕は何を終わらせ、何を始めようとしていたのだろう。自問する。僕は、何を終わらせようとしていた? そして、自答する。「違う、始めようとしたんだ」

 

 原付を停め、土手上に上がった彼の眼前、河川敷に広がっていたのは、とても平凡で平穏な夜明け前の光景だった。空の色は僅かに変化を始めているが、まだ陽光は感じられない。遠い世界から夜明けが少しずつこちらへ近づいてきている。空気は両端を強く引いた糸のような緊張感を漂わせている。動くな、と誰かが指示を出しているかのようだった。足元の、あまり整備されているとは言えない草むらからは大量の夏の夜の気配が、息を殺してその時を待つ群衆の吐息のように一つの薄暗い塊を形成している。まだ、何も始まらない。幕は上がらない。周囲の緊張感を、静寂を、始まりと終わりの気配を絵にしたかのような川面とその上を横切る私鉄の鉄橋が影となり、あたりを沈黙で満たし、夜明け前の河川敷、この小さな世界を完成させていた。

 草むらの中で余計なものを踏み抜かないように、慎重に斜面を下った。百メートルほども先に行けば慎重になる必要もない階段があることは彼にも当然わかっていたけれど、それよりも気持ちが逸った。少しでも早く前進したかった。怪物のような鉄橋の下、それから、川の水面のすぐ近く。夜は着実に終わりつつある。朝が、勢いよく近づいてくる。始まりと、終わり。その時は近い。

 斜面の中ほどに、一部分だけあきらかに人為的に掘り返したような痕跡があった。夜の明けきらない薄暗い中でも分かる。その部分だけ草が横倒しになり、土が不自然に盛り上がっていた。誰かが、ここに何かを埋めたのだ。僕はその横を、出来るだけその「領域」に踏み込まないように注意を払いながら通過した。誰かがそこに何かを埋めた。隠したいから。あるいは、安らかであらんことを願うから。いずれにしても、理由を知らない自分がそこに関わるべきではない。そう思った。

 土手の斜面を降り切ると鉄橋の下に向かった。スプレー缶の落書きと、さまざまな行為で刻まれた無数の傷。ホームレスの住処らしいブルーシート。何枚かのシートを組み合わせて外からは中が見えないように巧みに作り上げられている。周辺に誰かがいるような気配はなかったから、空き缶回収にでも出掛けているのかもしれなかった。何をどうして、どうなってしまった結果としてブルーシートの中に暮らすことになるのだろう。当時の僕はそれを上手く想像することができなかった。

 朝が近づいてきていた。夜は少しずつ、確実に周囲の支配権を明け渡しつつあった。川向こうにあるいくつかのタワーマンションのその向こう側、空が少しずつ色を帯び始めていた。鉄橋の反対側の駅から電車の到来を告げるアナウンスが漏れ聞こえてきた。もうすぐ始発の登り電車が鉄橋を通りすぎていく。街が目を覚まし始める。いつもと変わらない、いつもの朝。ある誰かにとってはそうではないかもしれない。十年に一度の、あるいは一生に一度の非常に大きな意味を持つ朝を迎えている人もどこかにはいるだろう。だが、どうであるとしてもそれは僕には関係のないことだ。そもそも世界はそうして出来ている。どこかで誰かがそれぞれに無関係に蠢いて、立ち止まって、関係しあって、敵対しあって、双方の利害が一致する範囲で妥協して、昨日から今日へ、今日から明日へと。

 僕はここにいる。

 不意にそう思った。

 始発電車が警笛を鳴らし、鉄橋を進んでいく。電車に乗り、どこかへと運ばれていく全ての人へ。あるいは、電車の運転者、車掌へ。駅員へ。ゴミ収集車両へ。どこかへと外出中のホームレスへ向けて、再度宣言をする。

 僕は、ここにいる。

 だから、何だと言うのだろう。そこに答えなどない。それで何かが変わるようなことはあり得ない。それでも竹下は自分自身の内側から立ち上る感情を吹き飛ばすように、繰り返し、繰り返し自分の存在を主張した。夜が終わり、朝がやってきたいつも通りの世界。彼自身を中心として、その足元から全方位へ広がっていくこの世界で、竹下は繰り返す。此処と世界のあり方と、自分自身とそれ以外について。持つ者と、持たざる者。自由と不自由。その総量と割り当てについて。世界は歪に、不公平に、極めて不当な形に歪んでいて、自分はその歪みの中腹で、自由であるかのようなふりをして、本質的な物事について気がつかないふりをしている。目の前にある時間と、通り過ぎてきた時間。遠い世界の嘆き、悲しみと、ここにしかない何らか。自分に出来ることと、どうしようもないこと。今、僕に何が出来るのだろう。夜の終わり、朝の始まり、繰り返しそう思った。

 始発電車は通り過ぎ、その残響も空気中に消えた。いつも通りの朝? 違う。そんなことはない。少なくとも竹下にとっては。昨日までと今日からはこの朝に分たれた。これまでと、これから。


 こうして、始まった。



 午前五時を過ぎ、少しずつ扉の向こう、廊下が騒がしくなっていく。スーツケースを押すような音が聞こえる。扉の閉まる音が聞こえる。非常識な笑い声が聞こえる。時折、全てが死に絶えたような静寂が戻ってくる。すぐにそれは破られる。その片隅に僕がいる。ここはどこだろう。ホテルのベッド、清潔な、けれど使い古されたシーツの匂いを鼻腔に感じながら僕はそんなことを思い、目を閉じた。そういえば、ー起こさないでくださいーの札はかけただろうか。記憶がなかった。

 少しだけ眠り、それからまた歩き出す。その時には多分、もう少しだけ僕の現状とこれまで、これからを説明できる気がする。依然として繰り返し再生され続けている葬送行進曲の旋律の中で、僕は遠ざかる葬列の旋律を浮かべながら数を数える。一回、二回、三回。遠く、鐘が鳴らされている。呼ばれているのだろうか。立ち止まっていた葬送の列が再び歩みを始める。舞台中央から上手の方へ向け、淡々と、本来あるべき挙動を再開すると、それに伴って世界は色を取り戻していく。淡々とした響きと深く濃い情感の同居する、すべての感情の再生を願うようなピアノの旋律が鮮やかに、しなやかに奏でられる。人々の上、これからの世界には真新しい青空が広がっていく。鳥が二羽、東の空から西へ向け飛翔していく。風が残酷なほどに優しく人々を撫でていく。群衆は一人、また一人と本来あるべき場所へと戻っていく。そして、僕もまた。

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そして、始まる 北原 亜稀人 @kitaharakito_neyers

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