第二百十五話 水影と火傷


 弐混にこん神社へ逃げ延びた私は、御影石の長椅子に座り、彼女を望洋と見つめていた。風鈴祭りの為に、花手水を飾ったのは美峰みねなのだ。青ノ巫女姫である彼女が柄杓で打ち水を振るえば、水影の舞になる。千早の瑠璃袖と水飛沫が、青嵐を硝子の聖獣のさざめきに変えていく。


 瑠璃牡丹と銀の短冊の花簪を見ると、やっぱり美峰には青が似合うと思った。弓形に切り揃えられた前髪から短眉が可憐に晒され、真っ直ぐな黒髪は肩へ添う。空から瑠璃蛺蝶ルリタテハチョウのような色彩を、棗型の瞳に映す。清き空色を吸い込み、白雲を星芒にするよう。ブラックスターサファイアの鏡面の虹彩で、私を優しく捉えた。


「心、此処に非ずって感じだね。さっき、紅音達から聞いたよ。尾白くんとケンカしちゃったんだって? 女子会ついでに祭りに誘おうと電話したら、千里ちゃんの泣き声が聞こえてきて、昨日の夜はびっくりしたよ」 


「ケンカというか……私が逃げ出しちゃったの」

  

 妖の慾と八苦に、智太郎が堕ちていくのは私のせいなのに。四分の三スリー・クォーターの妖としてでも、生きていて欲しいと願ってしまった代償だ。だけど……かつての炎陽えんよう珠翠しゅすいを喰らったように、ツガイを喰らう破滅的な快楽には応えられない。身を捧げたって、真の救いにならないのは明白だ。


「智太郎の血の拒絶を解く為に、どうすればいいのか答えが出なくて。えさとして智太郎を救えない私じゃ、味方になれないのかな」 


「尾白くんの為に悩んでる時点で、味方だと思うけどな。尾白くんをよく知る、千里ちゃんだからこそ出来ることがあるはずだよ。親友第一号からのアドバイスを信じてみて! 」


 頷いた私へ、美峰が溌剌に笑った向こう……浴衣を着た紅音あかね翠音みおを連れて、綾人あやとが騒いでいた。茅の輪くぐりに挑戦し、行軍で8の字に廻っているのだ。ぼんやりと彼らを見つめていると、手にした若芽色のスマホが通知音に振動する。黎映りえいからの返信だ。

  

『残念ですが、お祭りには行けません。隠世を長く空けるわけにもいきませんから』

 

 智太郎と黒曜の元へ、案内してくれたお礼を返すと。再びスマホが鳴り始めた。だけど、今度は黎映じゃない。


 ―― 智太郎からの着信だ。


 無事である事に安堵したのに、戦慄した私は❪応答❫を押せなくなる。私の魂を【魅了】で引き裂こうとした緋色の瞳を思い出すと、重い呼吸が酷く苦しいのだ。爛々と瞬かない瞳孔に射抜かれ、血濡れた牙に震えた身体が私のものじゃないみたいで。私を雛鳥みたいに守り続けてくれて、少年らしく溌剌に笑った智太郎を知っているのに……。


「あの鬼畜クンを無視!? 千里もやるね~~!! 」


 真っ直ぐな黒髪の少年は駆け寄ると、屈んでスマホを勝手に覗き込んだ! 前髪を右分けにした綾人は、ミディアムヘアの毛先がハネている。そう言えば……恐れ知らずにも智太郎を嘲笑う、愛すべき道化がここに居た。彼が二本角を顕現しない今は、切れ長の紺碧こんぺきの瞳が、藍宝石アウイナイトの如き蛍光ネオンに輝く事は無い。洗練された獣のような長身痩躯に、藍染の甚平を纏っている。青ノ君である綾人は、祭りの主催者側なのにハッチャケてるな。透明感のある上品な容貌に相反し、悪戯にシッシと笑う綾人にギョッとしていると。


「このバカ綾人っ、空気を読みなさい!! まだ着信音は鳴っているのよ!! 」


 出しゃばり者は、愛する美峰クイーンに柄杓でポコッと殴られた。


「アイタッ……くないです♡」

 

 鍛錬されたドMに、ちょっと引く。先頭の綾人が誘ったクセに、茅の輪くぐりの行軍を中断され、猫孔雀の双子が不満そうに睨んでいた。紅の長髪をイライラと払い、紅音は翡翠ジェダイトの猫目で、何故か私を射抜く!


「全く……どいつもこいつも仕方ないわね! 貸しなさい! 」

 

 あっという間も無く、鳴り続けるスマホを紅音に奪われた! 画面の向こうの智太郎の代わりに、彼女は虚空を睨む。

 

「千里の親友 兼 アンタの伯母として告げてやるわ。アンタ、最低よ。慾に駆られてツガイに【魅了】で牙を剥くなんて、自分の恋路を破壊してんのよ。馬に蹴られて……は時代遅れだから、痛車に撥ねられて死になさい。千里を返して欲しくば、飢えくらい気合いで乗り越えてみせることね」


 腰に手を当てたまま通話を切る姿が、爽快にカッコイイな。おぉ……と歓声が上がるのも頷ける……って!!


「智太郎の言い分も聞かずに、切ったら駄目!! 」


 スマホを俊敏に奪い返した私に、紅音はニヤリと牙を見せた。


「何よ。散々、ぼんやりとした振りで逃げ回ってたクセに。やっぱり、まだ好きなんじゃないの」


 冷や汗混じりに、ハッとする。紅音は、私の想いを試したのか。


「通話を切る時に文句の怒声が聞こえてきたから、そうそう智太郎はくたばらないわよ。貴方は、時間を治癒薬にする為に逃げなさい。貴方という甘味をぶら下げないと、追いかける智太郎が自分との戦いに勝てないでしょう? 」


「……経験値高めの紅音が言うと、一理あるかも」


 どさくさに紛れ、後ろから私にしなだれかかってくるのは、妖しく笑う翠音しかいない。琥珀色の髪で頬を擽られ、翡翠ネフライトの猫目が艶やかに底光りした気がする。


「大丈夫です。智太郎がくたばっても、私が貴方を終生飼ってさしあげますから」


「そのBad Endはヤダ!」

 

「大丈夫、あの鬼畜は何度でも蘇るさ……って、あぁ!? そういやコレ返すわ、千里。マジ、ありがとうございました! 」


 突然叫んだ綾人がお辞儀にて差し出したのは、風呂敷に包まれたナニカ。あぁ……女装用に勝手に借りられてた、星屑ラメ煌めく紫黒色しこくしょくの着物か。


「クリーニング完了です! それから『着物作った時の記念品の端切れが、何故か袖の中に縫われてあった』って店の人が言ってたから、解いてもらって入れといた! 」


 端切れとは、正絹である証や織物工業組合の朱印が押された絹布けんぷの事だろう。切り離された、洋服のブランドタグみたいなものだ。未仕立てで裏地が無い状態の仮絵羽でもないのに、何故本体にくっついていたのか。

 

「ふぅん……? 後で見とくね」


 ともあれ、翔星とうさまからの貴重な誕プレが返ってきてくれて嬉しい。ニマニマと抱き締めると、もう一つの返却物に気づく。


「あ、コレは綾人にあげるよ。また使うでしょう、『綾人の姉』の綾女あやめまことが寂しがってたよ」 

 

 私がニヤリと差し出したのは、保護ネットに包まれた月白げっぱく弾く黒の長髪ウィッグ。綾人は上半身ごとドン引いた! 微妙に引き攣った顏が、青ざめていく。


「ななな……まだ覚えてたんかいっ!! ヤバい、超絶ピンチだったのか俺!? 」 


「アレレ? その『浮気っぽいの』は片付いたって、美峰わたしは聞いてたんだけどな……ねぇ、綾人? 」


 微笑む美峰から恐ろしい冷気を浴び、綾人はクソマジメに紺碧の眼力を整えた。私へ狙いを定め、渾身の土下座をする!!


「今生のお願いです。誠の初恋を綺麗に解いて、擬似三角関係から俺の命を救って下さい!! 神様、千里様っ!! 」


「え、やだよ。誠を弄んだ、綾人の自業自得でしょ? 私に何のメリットがあるの」


「千里、俺に対して辛辣すぎじゃね!? 最近、誠から妹みたいに可愛がられてるんだろ!? 仏心をください、どうか、どうかぁっ……!!」


 子犬のような涙目で足元に縋りつかれると、何気にセクハラだし迷惑なんだけどな……。しかし、誠の心が変に折れると、弟の黎映に悪影響がいく。私とえさの契約を交わし、命を支えてくれている黎映に。ドミノ倒し式に、私へ災害が襲い来るかも。

  

「仕方ないな……方法は考えてあげるから、とりあえず離して? 美峰が激おこだよ」

 

「今すぐ、ウザ絡みセクハラ行為をやめなさいっ!」


 美峰の柄杓・第二発目が、綾人の頭部を打つ。パァンッ!!と謎の破裂音が響き、青ざめた私と美峰は綾人を凝視した。瞬く阿呆だけど、無事な頭は割れてない!!


上手いわね、らん! 」


「元妖狩人ですからっ、紅音サン! 本業っス! 」

 

 私と双子を弐混神社まで送ってくれたドライバーは、しれっと祭りに参加していた。ふわふわアザラシを抱き締めた紅音へ、兎川うかわ らんは猫口でふふっと笑う。双子達に景品をせがまれていたらしい。


わたしは本能に従い、虐めがいがありそうなサカバンバスピスで」


「円な瞳の古代魚とはマニアックっすね……翠音サン。了解です! 」


 栗梅色のポニーテールを揺らし、煉は長銃を構える。赤縁眼鏡の奥の瞳で狙いを定めていた。

 

「あのひと……少し前まで宮本家に組みしていたんだよね? 千里ちゃん」

 

「う、うん。今は黒曜の配下だけど」


 煉を捉えた美峰の視線が冷たいのは、気の所為じゃない。弐混神社に仇なす宮本家の手勢かと疑うのは、当然の事なんだろうけど。玉砂利を捌く美峰の足音がやけに耳に残り、私と綾人は慌てて後を追った。


「煉さん……でしたっけ。貴方にお聞きしたいことがあります」 


「ん、なんスか~~美峰サン? アタシの推しロボは、1/35 猩々鏡匣 黒翅式 Type-03っスよ! 」


「何を言ってるのか分かりませんが……私が聞きたいのは、貴方の忠心の在処です」


「おい……美峰」


「綾人は黙ってて」

 

 美峰に睨まれ、ため息を吐いた綾人は黙ってしまう。異様な空気に双子は退き、煉は顔を上げた。視線を交わせば、美峰の頬が怒気に好調していく。


「千里ちゃんが居るから、滞在を許していますが……正直、私は貴方を信用出来ません。当たり前じゃないですか? 弐混神社わたしたちを急襲し、殺してでも【異能】を強奪した一族に従っていたなんて。先々代の青ノ君に直接手を掛けたのは、宮本みやもと 都峨路つがろの父親だそうですが。都峨路本人が【異能】宿る心臓を喰らったかどうかは定かでなくとも、人鬼の子は人鬼。彼が腐り堕ちた本性を露わにし、めいを下せば……貴方はすぐに鴉を裏切るんじゃないですか? 」


 氷点下へと張り詰めた間に、猛火の玉兎が麻呂眉を顰めた。

  

「妖に堕ちた我が身でも、命を救ってくれた鴉のダンナには真摯に仕えてるんですがね。宮本家から鴉のダンナへ跳び跳ねたアタシはともかく、都峨路さんを侮辱するのはお門違いってもんですよ。老若男女問わずに妖狩人衆を情で抱える、あの人の性根は腐っちゃいない」


 煉が赤縁眼鏡を上げれば、鮮血の水中花を縦に編む三白眼が、異様にかがやく! 鱗鉄鉱レピドクロサイトの双眸から頬への照射に、目の下を焼け付く刃で一閃したような跡が顕現する! 双陽の下から放射線状に広がるは、引き攣れて白く発光する火傷跡だ。

 

 煉が銃口を翻し――照準を覗く刹那に爆轟――! 黒い髪筋は、円く撃ち抜かれた! 掠めた灼熱に、美峰は棗眼を見開く!

 

 火風は、向かい合わせの射的屋台へ過ぎていた。灼熱の弾痕で、巨大な景品の箱がくうから墜ちる。硝煙が去れば……煉の掌中でかがやく白の兎耳が透けて見えたのは、気の所為か。鉄黒のピンヒールスニーカーを鳴らし、顎をツンと上げた煉は赫き白焔を解いた。猫口で微笑むのに、水影の彼女を長い睫毛で見下す。

  

「アタシにも許せないものがあるんで。妖力に命軽々と、一瞬キレちゃいました。貴方からの詫び賃として、プラモセットは頂いていきます」


 美峰は片眉を引き攣らせたが、謝罪を口にする事は無い。

 

「好きに受け取って下さい。ただの景品なので」


 激浪の二人に、信じていた安寧が崩落した。呆然と立ち尽くしていた私は、踵を返す美峰に手を引かれる。

 

「……千里ちゃんに、見せたいものがあるの。私に着いてきてくれるよね? 」


 いつも美峰が私に向けるのは、穏やかな微笑みだったのに。髪先にすら覇気纏う今は、黒鏡の虹彩を水光が貫く。風鈴の群れが、割れんばかりに鳴いている。残された彼らが異様にざわつく背後に、私は瞳孔を迷わせたが……頷くしかなかった。


  

  

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