第二百十五話 水影と火傷
瑠璃牡丹と銀の短冊の花簪を見ると、やっぱり美峰には青が似合うと思った。弓形に切り揃えられた前髪から短眉が可憐に晒され、真っ直ぐな黒髪は肩へ添う。空から
「心、此処に非ずって感じだね。さっき、紅音達から聞いたよ。尾白くんとケンカしちゃったんだって? 女子会ついでに祭りに誘おうと電話したら、千里ちゃんの泣き声が聞こえてきて、昨日の夜はびっくりしたよ」
「ケンカというか……私が逃げ出しちゃったの」
妖の慾と八苦に、智太郎が堕ちていくのは私のせいなのに。
「智太郎の血の拒絶を解く為に、どうすればいいのか答えが出なくて。
「尾白くんの為に悩んでる時点で、味方だと思うけどな。尾白くんをよく知る、千里ちゃんだからこそ出来ることがあるはずだよ。親友第一号からのアドバイスを信じてみて! 」
頷いた私へ、美峰が溌剌に笑った向こう……浴衣を着た
『残念ですが、お祭りには行けません。隠世を長く空けるわけにもいきませんから』
智太郎と黒曜の元へ、案内してくれたお礼を返すと。再びスマホが鳴り始めた。だけど、今度は黎映じゃない。
―― 智太郎からの着信だ。
無事である事に安堵したのに、戦慄した私は❪応答❫を押せなくなる。私の魂を【魅了】で引き裂こうとした緋色の瞳を思い出すと、重い呼吸が酷く苦しいのだ。爛々と瞬かない瞳孔に射抜かれ、血濡れた牙に震えた身体が私のものじゃないみたいで。私を雛鳥みたいに守り続けてくれて、少年らしく溌剌に笑った智太郎を知っているのに……。
「あの鬼畜クンを無視!? 千里もやるね~~!! 」
真っ直ぐな黒髪の少年は駆け寄ると、屈んでスマホを勝手に覗き込んだ! 前髪を右分けにした綾人は、ミディアムヘアの毛先がハネている。そう言えば……恐れ知らずにも智太郎を嘲笑う、愛すべき道化がここに居た。彼が二本角を顕現しない今は、切れ長の
「このバカ綾人っ、空気を読みなさい!! まだ着信音は鳴っているのよ!! 」
出しゃばり者は、愛する
「アイタッ……くないです♡」
鍛錬されたドMに、ちょっと引く。先頭の綾人が誘ったクセに、茅の輪くぐりの行軍を中断され、猫孔雀の双子が不満そうに睨んでいた。紅の長髪をイライラと払い、紅音は
「全く……どいつもこいつも仕方ないわね! 貸しなさい! 」
あっという間も無く、鳴り続けるスマホを紅音に奪われた! 画面の向こうの智太郎の代わりに、彼女は虚空を睨む。
「千里の親友 兼 アンタの伯母として告げてやるわ。アンタ、最低よ。慾に駆られて
腰に手を当てたまま通話を切る姿が、爽快にカッコイイな。おぉ……と歓声が上がるのも頷ける……って!!
「智太郎の言い分も聞かずに、切ったら駄目!! 」
スマホを俊敏に奪い返した私に、紅音はニヤリと牙を見せた。
「何よ。散々、ぼんやりとした振りで逃げ回ってたクセに。やっぱり、まだ好きなんじゃないの」
冷や汗混じりに、ハッとする。紅音は、私の想いを試したのか。
「通話を切る時に文句の怒声が聞こえてきたから、そうそう智太郎はくたばらないわよ。貴方は、時間を治癒薬にする為に逃げなさい。貴方という甘味をぶら下げないと、追いかける智太郎が自分との戦いに勝てないでしょう? 」
「……経験値高めの紅音が言うと、一理あるかも」
どさくさに紛れ、後ろから私にしなだれかかってくるのは、妖しく笑う翠音しかいない。琥珀色の髪で頬を擽られ、
「大丈夫です。智太郎がくたばっても、私が貴方を終生飼ってさしあげますから」
「そのBad Endはヤダ!」
「大丈夫、あの鬼畜は何度でも蘇るさ……って、あぁ!? そういやコレ返すわ、千里。マジ、ありがとうございました! 」
突然叫んだ綾人がお辞儀にて差し出したのは、風呂敷に包まれたナニカ。あぁ……女装用に勝手に借りられてた、
「クリーニング完了です! それから『着物作った時の記念品の端切れが、何故か袖の中に縫われてあった』って店の人が言ってたから、解いてもらって入れといた! 」
端切れとは、正絹である証や織物工業組合の朱印が押された
「ふぅん……? 後で見とくね」
ともあれ、
「あ、コレは綾人にあげるよ。また使うでしょう、『綾人の姉』の
私がニヤリと差し出したのは、保護ネットに包まれた
「ななな……まだ覚えてたんかいっ!! ヤバい、超絶ピンチだったのか俺!? 」
「アレレ? その『浮気っぽいの』は片付いたって、
微笑む美峰から恐ろしい冷気を浴び、綾人はクソマジメに紺碧の眼力を整えた。私へ狙いを定め、渾身の土下座をする!!
「今生のお願いです。誠の初恋を綺麗に解いて、擬似三角関係から俺の命を救って下さい!! 神様、千里様っ!! 」
「え、やだよ。誠を弄んだ、綾人の自業自得でしょ? 私に何のメリットがあるの」
「千里、俺に対して辛辣すぎじゃね!? 最近、誠から妹みたいに可愛がられてるんだろ!? 仏心をください、どうか、どうかぁっ……!!」
子犬のような涙目で足元に縋りつかれると、何気にセクハラだし迷惑なんだけどな……。しかし、誠の心が変に折れると、弟の黎映に悪影響がいく。私と
「仕方ないな……方法は考えてあげるから、とりあえず離して? 美峰が激おこだよ」
「今すぐ、ウザ絡みセクハラ行為をやめなさいっ!」
美峰の柄杓・第二発目が、綾人の頭部を打つ
「
「元妖狩人ですからっ、紅音サン! 本業っス! 」
私と双子を弐混神社まで送ってくれたドライバーは、しれっと祭りに参加していた。ふわふわアザラシを抱き締めた紅音へ、
「
「円な瞳の古代魚とはマニアックっすね……翠音サン。了解です! 」
栗梅色のポニーテールを揺らし、煉は長銃を構える。赤縁眼鏡の奥の瞳で狙いを定めていた。
「あの
「う、うん。今は黒曜の配下だけど」
煉を捉えた美峰の視線が冷たいのは、気の所為じゃない。弐混神社に仇なす宮本家の手勢かと疑うのは、当然の事なんだろうけど。玉砂利を捌く美峰の足音がやけに耳に残り、私と綾人は慌てて後を追った。
「煉さん……でしたっけ。貴方にお聞きしたいことがあります」
「ん、なんスか~~美峰サン? アタシの推しロボは、1/35 猩々鏡匣 黒翅式 Type-03っスよ! 」
「何を言ってるのか分かりませんが……私が聞きたいのは、貴方の忠心の在処です」
「おい……美峰」
「綾人は黙ってて」
美峰に睨まれ、ため息を吐いた綾人は黙ってしまう。異様な空気に双子は退き、煉は顔を上げた。視線を交わせば、美峰の頬が怒気に好調していく。
「千里ちゃんが居るから、滞在を許していますが……正直、私は貴方を信用出来ません。当たり前じゃないですか?
氷点下へと張り詰めた間に、猛火の玉兎が麻呂眉を顰めた。
「妖に堕ちた我が身でも、命を救ってくれた鴉のダンナには真摯に仕えてるんですがね。宮本家から鴉のダンナへ跳び跳ねたアタシはともかく、都峨路さんを侮辱するのはお門違いってもんですよ。老若男女問わずに妖狩人衆を情で抱える、あの人の性根は腐っちゃいない」
煉が赤縁眼鏡を上げれば、鮮血の水中花を縦に編む三白眼が、異様に
煉が銃口を翻し――照準を覗く刹那に爆轟――! 黒い髪筋は、円く撃ち抜かれた! 掠めた灼熱に、美峰は棗眼を見開く!
火風は、向かい合わせの射的屋台へ過ぎていた。灼熱の弾痕で、巨大な景品の箱が
「アタシにも許せないものがあるんで。妖力に命軽々と、一瞬キレちゃいました。貴方からの詫び賃として、プラモセットは頂いていきます」
美峰は片眉を引き攣らせたが、謝罪を口にする事は無い。
「好きに受け取って下さい。ただの景品なので」
激浪の二人に、信じていた安寧が崩落した。呆然と立ち尽くしていた私は、踵を返す美峰に手を引かれる。
「……千里ちゃんに、見せたいものがあるの。私に着いてきてくれるよね? 」
いつも美峰が私に向けるのは、穏やかな微笑みだったのに。髪先にすら覇気纏う今は、黒鏡の虹彩を水光が貫く。風鈴の群れが、割れんばかりに鳴いている。残された彼らが異様にざわつく背後に、私は瞳孔を迷わせたが……頷くしかなかった。
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