第十一章 忘雪ノ遺香編(わすれゆきのいこうへん)
第百八十三話 彼女の絵本を開く
――――*―*―*―(挿絵)―*―*―*―――――
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―*―*―《 咲雪 過去夢 展開 》―*―*――
「むかし、むかし。あるお城に、『美しい王さま』が暮らしておりました。王さまによりそうのは、愛する二人の女王さま。『賢い女王さま』と、『優しい女王さま』でした。王さまと女王さまの宝物は、今日も元気で可愛らしい三人のお姫さまです。双子のお姉さんより、小さな妹は『シンデレラ』といいました」
私達三姉妹は猫耳を揃えて、思い思いに畳へ座っていた。睫毛を伏せて語る彼女は、決して私達に絵本を覗かせない。続きを知られたくないからと言って。
「ある日突然、『シンデレラ』へ隣の国から舞踏会の招待状がとどきます。ところが、大変。『シンデレラ』には、よそいきのドレスがありませんでした。舞踏会は今日なのに! そこでお姉さんである『双子の魔法使い』が、なかよく星の杖をひと振り。すると、妹の『シンデレラ』にぴったりの素敵なドレスがキラキラと……」
「ねぇ、
ピンと伸ばされた幼い手に、皆注視する。またか。紅色の髪の姉が、『おはなし』を遮るのはお決まりだ。呆れたように、琥珀色の髪の姉はため息をついた。
「ちょっと邪魔しないで下さい、
「誰が
立ち上がった紅音はツンと小さな顎を上げ、苛立たしげにに髪を払う。自分を『人魚姫』に例えるとは、相変わらず傲慢な姉だ。ならば、私は謙虚な妹の『シンデレラ』になるべきか。
「タコのドレスでも
「『おはなし』が盛り上がってきちゃったね。みんなが楽しめれば良いんだよ、
優しくほほえんだ
「芽衣。そろそろ、妾に紅音を返してくれるか」
「かあさま! 」
障子を開いた『賢い女王さま』は、孔雀の尾羽根を翡翠色に靡かせて現れた。無邪気に笑った紅音は真っ直ぐに、揃いの紅色の髪である『母』へと抱きつく。『優しい女王さま』である芽衣の笑みが、何処か曇った気がした。
「そっか! ごめんね、
「
素直では無い忠告か、皮肉な
もう少しで、
客観的に見れば、
「炎陽は、気まぐれな猫さんだもんね。でも……
微笑する芽衣の澄み切った丸目に、
「
障子は閉められた。静寂に残された私達の前、絵本を置いた芽衣は跡が残る白皙の首を掻いた。茫洋と、顔を上げると私達を捉える。
「咲雪、翠音。……お腹空いたでしょ」
芽衣は乳飲み子を抱くように、翠音と私を抱き寄せた。柱時計を見れば、もう昼の12時だった。どうりでおなかと牙が疼くわけだ。
「ねぇ、お母さん。私……絵本の中の『シンデレラ』が見たい。何色のドレスを着ているの? 」
「空色だったよ。でも、みんなが見るには絵本じゃ小さいから……咲雪が『シンデレラ』の絵を描いてくれる? 王さまや女王さま、双子の魔法使いも居たら、みんなが喜ぶね」
クレヨンで『家族』の絵を描くのに、余計な色は使うべきじゃない。
お城の上には、黄色の太陽がわらってる。
みんなを守る『美しい王さま』は、オレンジの羽織を着てるはず。白いクレヨンは無いから、灰色で猫耳と髪を描いた。赤い目がカッコイイよね。
孔雀の尾羽根の『賢い女王さま』は、赤い髪をまとめてる。目はキレイにすましてて、青いドレスが似合うんだ。
猫耳と孔雀の尾羽根の『双子の魔法使い』は、長くて波打つ赤い髪と短いオレンジの髪の二人。なかよく星の杖を持って、緑のドレスがお揃い。
『優しい女王さま』はピンクのドレスを着て、笑顔で『シンデレラ』と手を繋ぐ。肩までの黒髪に、まん丸の目が可愛くて。
『シンデレラ』のドレスは……もちろん、空色。『美しい王さま』とお揃いに灰色で、猫耳と長くてまっすぐな髪を描いた。緑の目をまん丸にした。黄色のティアラも忘れずに。
柱時計の振り子が、あと何回往復すれば……『まほう』が使える『おとな』になれるんだろう。『少女』になっても、私にはまだ胸の奥の『色』が視えない。
「咲雪は、愚か者なのですか」
土壁に画鋲で飾られた、古びた『家族』の絵を見つめるのをやめて振り返れば、翠音が私を静かに睨んでいた。
「何の話? 」
「気づかない振りをするのは、やめて下さい。私達の周りの『人』と『妖』は、私達が成長するにつれて消えていったではありませんか。貴方を守って……傷ついている存在がいる」
「やっぱり、誰のことだか分からない。一体誰が傷ついているというの? 」
「そうやって目隠しばかりするならば、初めに教えてさしあげます。咲雪の魔法が解ける時間を。半妖の貴方は……私の『家族』の誰より、一番先に死ぬのです」
「冗談やめてよ……私はまだ『まほう』すら使えないのに」
「冗談ではありません。咲雪の半分は『人』なのですから。貴方の『人』の器は『妖』の力に耐え切れず、いつか必ず崩壊する。……だから早く、大切な人が傷ついていることに気づいて」
傷ついてるのは、泣きそうな翠音の方じゃないの。そう言いたかったのに、しゃがみ込んだ私は去りゆく翠音に何も言えなかった。足が震えてる。から回った鼓動が、チクリと逆流しなかった?
ドクドクと息を吹き返す私の好奇心に、蓋をし続けてきた人が居る。私は……彼女が隠し続けてきた物が何か知っている。ずっと、ずっと……見たくて、見たくなかった。痺れた足を引き摺る私は、
手に取った『シンデレラ』の絵本の中は、滅茶苦茶だった。綺麗な絵を塗り潰してあるわけじゃない。
最後の挿絵から、めくる。『王さま』の横に、『女王さま』は一人しか居ない。『双子の姉の魔法使い』は『意地悪な二人の義理の姉』になっているし、妖の証の猫耳なんて誰にも生えていない。つま先と
顔を上げた私は、手の内から絵本を滑り落とす。
柱時計の針は、夜の12時を指す。画鋲に構わず『家族』の絵を引き抜いた私は芽衣を探して、猫屋敷の暗い廊下へ走る! 酷く寒くて、白い吐息と素足が凍りそうだ。何故、誰も居ないの? 通り過ぎた襖から、くすくすと笑う声がしたような。
「炎陽……、やっぱり私を……愛してくれていたんだね」
この声は、芽衣ではないか。私は襖に手をかけて……緋色の
「毎日、毎日。『
薄く笑う芽衣に覆いかぶさる、『美しい王さま』である炎陽は答えない。私のお母さんと、お父さん。二人とも、緋色の業火が瞳に宿ってる。お父さんは、お母さんの
――肉片を喰い千切られた白い肢体から、鮮やかな花吹雪が咲く! 芳しくも精巧な
何故『血』だけではなくて、『肉』 を食べるの? お母さんが死んじゃうのに。獣が
襖を開き飛び込んだ私は、芽衣を喰らう炎陽を突き飛ばす! ゆらゆらと緋色の陽炎纏い、炎陽は立ち上がる。その無情な足は、私が落とした『家族』の絵を
「お願い! 私達に気づいて、お父さん! 」
身体に燃え立つ花緑青の陽炎が、私の白銀の尾を逆立たせる! 涙濡れた瞳孔細め、本能に目覚めた【
【紅と翠の星、消失す。
『原初の妖』生まれ
「逃げて」
私の意思が、【魅了】に引き摺り込まれる寸前。意識を失った芽衣抱く私の前に、孔雀の尾羽根と紅色の髪が広がる。私達を庇う紅音だった。獣の前へ進む姉は、異質な程に静かだ。私は翠音が告げた『私の代わりに傷ついている誰か』に気づいてしまった。翡翠の双眸を【魅了】の緋色の業火に呑まれ、振り返る紅音の微笑は……酷く慣れていて、がらんどうだったから。
獣は齎された『餌』を押し倒し、喰らいつく。紅い髪が彼岸花の如く広がり、白真珠の肉体を着物の絹ごと割かれても。【魅了】された紅音は愉しそうに、笑っていた。深く
「ここは……? 」
私の
「痛い……足が、酷く痛いよ。もう嫌……
「人の世は、遠いわよ。自分の力を
「私は【異能】に呑まれたりしない。自分の身は自分で守れる。だから……心配しないで、紅音」
『家族』の理想を破壊された私は、とうに背を押されていた。私を捉えた紅音は、安心したような吐息を零す。束の間の自分を忘れて、再び魅惑的な狂喜へと還っていった。
血の跡は、点々と私達に続く。
意識虚ろな芽衣を支えて暗い廊下を歩めば、恨めしげに私を見つめる翠音が柱の影より
「行かないで下さい。咲雪は、私達の『家族』でしょう? 」
「違う……。私が想っていたのは、こんな狂った『家族』なんかじゃない! 『家族』ならば何故、『家族』を殺そうとするの」
その時。私が穿った芽衣の首筋や、見捨ててしまった紅音のがらんどうな微笑が……脳裏に
「私は……『人』なの。『
呆然と絶句する翠音に、一番最低な言葉を吐いた自分が急速に染みていく。いくら否定したくても、『妖』である自分は死んでいないのに。
「なら、行けばいい。『人』の咲雪と芽衣は、
静かに涙伝わせた翠音が指先で横を示せば、影に染まった板戸は独りでに開いた。舞い込んだ猛然なる吹雪が、『人』を選んだ私達を待っている。
私の身から生じる花緑青の陽炎だけが、凍える私達を吹雪から守ってくれる。『隠世 猫屋敷』の結界を抜けるのは酷く簡単だった。『隠世の
芽衣を支えて吹雪の中を跳躍し続ければ、ふいに固い地面へ躍り出た。滑りそうになる足を歯を食いしばって耐えると、肝が冷える。凶暴な
「たまげたっ! 幽霊か、雪女か……!? 轢いてないはずだが……」
慌ててトラックのドアを開き降りて来る男に希望が沸くと同時に、花緑青の陽炎を消す。これだけじゃ駄目だ。白銀の
「違います、私は生きている
――命懸けで『人』を演じねば。私はしがみつくべき藁さえ、手離してしまうだろう。
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