第百八十二話 雪結晶へ再帰する水子


―_-◆_+★_*+-【 千里 目線 】-+*_★+_◆-_―

 

 かつて咲雪を殺めた私を、静かな緋色の眼差しで捉えた炎陽は手にした大太刀を再燃させた。顔を顰めた黒曜は、炎陽を睨む智太郎と惑う私の前に立つ。広げられた漆黒の翼先から、太陽の化身を垣間見た。

 

「炎陽……」 


「濡羽姫に心配される程、刃は錆び付いちゃいないさ」


 私の恐れとは裏腹に、気前よく笑った炎陽は緋色の瞳を閉じた。彼の心臓から顕現した根源は、灼熱に輝く白い太陽そのものであるかのよう。白銀の大太刀が翻れば、緋色の軌跡は虹の輪になる。硬質な刃が高く反響する、奇妙に小気味良い音がした。


「俺を『生』へと導いたのは、間違いなく濡羽姫だ。俺を愉しませたお前には、土産を受け取る権利がある」


 炎陽に差し出されたのは、太陽の白い欠片だった。綺麗な断面には、白蝶貝の螺鈿らでんのように真珠層が折り重なる。顔を上げれば、さながら部分日蝕か。静謐せいひつに微笑する彼の、白い太陽の魂には罅など存在しなかった。

  

「貴方は私を恨まないの? 」


「濡羽姫を恨める程に俺の良心が蘇ったならば、寧ろ礼を告げるべきだ。それに、咲雪が恨んでいるのは俺の方だろう。使うか否かは、濡羽姫次第だ」


 頼りない両手で受け取った太陽の欠片は硬質的なのに、鼓動の残滓すら感じる気がして暖かかった。この欠片は、生きている。眼前の智太郎に、『妖』としての『生』を齎す可能性を込めて。臆病者の私は、手の内に息衝く真珠層の照りへと再び俯いてしまう。白い地層を思わせる極光オーロラの重なりは、私の内の過去と未来の一筋を繋ぐ。

 

「私は智太郎を救う為に、『妖』としての『生』を選んで……苦しかった。何も知らなかった『人』の頃の幸せな過去に嫉妬して戻りたくなったし、私を守り続けてくれた智太郎の『妖』としての苦しみを追蹤ついしょうした気がして、やるせなくなった。だからこそ『人』として、智太郎には幸せに生きて欲しいの。黒曜にも『人』としての安寧をもう一度思い出して欲しいし、私自身も『人』に戻れたらって、思うよ。その為の『可能性』も見つけた」


 私が黒曜へと顔を上げると、浮世離れした端麗なかんばせを淡く呆然とさせていた。黒硝子の瞳の奥……研いだ瞳孔が揺らぐ。私の小さな微笑みは、桜一片ひとひら舞うあわいで解いた。俯いた後は、堕ちるだけだ。


「だけど……『可能性』を追う為の時間が、智太郎だけに無い。この欠片を渡して、智太郎が『妖』の『生と時間』を手に入れた後、『人』の『安寧と幸せ』を得ようとも……私には智太郎に選ばれる資格が無い。私達が『人』に戻っても、、この欠片を渡すよ」

 

 崩れた岩壁には、猫屋敷へと通じる穴。向こうから暖かい陽光が、珠翠が思い出させてくれた『母の慈愛』のように射し込んでも……やはり、裏切り者の私は異端だ。救済の願いとは裏腹に太陽の欠片を胸元へ仕舞った私は後退あとずさり、猫屋敷へと駆け出していた!


「待てよ、何処へ行く気だ! そんなふざけた誓いを提示する前に、千里は俺にどう生きたいかと問うべきじゃないのか! 」


 襖を何度も何度も何度も開く。智太郎の声から逃げる度に襖の絵柄も空気も、暗く陰湿なものへと変わっていく。躑躅ツツジの花迷路の庭も、天井が崩れた宴ノ間も、黒い染みのある廊下も過ぎて。……私は隠れたいの? 


 次なる襖の無い部屋。全身鏡があるその場所は、私がようやく息が出来る『孤独』を染めた小さな暗い部屋だ。ぽっかりと桜景色を切り取った丸窓障子だけが、異質に浮かんでいるよう。

 智太郎を生かし続ける為に、半不死の呪いを保つ必要はもう無い。智太郎の憎悪で壊して、私を終わりにして欲しいと願うのに……私が生きる事を望んでくれた人が許さない。鏡越しに、『雪』が己穂わたしを睨んだ。

 

「智太郎は穢れた私を憎むべきだよ。それが、正しい姿」 


 春風に濡羽色の髪をもてあそばれて振り向くと、尾花色の着物を纏い『雪』の姿をした智太郎が、流星痕が残存する花緑青の瞳で千里わたしを睨んでいた。嘲笑を返せば、私を断罪してくれるよね。


「俺に選択肢を与えない気か?」


「まさか、咲雪を殺めた私を許そうというの 」


 少女人形ビスクドールのように精巧なかんばせを顰めた智太郎は、獣のように唸る。その手には、重い銀光を放つ銃が握られていて安心した。

 

「誰が許すかよ。母さんを殺した後に、俺が逃れられないように愛を与えたお前を! 俺の感情を選んで切り捨てようだなんて、自分勝手なんだよ! 孤独を埋めておいて、今更罪人ぶって逃げようだなんて……ふざけんな……! 」 


 安全装置セーフティが解除された音がした。雪華の睫毛は伏せられる。智太郎が銃口を向けた先に、私は見開いたまなこごと凍りつく。私の世界の色彩の階調が、恐怖に反転した!


「お前が一番殺したくない奴を、始末してやるよ。俺を裏切ったを差し出せ」

 

 銃口が狙うは、智太郎自身の顳顬こめかみ! 総毛立つ私は地を蹴り紫電を纏わせたが、既に智太郎の指先は引き金トリガーに触れている!

 

「駄目!!」


 己の脊髄を貫く紫電一閃、天鼓てんくと発砲音は耳をつんざく! 激しい鼓動に、紫電そのものに化した身体の輪郭を取り戻す。私は智太郎の手首を掴んで、硝煙が霞む銃口を天井へと向けることを成功させていた。間に合ったと荒い息を吐いた時、肩を掴まれた私は智太郎に檸檬茅レモングラスの香り纏う体温で抱かれていた。濡羽色の髪を指先でかれ、肩をビクリと竦めてしまう。

 

「馬鹿な奴」

 

 囁かれたのは、呆れ混じりに甘ったるい声だった。嘲る唇が私の翼耳を掠め、熱く湿った吐息が正体を現す。濡れた舌が頸動脈上を這う異常な柔さに、はらの底から戦慄した刹那――灼熱の牙は私の首筋を穿つ!

  

  声無き痛みは脳天を貫通し、強烈な白光へ散る。冀求ききゅうし続けた香りに混ざりゆく、己の血臭に怯えられれば……重なる鼓動と首筋への口付けに疼いたりなんかしないのに。脆弱に意識霞む私は、智太郎の手首へ縋るがまま。溢れるいのちを余すことなく、喉仏へと嚥下されるのを翼耳が聞く。優しく押し倒され、銀の銃は打ち捨てられた。罠に嵌められた、が代償なの……?


 硬質な牙は、助けを乞うように深くうずめられていく。辛い痛みが、むず痒い耳鳴りに痺れていくような。怖くて、情けなく縋っているのは、どちらなんだろう。牙を引き抜かれて軽く吸われ、繋がりが鎖骨にしたたる。と穴を残された欠陥品の身体が軋んだ。


「千里を孤独に置いて逝くくらいなら、俺が殺すから」

 

 私を影で囲うは、羽先のような白銀の髪。花緑青から柘榴に染まりゆく瞳が、幽光ゆうこうに浮かぶ。私を見下ろす智太郎は血濡れた唇を震わせ、空虚な微笑を湛えていた。蒸気霞む熟れた口腔に、牙の光がちらつき、真実を垣間見る。

 

 鳩尾みぞおちで鋭敏に共鳴する安心感が、自刃のように切なく胸を刺す。睫毛を濡らす涙を、慰めるように唇で掬われた。瞼を閉ざしても、よこしまな棘を内包する柔肌を硬い掌が辿るから……耐えれなくなる。


 望みのままに薄紅に色づく唇をまれれば、花弁の細胞膜が壊れるはず。きぬ擦れの乾きを、互いをついばむ私達は許さない。癒着した粘膜を暴かれ、真新しい牙を秘かに確かめられて、誘うように導かれ、絡め取られる。

  

 煙る血潮ちしお味蕾みらいへ齎され、互いの内で濃密に溶けてゆく。溺れて窒息させ、新たな息を狭間に与えて救う。血は水よりも濃いと言うのに、雪解け水の私達は血で爛酔らんすいするのか。

 

 水魚之交すいぎょのまじわり。水源に溶けたはずの呼吸が離れる裏切りは、不意に訪れた。灼熱の牙が私の翼耳に突き立てられ、羽が引き抜かれる痛みに覚醒する!

 

「っ……」

 

 私を蹂躙する柘榴の瞳は恍惚に細められ、爛々と輝く。白銀の獣に咥えられた私の羽が、血塗れた牙から舞い落ちて齎された。私が委ねた全てを断罪するかの如く。智太郎は甘露に酔って、陥落させた獲物わたしへ美しく乞う。

 

「『妖』であろうが、『人』であろうが。独り生き長らえても、千里が居なくちゃ俺は救われない。罪悪感でも何でも利用してやる。馬鹿みたいに弱くて惨めになる前に、助けてくれないか。この獣慾じゅうよく咲雪かあさんへの裏切りなのか……千里と夢を視て、確かめたい。俺達に遺された『二つの雪華』で」


 智太郎の白銀の髪を留める、『二つの雪華のバレッタ』。金銀ギルバーの刺さない輝きへ、辛い郷愁と共に魅入る。私の母である秋陽あきひは……私の生命いのちと引き換えに、産褥死した。


秋陽かあさまの形見に、片割れが存在したなんて。片割れを遺した咲雪さゆきは、秋陽かあさまと繋がる存在だったの……? 」


 幼い私へ、母のように安寧を与えてくれた黒曜の過去夢で、私の乳母である那桜なおと……咲雪を視たことを思い出す。母達の『過去夢ゆめ』ならば嘘をつけない。

 

「珠翠が告げた通りならば、咲雪かあさんが『死』を選んだ本当の理由を千里も知らないんだろ。咲雪かあさんは『死』を望んでいた。本当の理由を知らないまま、千里は願いを叶えた。……そうじゃないのか」


「咲雪が『死』を望んだ理由は……尾白 渉 おじろ わたる……亡くなった夫を追う為だと思っていた。でも、それだけじゃなかったのかな。理由付けで、智太郎は私を許したい訳? 智太郎を孤独にした、呪うべき罪は変わらないのに」

 

「俺は……俺を遺した咲雪かあさんより、目の前の千里を選ぶ裏切り者だ。咲雪かあさんは、千里に自分を殺させる必要なんて無かった。とうさんを追う為の『死』なんて手招きしなくても、すぐに訪れたのだから。千里を選んだ理由を、千里自身も知るべきじゃないのか。……俺から咲雪かあさんを奪い、孤独を身勝手な愛で埋めたならば」


 けもの耳を伏せて低く唸る智太郎は、咲雪を殺めた私を許す気なんて無い。それなのに……裏切り者の私を選ぶ為ならば、咲雪への裏切りも厭わない。同じ色に染まってくれるの?


 無意識に『二つの雪華』に両手を伸ばした私は、生きていたい事を強制的に思い知らされた。猫毛そのもののように、柔い白銀の髪だけじゃない。柘榴の瞳に透ける雪羽の睫毛を伏せた、智太郎の白夜月はくやづきの肌にも触れていたいから……。


 『二つの雪華』に触れた掌から溢れる金光きんこうの導きは……『天鵞絨ビロードの大河』で感じた、懐かしい黄昏たそがれにも似ていた。


 瞼を閉ざして、私達が生きる地獄より深い意識の底へ……源流ルーツへと溶けていこう。雪華が溶ける季節の、時計針は逆回転する。つい水子みずこになって、雪解け水に身を任せれば……雪結晶フラクタル樹枝状じゅしじょうに再生し、花開く。私達が揺蕩う水鏡は凍りつき、再帰する為にある。


 珠翠が『家族』と呼んだ、咲雪さゆき。智太郎と同じ花緑青はなろくしょうの瞳に秘めた、静かな願いを知りたい。忘れ雪の彼女は、私達の『母』でもある。

 

 白銀の猫の耳と尾を顕現する半妖の彼女は、この世ならざる儚さで出来た硝子細工のようだった。腰まで伸びる白銀の髪を払えば、くうをさらりと流れる。舞う雪を追うように、『死』の理由へといざなわれるべきだ。


 

――――*―*―*―(挿絵)―*―*―*―――――


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―**『凍りつくプールサイドと咲雪』**―

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