第百八十一話 地獄で貴方を待っていた
―_-◆_+★_*+-【 千里 目線 】-+*_★+_◆-_―
紅音が『母』を呑めば、翡翠の盃は溶けて雫となる。瞼を閉ざした彼女が自身の肩を
「無機物のまま、安眠させてはくれなんだ」
彼岸花の
「死に
炎陽が手にした白銀の大太刀は滑り落ちて、がらんどうな音を放った。酔ったように、ふらつく歩みは覚束無い。
「こんなに……呪わしく、祝すべき苦痛があるだろうか」
肺の奥から絞り出されたような、掠れ声は震えていた。炎陽は、珠翠の白真珠のような頬に触れる。精巧な
「珠翠を喰らうのは……悦びであり生き地獄だった。俺なんぞを生かす為に、『肉』を捧げる程の『愛』は史上の甘露だったから。強烈な快楽の後に待っていたのは、『魅了』から自我を解き放たれ、底無しの喪失感に発狂する自分だった。珠翠を演じる翠音がいなければ、無気力な『生』に再び自我を手放していただろう。だが……娘に半場依存する程に情けなく頼り過ぎていたようだ」
「紅音が全てを掛けて蘇らせたからには、妾が炎陽に沙汰を出さねば。本来なら、お前を骨抜きにした妾が地獄へと道連れにすべきだろうが……」
「今すぐ連れて行ってくれないか、同じ地獄に」
甘えるように懇願する炎陽は、骨翼彫られた珠翠の手の甲へ口付ける。
「断る。それでは、お前に対しての罰にならん。それに……妾の願いが叶わない。生き地獄で炎陽が『父親』らしく『家族』を愛す姿を、骨箱の中から見たかったんだ。器は愛娘に変わったがな。気が向いたら、紅音の中から死者の戯言と逢瀬の褒美をくれてやるから、精々生きて苦しめ。情けない父親として、娘達に愛し憎悪されろ。『死』への
「なら、娘達が立つ生き地獄で焦がれ続けよう。いつか業火の華開く、眼下の深淵を」
微笑んだ珠翠の指先は、真っ直ぐに涙伝う炎陽の手の内からすり抜けた。紅の髪靡かせる去り際に、魅了した飼い猫の首筋と唇を撫でていく。
蘇った彼女が尾羽根の翡翠を変幻し、瑠璃が睨む微細構造色に翻せば、皆息を呑む。注視された
抱き締められた翠音は惑う。恋敵として憎悪し続けていたはずの母から、愛を求めていたのは翠音の方だったのかもしれない。
「翠音。……良い子だな。明かすべき時に、妾の遺言を紅音に伝えてくれた」
「母さま。紅音は……」
「紅音の意思は消えたわけじゃない。妾の意思と共に『
珠翠の
「紅音の復讐は未完成ですね。
翠音の頭を撫でると、珠翠は再び歩む。微笑した彼女は、私達へ向き合った。
「『咲雪』と『芽衣』の香りを連れてきてくれてありがとう。……おかえり、私の『家族』達」
珠翠が優しい
「珠翠。私は、歓迎されるべきじゃない。私は咲雪を……」
「その言葉の続きは、夢を視た後でも遅くない。『死』を選んだ咲雪の本当の想いを知らないのは、千里も同じなのだろう? 妾にいつか、外の世界の『咲雪』を聞かせて欲しい」
私が過去夢で珠翠を覗いたように、あの時に珠翠も私を覗いていたのかもしれない。
「……良い眠りを」
囁いた炎陽は、身体が傾いだ珠翠を受け止める。手の甲の骨翼の刺青が消失すれば、彼岸花の花糸の睫毛は震え……彼女の覚醒を示す。
「
「
「
傍に座り込んだ翠音が触れると、荒い息を小さく吐いた紅音は瞳から滲む涙を手の甲で隠した。
「私は、
「紅音の憎悪が、罪悪感を蘇らせてくれるのならば……
紅音を優しく下ろした炎陽は立ち上がると、白銀の大太刀を拾い上げる。緋色の陽炎は再燃した。
――冷静な炎陽が真っ直ぐに捉えたのは、咲雪を殺めた私だ。
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