第百八十話 幸を盃にて服す


―_-◆_+★_*+-【 千里 目線 】-+*_★+_◆-_―


 赤すぎる『孔雀ノ間』にて、緋色の陽炎を纏った炎陽はゆらりと立ち上がる。私の『肉』を欲し、珠翠の『骨』と私の『骨』を入れ替えようと。『赤い骨箱』から取り出した『翡翠の頭蓋骨』を抱く炎陽は、緋色の双眸を禍々しく見開く。


「私は貴方との取引に応じない。先約があるの。『妖』が『人』として生きれる未来へ導く可能性を持つ、黎映と青ノ鬼ふたりに賭けて、智太郎も私自身も生かしたいから。『翡翠骨牌ヒスイカルタ』で再現された私なんて、私じゃない……! 」


「黙れ。『弱い人の生』に縋る不確かな可能性に賭けるなど、お前達の死までの時間が無駄に消えるだけだ。お前が欲するべきなのは、智太郎がに生きられる『妖の生』だ。珠翠の『肉』に相応しい濡羽姫おまえが、炎陽おれと同じ『妖』を辞めることなど許すわけが無いだろう」

 

 根源が欠けた今の私では紫電をピリつかせても、彼には勝てない。終いに圧倒的恐怖に支配されてしまって、立ち上がろうとするが膝が笑っている。精神防壁を剥がされ、『魅了』にも抵抗出来ないだろう。

 

 猫屋敷への入口は分からない。隧道へ逃げて、黎映達に助けを求める? 駄目だ、なけなしの理性は立ち塞がる。原初の妖わたしが勝てないのに、彼ら四人が血沼に横たわる死に目を見せつけられる。黎映と青ノ鬼ごと、私が願う『人と妖の未来』も殺されてしまう。二人の『未来五感』で生かされた私が、炎陽の『最悪な生』という賽の目を出す未来は、この部屋を通った青ノ鬼には視えなかったはずだ……。見栄なんてドブに捨てて、私を追う智太郎と黒曜に縋りたいけれど、私は二人に居場所を伝えられない。


 ――愚鈍にも動けない私を、炎陽は獰猛に押し倒す!

 

「安心しろ、『魅了』で痛覚を焼いて快楽に変えてやる。血腥ちなまぐささとは裏腹に骨を替えるのは、すぐになるさ」

 

 死の麝香じゃこうが熱い吐息混じりに噎せかえり、緊迫の汗が刺す。掴まれた手首の骨へ、媚びるように爪を立てられ痛みに血が滲む。使い古された誘惑的な笑みに、牙は光る。金箔閃くケダモノの瞳孔! 燃え盛る緋色のまなこで完全に捉えられる前に顔を逸らすと、翡翠の頭蓋骨の眼窩がんかは真横の私を哀れむ。


 睦言に堕ちてしまえば、私は最期。こんな風に、えさ達も珠翠達も喰われてきたのか? そんな過去夢ゆめも一瞬視たような。最早、声も出ない。

 炎陽は私の目を捉えようと、顎を掴む。翡翠の眼窩にから目を離したくない!助けを叫べ、叫べ、叫べ! じゃなくても良いから! 怯える鼓動から無理やり紫電を引っ張り出し、雷鳴を『孔雀ノ間』に轟かせる! 紅音あかねの言う通りに、『仲間』を信じ始めた私の可能性は死んでいない!


「助けて……翠音みお!! 」 


 翡翠の眼窩から瞬く間に生じた春塵の影は、この部屋の『赤』を塗り潰す! 影から化した『紅の花嫁』は面紗ベールを靡かせ、孔雀の尾羽根を瑠璃色の構造色に広げた! 翡翠ネフライト猫目キャッツアイを、信じ難いように見開く。

 

「ようやく見つけたと思えば……千里に、何をなさっているのですか。炎陽様」


「翠音か。珠翠を蘇らせる為の『肉』を選んだんだ。これから、珠翠の『骨』と濡羽姫の『骨』を取り替える。翠音が、俺の為に珠翠を演じる必要はもう無い」


 私と炎陽を見比べた翠音は辛い衝動を堪えるように、くしゃりとかんばせを顰めた。彼女に目で訴えるも、動悸が止まらない。お願い。私を選んで、翠音。


「まるで、貴方に喰われてきた自分を客観的に見ている様です。何故でしょう……貴方に触れられるなら、苦痛ですら愛しかったのに。珠翠かあさまを演じる私は、そんなに泣いていましたか? 」


「自分の事は、自分では分からないものだ」 


「それは……炎陽様も同じです! 親愛なる友人を、私に返して下さい! 」

 

 決壊した衝動を叫んだ翠音は、『孔雀ノ間』を影沼に染める! 炎陽が覆い被さる視界から急激に遠ざかり、音無しの影沼に沈んだと思った瞬間。影に染まった岩壁にもたれかかる私は、震える翠音の背中を見つめていた。翠音は私を選んでくれたのに、安堵は罪悪感になる。

 

「私は、貴方の珠翠になりたかった! 涙を流さずとも貴方が……泣いていたからです。何故私を『肉』に選ばなかったのですか! 今からでも遅くありません。私を、選んでくださいませんか……」


「それは出来ない。より強靭な再生力を誇るのは、濡羽姫だ。それに……翠音は、

 

 躊躇いを思い出したように、空虚な彼は獰猛さを手放した。やはり、彼には『人』の残滓がある。緋色燃える大太刀を顕現した炎陽は、翡翠の頭蓋骨を抱いて影沼に立つ。水面の波紋は、影沼を顕現する翠音の足元へと繋がった。

  

「今更、血縁を言い訳にするのですか! 遅い、ですよ。私は、もう貴方をいびつに愛してしまった。貴方が私を最期まで喰い殺さないのは……私を少しでも『女』として愛してくださっているからだと、縋っていたのに。肉親の情だなんて……結局、貴方も狂いきれてない」 

 

「なら、私達には好都合じゃない? 」


 苛烈で澄んだ声がくぐもって聞こえた時、影が塗り潰す岩壁に罅が走った。

 

「逃亡劇は、もう終いだ! 」

 

 岩壁を揃いに蹴り上げ破壊したのは、眼光極まれり白銀の少年と紅の少女。けもの耳を顕現する智太郎と紅音が纏うは、花緑青と翡翠の炎熱えんねつ立ち昇る闘志! 銅牆どうしょうべた青緑あおみどりの炎色反応の奥――漆黒の翼で舞い降りた黒曜は、炎陽を黒硝子のまなこで睨んだ。


「智太郎……黒曜……。なんで、二人がここに」


 振り向いた黒曜は茫洋とする私の代わりに、鋭敏な痛みを感じるかのように睫毛を伏せる。


「……待たせて悪かった。私の精神感応テレパシーを駆使しても、道案内が稚拙ちせつな青ノ鬼に罵詈雑言を吐きたいが……翠音を追う紅音に合流出来た事が、私達の不幸中の幸いだ。やはり根源を、欠かしたのか」 

  

 思わず自身の心臓の鼓動へ手を当てると、殺気にも似た気魄きはくを纏う、智太郎の柘榴の瞳に貫かれる。

 怯えに肩を竦めた瞬間――私は腕を引き寄せられていた! ほのかな檸檬茅レモングラスの香りと、ふわふわとした白銀の髪がくすぐる。はっきりと重なった、焦がれ続けた灼熱の鼓動に……頭が真っ白になる。私は智太郎のかいなの内に、強くいだかれていた。


「俺が問い質す前に勝手に消えようとするな、この馬鹿! 散々逃げ回りやがって。千里が居なくなる方が、寿命が縮まるから……お前がやってることは逆効果なんだよ」

 

 別離に怯えていたのは、弱い私だけじゃなく……智太郎もだったんだ。智太郎の震える吐息が私の翼耳にかかり、必死に耐えていたはずの臆病が溶けて混じる。触れられない幻想なんかじゃない。生きた刺激は、融解した衝動を連れてくる。

 

「狡い私を、知られたくなかったの」

 

 今だけは……甘えても良いよね。抱え込んだ罪と穢れた愛は私を許さない。それなのに目尻に滲んでしまう冀求ききゅうと安堵のまま、私は智太郎の背に縋っていた。息をついた智太郎は応えるように、頭を撫でてくれた。

 

「根源を介しての智太郎おれの感情の覗き見だけじゃなく、炎陽ジジィの趣味だったとはな」


「『魅了』と言え、低級な後裔こうえいが! 」


 私を『肉』に選んだ炎陽の気配が背後に迫る! 複製コピーした『魅了』の緋色に瞳を染めた智太郎は、かいなの中の私に炎陽の方を向かせなかった。緋色纏う炎陽えんように、花緑青の陽炎かげろう操る智太郎が、鏡合わせの『魅了』で相殺したに違いない。炎陽の苦々しい舌打ちが、耳に残ったから。 

  

「低級を見下す傲慢さは、脆い高座を蝕まれるぞ!」


「ならば黒曜おまえ自身が試してみるがいい! 天への下克上など、太陽おれの前では成し得ない! 」


 漆黒の焔を顕現した黒曜が、愉しそうに高笑いする炎陽へと刃を構えた時。踏み出した紅音は私達へ片掌を向け、動かぬように、と伝えるように黒曜の前に立つ。


「貴方達は、自分の守るべき者を守りなさい。私は私の復讐を果たす」


 だが紅音は炎陽を睨め付けるだけで、獲物への跳躍を構える猫のように直ぐに動こうとはしなかった。狙っているのだろうか。


「まさか、躊躇っているのか? どの肌を穿っても引き裂いても悦ぶように……紅音の身も心も殺しつくした、この俺への憎悪を果たすべきだろ」


 しとねにて彼女の意思を歪ませ『魅了』で殺し続けてきた炎陽に、紅音の翡翠のまなこが陰る刹那。紅音は、屈辱混じりの苦痛に抗うようにかんばせを顰めた。生きる為の閃光が、瞳孔に宿る。


「最低な炎陽あんたなんか、なぶり殺してやりたいわよ! けどね、翠音への炎陽あんたの答えを聞いて……私の復讐の形は決まったの。罪の重さを明確に理解してない、ケダモノ炎陽あんたを気持ち良く葬ってあげるだなんて、私のえつが足りないじゃない。炎陽あんたに情が残っているならば、珠翠かあさまの遺言通りに『家族愛』へ目覚めさせてやるわ! 精々、生き地獄で罪悪感に殺されなさい。として! 」

 

 跳躍した紅音を視線で追えば、彼女の翡翠の花鋏達と緋色纏う炎陽の大太刀が高い金属音と火花を散らす! 不敵な紅音は魅惑的に微笑した。たおやかな白腕で炎陽の胸を突くと、宙を舞い後退する! 不意をつかれた炎陽のかいなの中から、彼女がかっさらったのは……『翡翠の頭蓋骨』だった! 愛しむように頭蓋骨を一度抱くと、紅音は向かい合った『亡き母』へと歌う。


『 太陽の露は、針と睫毛に濡れた跡

  あしあぬあくあらあいあなあらあ

  貴方と私の純恋歌を、緋毛氈で呪うべき

  いよいみいがいえいっいていよい

  入れ子の外の、入れ子に死を 』


 緋の針先千本に、規則的な朝露光る葉。紅音の足元から顕現した、不自然な朝露に擬態する毛氈苔モウセンゴケを忌まわしむべきなのに……橄欖石ペリドットの葉は陽光に透き透る。緋の針と朝露の御簾みすから垣間見る、くれないの睫毛の彼女は美しかった。

 

 毛氈苔は『翡翠の頭蓋骨』を包むように溶かすと、消失した。紅音に授けられたのは、翡翠の盃。透明な雫で盃が満たされた理由は、『母』をに違いない。

 

「まさか……珠翠の『肉』になる気か!! やめろ、紅音!! お前が消える必要など無い!! 」


 自尊心プライドをかなぐり捨てて咆哮するのは、傲慢な彼らしくない。盃を手にすることで自分自身を人質にした紅音を、刺激出来ずに歯噛みした。

 紅音は牙を見せて酷く嬉しそうに笑った。炎陽よりも炎陽に似た、傲慢な笑みを浮かべる悪戯な長女だ。


「刃向かった私を殺せなかったのは翠音もだけど、炎陽とうさまも同じでしょ? 愛しい娘が消える瞬間の炎陽とうさまの顔を見るのはえつだろうに……見れないなんて、残念だわ」


 呆然とする翠音に、向き合った紅音は遺言を告げるように冷静だった。 

 

「翠音は人の世に焦がれる私のことを想ってくれていたけれど、私は貴方が外の薄暑光はくしょこうで掌をかざす方が嬉しいの。喉が焼けて、もう歌を歌えなくても。泡になっても、翠音が自由な足を浸せる白波になれるなら悪くない」


「紅音が珠翠かあさまになる必要はありません! 珠翠かあさまを演じ続けるのは、これからも私であるべきです! その盃を渡してください、紅音! 」 


 翠音が懇願するように叫んでも、紅音は動かない。

  

「駄目よ。翠音は、『色獄の花嫁』として珠翠かあさまを既に演じ切った。今度は私が『家族』の為に演じる番。……私が一番珠翠かあさま似なんだから」 


 今程、翠音が珠翠に似つかなかった事を恨んだ瞬間は無いだろう。自分を責めるように唇を噛んだ翠音は瞳を潤ませた。

 

「そんな顔しないで。私が消えたら、ざまぁみろって珠翠かあさまに貶められる炎陽とうさまを笑いなさい。翠音が笑わなきゃ、私の復讐にならないじゃない」


 けもの耳を伏せて泣き笑いしたのは、盃を手にした紅音の方だ。命を懸けた紅音の静かな復讐に、私達は動けなかった。彼岸花の花糸かしの睫毛は、潤んだ翡翠のまなこを眠らす。その唇の奥。傾けられた盃の中の『母』は娘へと注がれた。 

 

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