第百八十話 幸を盃にて服す
―_-◆_+★_*+-【 千里 目線 】-+*_★+_◆-_―
赤すぎる『孔雀ノ間』にて、緋色の陽炎を纏った炎陽はゆらりと立ち上がる。私の『肉』を欲し、珠翠の『骨』と私の『骨』を入れ替えようと。『赤い骨箱』から取り出した『翡翠の頭蓋骨』を抱く炎陽は、緋色の双眸を禍々しく見開く。
「私は貴方との取引に応じない。先約があるの。『妖』が『人』として生きれる未来へ導く可能性を持つ、
「黙れ。『弱い人の生』に縋る不確かな可能性に賭けるなど、お前達の死までの時間が無駄に消えるだけだ。お前が欲するべきなのは、智太郎が
根源が欠けた今の私では紫電をピリつかせても、彼には勝てない。終いに圧倒的恐怖に支配されてしまって、立ち上がろうとするが膝が笑っている。精神防壁を剥がされ、『魅了』にも抵抗出来ないだろう。
猫屋敷への入口は分からない。隧道へ逃げて、黎映達に助けを求める? 駄目だ、なけなしの理性は立ち塞がる。
――愚鈍にも動けない私を、炎陽は獰猛に押し倒す!
「安心しろ、『魅了』で痛覚を焼いて快楽に変えてやる。
死の
睦言に堕ちてしまえば、私は最期。こんな風に、
炎陽は私の目を捉えようと、顎を掴む。翡翠の眼窩に
「助けて……
翡翠の眼窩から瞬く間に生じた春塵の影は、この部屋の『赤』を塗り潰す! 影から化した『紅の花嫁』は
「ようやく見つけたと思えば……千里に、何をなさっているのですか。炎陽様」
「翠音か。珠翠を蘇らせる為の『肉』を選んだんだ。これから、珠翠の『骨』と濡羽姫の『骨』を取り替える。翠音が、俺の為に珠翠を演じる必要はもう無い」
私と炎陽を見比べた翠音は辛い衝動を堪えるように、くしゃりと
「まるで、貴方に喰われてきた自分を客観的に見ている様です。何故でしょう……貴方に触れられるなら、苦痛ですら愛しかったのに。
「自分の事は、自分では分からないものだ」
「それは……炎陽様も同じです! 親愛なる友人を、私に返して下さい! 」
決壊した衝動を叫んだ翠音は、『孔雀ノ間』を影沼に染める! 炎陽が覆い被さる視界から急激に遠ざかり、音無しの影沼に沈んだと思った瞬間。影に染まった岩壁に
「私は、貴方の珠翠になりたかった! 涙を流さずとも貴方が……泣いていたからです。何故私を『肉』に選ばなかったのですか! 今からでも遅くありません。私を、選んでくださいませんか……」
「それは出来ない。より強靭な再生力を誇るのは、濡羽姫だ。それに……翠音は、
躊躇いを思い出したように、空虚な彼は獰猛さを手放した。やはり、彼には『人』の残滓がある。緋色燃える大太刀を顕現した炎陽は、翡翠の頭蓋骨を抱いて影沼に立つ。水面の波紋は、影沼を顕現する翠音の足元へと繋がった。
「今更、血縁を言い訳にするのですか! 遅い、ですよ。私は、もう貴方を
「なら、私達には好都合じゃない? 」
苛烈で澄んだ声がくぐもって聞こえた時、影が塗り潰す岩壁に罅が走った。
「逃亡劇は、もう終いだ! 」
岩壁を揃いに蹴り上げ破壊したのは、眼光極まれり白銀の少年と紅の少女。
「智太郎……黒曜……。なんで、二人がここに」
振り向いた黒曜は茫洋とする私の代わりに、鋭敏な痛みを感じるかのように睫毛を伏せる。
「……待たせて悪かった。私の
思わず自身の心臓の鼓動へ手を当てると、殺気にも似た
怯えに肩を竦めた瞬間――私は腕を引き寄せられていた! ほのかな
「俺が問い質す前に勝手に消えようとするな、この馬鹿! 散々逃げ回りやがって。千里が居なくなる方が、寿命が縮まるから……お前がやってることは逆効果なんだよ」
別離に怯えていたのは、弱い私だけじゃなく……智太郎もだったんだ。智太郎の震える吐息が私の翼耳にかかり、必死に耐えていたはずの臆病が溶けて混じる。触れられない幻想なんかじゃない。生きた刺激は、融解した衝動を連れてくる。
「狡い私を、知られたくなかったの」
今だけは……甘えても良いよね。抱え込んだ罪と穢れた愛は私を許さない。それなのに目尻に滲んでしまう
「根源を介しての
「『魅了』と言え、低級な
私を『肉』に選んだ炎陽の気配が背後に迫る!
「低級を見下す傲慢さは、脆い高座を蝕まれるぞ!」
「ならば
漆黒の焔を顕現した黒曜が、愉しそうに高笑いする炎陽へと刃を構えた時。踏み出した紅音は私達へ片掌を向け、動かぬように、と伝えるように黒曜の前に立つ。
「貴方達は、自分の守るべき者を守りなさい。私は私の復讐を果たす」
だが紅音は炎陽を睨め付けるだけで、獲物への跳躍を構える猫のように直ぐに動こうとはしなかった。
「まさか、躊躇っているのか? どの肌を穿っても引き裂いても悦ぶように……紅音の身も心も殺しつくした、この俺への憎悪を果たすべきだろ」
「最低な
跳躍した紅音を視線で追えば、彼女の翡翠の花鋏達と緋色纏う炎陽の大太刀が高い金属音と火花を散らす! 不敵な紅音は魅惑的に微笑した。
『 太陽の露は、針と睫毛に濡れた跡
あしあぬあくあらあいあなあらあ
貴方と私の純恋歌を、緋毛氈で呪うべき
いよいみいがいえいっいていよい
入れ子の外の、入れ子に死を 』
緋の針先千本に、規則的な朝露光る葉。紅音の足元から顕現した、不自然な朝露に擬態する
毛氈苔は『翡翠の頭蓋骨』を包むように溶かすと、消失した。紅音に授けられたのは、翡翠の盃。透明な雫で盃が満たされた理由は、『母』を
「まさか……珠翠の『肉』になる気か!! やめろ、紅音!! お前が消える必要など無い!! 」
紅音は牙を見せて酷く嬉しそうに笑った。炎陽よりも炎陽に似た、傲慢な笑みを浮かべる悪戯な長女だ。
「刃向かった私を殺せなかったのは翠音もだけど、
呆然とする翠音に、向き合った紅音は遺言を告げるように冷静だった。
「翠音は人の世に焦がれる私のことを想ってくれていたけれど、私は貴方が外の
「紅音が
翠音が懇願するように叫んでも、紅音は動かない。
「駄目よ。翠音は、『色獄の花嫁』として
今程、翠音が珠翠に似つかなかった事を恨んだ瞬間は無いだろう。自分を責めるように唇を噛んだ翠音は瞳を潤ませた。
「そんな顔しないで。私が消えたら、ざまぁみろって
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