第百八十四話 プールサイドに四季集う


 『人』になってから、この半年間『蛍雪けいせつ中学校』で学んだのは、『人』は酷く群れるということだ。臆病な生き物だということには、共感しよう。


 名前を呼ばれる迄、臆病な私は背中を焼く熱射から逃れて木陰に逃げる。プールサイドにはみ出した松の木の下。私の膝の間には、小さな孤独と安寧があった。


 蟻、蟻、蟻……。


 湿った石タイルの溝の苔に、侵入者あり。潰せる程、虫にも無視にも耐性は無いくせに。同じ木陰の下で休む同級生達から、私はそっと距離を置いて居る。


 視たくない【黒い糸の絡まり】を洗い流したくて、私はプールサイドの洗顔器で目を洗う。蛇口から出る水道水で目を洗うなんて、今の時代なら有り得ないらしい。実際、有るのに使う人は稀だ。


『二股の蛇口から上に、水が出るの。知ってる? 私は割りと、気持ち良くて好きだったけど』


 私にそう告げた母はここには居ないし、もう絵本に触れる事も無いのだろう。私に『家族の夢』を説く必要など、無くなったのだから。


埜上のがみ! 」

 

 残念、呼ばれてしまったようだ。いや、かえって良かったのかもしれない。もっと冷たい水で、私の心臓と同化した『太陽』も洗い流したかったから。赤い鉄板で踊る童話の刑罰の如く、ざらついた石タイルは歩む足裏を焼いた。


 ――甲高い笛の音は裂く。青空に昇っていく白すぎる入道雲が、私を脅かす。


 死刑台とびこみだいに立つ私は宣告を受け、くうに。白い陽光に煌めいて透けるシアンブルーに吸い込まれる。水面に叩き付けられ、冷たさに竦んだ肌は馴染んでいく。消えかけの笛の音はくぐもって遠くなる。


『 他者と切り離された静寂。有るのは自己のみ 』


 割と悪くない。塩素を無視すれば、このまま氷漬けにされたら綺麗な水晶になれるんじゃないかと思う。身体に巣食う熱を殺して欲しい。息を止めた私は本当にこのまま消えてもいい……と思ったが、残念ながらプールの中は独りじゃないのだ。また次の死刑囚どうきゅうせいがやって来る。


 揺蕩うのも諦めて、銀の手摺に命を救われよう。あんなに冷たくて好きだったのに、肌と髪を滴り落ちる生温い雫が今は不快だ。


咲雪さゆき……足長いなぁ。良いな、私も咲雪みたいになりたい」


 上がりきった階段の上。先にプールから上がった鶯色の髪の少女が居た。慣れぬ黒紅色の髪から水滴を散らす私に近づき、くりくりした杏眼で遠慮がちに見つめる彼女の名は確か『秋陽あきひ』。もう一人の同級生『那桜なお』と何時も二人組で居る大人しい彼女が同級生の輪に戻らず、未だ馴染めない転校生のけものに何の用なのか。


「私に媚びなんて売っても、得なんて無い」


 バッサリと好奇心を切った私に、予想通り秋陽は何も返せずに顔を強ばらせる。胸をチクリと刺す針を無視して、彼女の前を通り過ぎようとするのに意外な結末が待っていた。


「得はあるよ、私が咲雪と仲良くなれる。……もっと話してみたくて、今日は勇気出してみたの」 


 臆病な瞳孔に宿す光は迫力が無いのに、秋陽の前から私は去れなかった。結局、私は誰かから話しかけられるのを待っていたのか。不甲斐なさに呆れてしまう。


「何で私なの」


 次いだ言葉は、結局秋陽の歩み寄りに期待している。

 くしゃりと嬉しそうに笑った秋陽に。


「何でだろ。咲雪の事が知りたくなったから、かな」


「……私なんかの事が知りたいの? 」


 秋陽の好奇心の持続に期待しているのに、身の内の秘匿に触れられるのを恐れている。隠した白銀の髪に触れられて、秘匿が弾けたら……私はもう学校ここには居られない。


 開け放たれた校舎の窓から、蝉の声と混ざった誰かのアコーディオンが聞こえる。音楽の授業で練習中なのは明らかで、下手くそ。歩み寄れない私も人の事は言えないけど。

 

 それでも頷く彼女に、ほんの少しだけ期待してしまったのは……諦めかけの『愛』だった。


  

 プールサイドで話しかけられてからというもの。当たり前のように、秋陽あきひは私に話しかけてくる。彼女も臆病なのに、よくやるもんだと観察した。私は『変わり者』のレッテル付きなのに。

 

 席から立たない私は『変わり者』だとしても、境界線からはみ出してない。愛想が悪くて、少し話しかけずらい『人』くらいで収まっているはず。同級生かれらの輪の中に手を伸ばしてみたい好奇心と期待と、触れないからこそ綺麗な憧れであり続けられるんだという諦念の境界線を、白線の上で遊ぶみたいに辿り続けていた。


 私の愛想が悪いのは、『妖』であることを秘匿する自己防衛本能だから今更止められない。私の半分は『人』だというのに、小動物の心臓が目まぐるしく早鐘を打つように忙しなく時刻ルールを守る同級生クラスメイトを理解出来ないでいた。束縛されるのが嫌い、では教室に一人残る理由にならないだろうか。


「咲雪、次の授業始まっちゃうよ? 行かないの」


 小首を傾げる秋陽は、今日も私に話しかけてくる。ほんの少し、私も期待に心を許してしまったからか。白状してしまうと、秋陽に話しかけられるのは悪くないが……秋陽といつも共に居る那桜が可哀想だと思う。


「行かない。ちょっと調から」

 

  驚愕に瞠目する秋陽が私を心配して教室に残れば、不安そうに秋陽を顧みる那桜はたった一人で移動教室である化学室に行かねばならない。、正直『ざまぁみろ』と思わなくもない。私は、同級生クラスメイト達に怯える臆病な那桜が嫌いだから。同族嫌悪、という奴なのは理解している。


「大丈夫!? 保健室一緒に着いていくよ! ……那桜、ごめん。私、咲雪を送っていくから遅れるって、先生に伝えといてくれる? 」


「……良いけど」


 私は、思わず小さく微笑してしまうのを隠せなかった。踵を返す直前、那桜はそんな私を得体の知れない者でも見るかのように眉を顰めた。胸がすく。

 だが、私の賭けに気づいた様子の無い秋陽に、那桜は何も言えないまま教室を去る事しか出来なかった。


 ――残された二人きり。さぁ、どう彼女を籠絡しようか。双眸を密かに花緑青はなろくしょうに染めた私は、心臓である白い太陽の根源から【】を引き摺り出した。


「咲雪、立てる? 」


 頭を押さえるをする私に、何も知らない秋陽は手を伸ばす。

 

「秋陽は、感情にもがあることを知ってる? 私、それがの 」


「え……? 感情……? 」


 唐突な私の問いに、戸惑った秋陽の内には黒い額縁が視えた。切り絵みたいな【紫の白粉花オシロイバナを咥えた金糸雀カナリア】が揺らぐ。驚嘆の内の不安だった。


「信じたければ、信じてもいいよ。……まぁ本で読んだ『』だけどね」


 私は下賎な占い師の手口を使った。不思議な能力が目の前に存在すると仮定する事で、未知への不安と好奇心により普段とは違う心の揺らぎがし、突飛な質問にも答えやすくなる。だから。偽物かもしれない、と逃げ場を作れば心情を閉ざしたりもしない。まぁ、【感情視】の能力は本当なんだけど。

 案の定、秋陽は苦く【花緑青はなろくしょうの鍵】に微笑した。好奇心と信頼。


「咲雪、真面目に言うから……普通に信じそうになったじゃん。具合悪いんじゃなかったの」


「『具合が悪い』のは本当。ちょっとまだ動けない。が和らぐまで、私の冗談に付き合って」


「……良いけど。無理しないでね」

 

 秋陽に【鴇色ときいろの包み込む翼】の優しい心配が宿り、私は口元に小さく弧を描く。


「じゃあ、『冗談』ついでに質問。秋陽は前に私の事が知りたくなったって言ってたけど……私の何が知りたいと思ったの? 」


「んー、そういうミステリアスな咲雪が、本当は何を考えてるか知りたいかも。咲雪は誰も寄せ付けない高貴な感じなのに、最近は別に私を邪険にする訳じゃないよね。……不思議で」

 

「簡単だよ。多分私は、秋陽にしているから」


「……何を? 」


 私は、黒檀こくたん色の杏眼を瞬く【山吹色のからの花籠】の秋陽には答えるつもりは無い。しているのは彼女も同じみたいだけど。


「今度は、私の質問の番。秋陽は何で私に興味を持ったの? 」


 私が『隠世 猫屋敷』から人の世にして来てから、半年は経った。目新しい転校生として、話しかけられる時期はとうに終わっていた。大抵の同級生クラスメイトは、期待と諦念の間で遊びつづける愛想の悪い私のせいで去っていったが。


「今更と言うか……前からだよ。話しかけるには、ちょっと遅すぎたよね」


 気まずそうに目を逸らし、【震える花緑青はなろくしょうの硝子花瓶は、やはりから】を閉ざそうとする秋陽に私は確信する。

 

 空っぽの退屈な日々で、秋陽は何もかも満たされないで居たらしい。秋陽は『転校生』である私に好奇心を満たして貰えることを期待していた。

 しかし臆病な秋陽は、同じように好奇心を埋めようとする同級生クラスメイトに気圧され、囲まれていた私へ話しかける機会を失ってしまった。

 だから……秋陽は待っていたのだ。流行りを過ぎた売れ残り品のように、私へ向けられる同級生クラスメイトの興味が消失するのを。


「ふぅん……秋陽は私に好奇心を満たして欲しかったわけ」


 私から見れば、同級生クラスメイトに飽きられた今になって話しかけてきた秋陽が疑問だったのだが……。秋陽にとっては、手の届く高さに墜ちてきた機会を掴んだだけだったのだ。


「そんな訳じゃ……独りでも平気そうな咲雪が気になっただけで」


 秋陽は【軽薄な梅鼠うめねず色の仮面】に俯く。偽善は要らない。私が欲しいのは、真実だけ。

 

「別に悪い事じゃない。私が貴方にしてたのだって、欲しい物があるからだし。……私が秋陽の願いを叶えてあげるよ。『好奇心』を満たしてあげるから、代わりに私に『対価』を頂戴? 」


 答えを得た私は【感情視】を解き、秋陽の前に立つ。意識して魅惑的に微笑する。秋陽をする為に。願いと引き換えに『対価』を要求するなんて、私もやはりなのだと『人』の私を嘲笑う。


「……咲雪が、私なんかに欲しい物なんてあるの? 」

 

「あるよ。私が同級生たにんを相手にしなかったのは、結局中身が下らないって分かってたから。期待を裏切られるのが怖かったの。秋陽は、私の期待を裏切らないでくれるよね? 」


 秋陽が手を伸ばしやすいように、微笑を解いた私は『寂寞』を滲ませる。

 

「私、本当の『友達』が欲しい。


 弾かれたように、臆病なはずの秋陽は私を真っ直ぐに見つめた。真っ直ぐな杏眼は、彼女が本来持っていた強さを磨く。やっぱり、期待通りだった。


 ――その桜色の唇で、秋陽が紡いだ答えに私の望んだ『対価』は満たされた。

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