第百五十三話 愛に狂えよ、我が獣


 珠翠と入れ替わる度。俺はを与えられるようになった。俺の部屋で待つ彼女との濃厚な逢瀬おうせを夢心地で待てば、我が身に与えられるどんな屈辱も甘んじて受け入れられた。最後は全て、彼女が塗り替えてくれるから。珠翠に帰らないで欲しいと乞うのに、冷静な彼女が頷く事は無い。


わらわが遊女屋に帰らぬ時は、この演目が終わる時だ。炎陽おまえはそれを望まないだろ? それに、妾が『禿かむろ』から『振袖新造ふりそでしんぞう』になれば、この芝居自体が無くなるだろう」

 

 夢は永遠に続かない。幼くも艶めかしい背に着物を羽織る珠翠は、いつ『振袖新造』となり『花魁おいらん』へ向けた修行を始めても可笑しくない。『振袖新造』となれば……密かに客をとる者も居るらしい。

 

 彼女の肌を他の男が犯すのを考えただけで、俺の胸の内は喰い荒らされる。既に身体を売っている俺が彼女に独占欲をいだくだなんて、随分烏滸おこがましいじゃないか。


「珠翠がずっと『禿』で居ればいい」


「ふふ、可笑しな事を言うものだ。妾が成長しないばけものだと明かされたなら、只では済むまいよ。それとも炎陽が、『花魁』となった妾の脚を温める『猫』になるか? 」


「『猫』になって、珠翠が抱き続けてくれるなら」

 

 甘えるままに珠翠を抱きしめると、微笑した彼女は俺の頭を撫でてくれる。

 だが珠翠を引き止められないのは、身体を手に入れても彼女の心は俺の物で無いからだと突きつけられた。『翡翠骨牌ヒスイカルタ』により、本当の自我すら曖昧な彼女の心を手に入れる事など可能なのだろうか。


 ――曖昧な珠翠の存在を『確定』させられたら。


 珠翠も、これからも俺を愛でてくれるだろう。この夢を続く現実にしたい……。


 安寧の見えぬ終末にジリつきながら、抗う方法を模索する中……俺は花街にある奇病が流行っている事を知る。


夢香病むこうびょう


 夢現ゆめうつつで目が覚めると、知らぬ残り香。そして香が絡む身体の一部が酷く痛みに侵されており……やがては悪夢により死にくらしい。高名な医者を呼んだ客もいたらしいが……原因は不明。治療方法も無く、かかってしまえばしまい。お陰で客や花街連中は眠るのを恐れ、夜通し『宴会』をするようになったらしい。朝に眠りにつけば『夢香病』にならないと、まことしやかに囁かれていたからだ。


「妖狩人の客の話によると、らしい」


 俺が兄のように慕う“散る花”の陰間。藍菊あいぎくは、俺に語る。いつものように、俺が『入れ替わり』を果たした駄賃を握らせて。


「時折、妖は獲物を逃がすんだそうだ。血肉を直接喰らわずとも、人に痛みを与え、ある力を奪えるだとか。ええと、何と言う力だったかな……」 

 

生力しょうりょくだろ」


「それだ。……何故炎陽が知ってるんだ? 」


「……俺も客から聞いたんだ」


 俺は、小首を傾げる藍菊に真実を答えられない。俺が視える若葉色の光を『生力』だと教えたのは、妖である珠翠だから。

 

「なら、その客も言っていたんじゃないか? 妖が潜んでいるかもしれないから、数日中には、夜明けと共に花街全体があらためられると。いや、聞いたのが少々前だからもう始まっているか? ……恐ろしいな、人を喰らうばけものなど早くして欲しいものだ」


 俺は反射的に湧き上がる怒りを吐き捨てる前に、事実が染み込むと臓腑が鉛のように冷えて行く気がした。


 ――今が、その夜明けだ。

 

「悪い、藍菊。俺、今すぐ遊女屋に行かないと!! 」

 

「炎陽!? 」

 

 珠翠なら『翡翠骨牌ヒスイカルタ』で完全に身を隠せるはずだと思うのに、嫌な予感は拭えない。焦る藍菊の声を置き去りに、俺は陰間茶屋から駆け出していた!

 

 珠翠が人を喰らう妖である事くらい、分かっていた。それでも俺は珠翠がいい。俺にとって珠翠は化け物なんかじゃない。妖だとしても、珠翠じゃなきゃ俺は救われない!

 

 通い慣れた道を走ると、あの遊女屋の周りには距離をとった野次馬。俺を振り返り驚愕したのは……花魁、飛鶴ひづる。青ざめた彼女は、過ぎ去ろうとする俺の肩を掴んだ!


「遊女屋に入っちゃ駄目、炎陽! 」


「離せよ! 珠翠は遊女屋あのなかなんだろ! 」


「あんた…………? 」


 呆然と俺の肩から手を離す飛鶴に、してしまった。今、遊女屋に残るのはやはり……。


 歯を食い縛り、遊女屋へ飛び込む! 階段を駆け登ると、花街には相応しくない武具を纏った物物しい妖狩人達が、愛しいくれないの少女を取り囲んでいた。静かに睫毛を伏せて俯く珠翠へ、最後の陽光を与えるように開け放たれた窓から朝日が差し始める。

 

禿かむろ、『珠翠』。お前が『夢香病』にて花街の人々を喰らっていた、原初の妖『孔雀』だな」 

 

「違いない。林檎は、蜜のある内側から喰らうべきだからな。 妾の正体を見抜くとは、思ったよりも妖狩人おまえたちは優秀だ」

 

「お褒めに預り光栄だ、原初様。『夢香病』と同じく特徴的な香が、呪われた人々以上にお前から今も強く香っているよ。その香は、夜に接触したえさを呪う為におまえの血を化しただろう。……抵抗はしないのか」


「ああ……もう演じるのは、疲れた。妾を殺せるなら、殺してみよ」


 このままでは、彼岸花の花糸かしの睫毛が、珠翠の命その物である『翡翠』の瞳を閉ざしてしまう!

 

「俺を置いて行くな、珠翠! 」


「炎陽? 」


 命宿る双眸で俺を捉えた珠翠に泣きたいのに、俺は笑っていた。人が妖を救う正義の味方ヒーローになったって、良いだろ?


「悪人共! 端金はしたがねだが受け取れ!」


 俺は藍菊から受け取った駄賃の紐を解き、思い切り妖狩人あくにんに投げつける! 鎧とぶつかった、散らばる鈍い金属音が一瞬の隙を生む!

 俺は妖狩人達の間をぬらりとすり抜けて珠翠を抱き、開け放たれていた窓へ飛び降りた!


「人のくせに、この阿呆が! 」


 珍しく動揺した珠翠が、翡翠色の妖力を顕現けんげんして着地の衝撃を和らげてくれた。まるで、孔雀の羽が優しく身体を包み込むようだった。

 

「阿呆にもなるさ。大事な女が殺されそうならば」


「妾は妖だぞ? 串刺しにされようが簡単には死なん。……だから離せ」


 決して離さぬように、珠翠を抱き抱えたまま俺は駆ける!


妖狩人あいつらに殺されたら『珠翠』は居なくなる。……そうだろ? 」

 

 ハッとしたように珠翠は俺を見上げた。揺らぐ翡翠の双眸が小さく潤み、震える彼女は俺に小さくしがみつく。

 

「……花街ここでの妾は、やがて忘れさられる『花魁』であり『陰間』であり、一夜の慰み者の『夜鷹よたか』。そして、炎陽おまえの愛する『禿』である珠翠だった」


 珠翠は容姿と性を操る『翡翠骨牌ヒスイカルタ』でいくつもの顔を演じ、身体に接触した花街の人々を『夢香病』で呪い、生力を得ていたということか。彼女が『珠翠』以外も演じていた事実が胸に刺さり、俺は裏切られた気がした。


「だが演じていたのは、生きる為だった。 じゃなきゃ、俺を喰わずに『玩具』にして自分に執着させたりしなかった。珠翠は消えるのが怖かったんだろ!」


 珠翠は耐えかねたように、その双眸から涙を伝わせた。

 

「玩具にしては、妾はまだ人の炎陽おまえを愛玩し過ぎたな」


 俺達が必死に逃げても、妖狩人達は強靭な脚力で追いかけてくる。彼らに、ついに橋へと追い詰められた時。珠翠は儚く微笑すると、俺を突き放した!

 

「妾への……愛に狂えよ、我が獣」


 その囁きが愛しい微笑ごと、堕ちて行く。

 伸ばした手は、珠翠の紅の髪筋にすら届かなかった。

 俺は引き裂かれる想いに、本能的に叫んでいた!

 

「なら、お前も! 」


 身体も心も! その魂ごと『魅了』して抱き締め、珠翠の存在を『確定』させてやる!

 

 キラキラと陽光を弾く水面に吸い込まれる瞬間……珠翠は溶けるように甘く微笑した気がした。

 

 翡翠の宝玉は、生まれた川へと帰っていっただけだ。

 だから、珠翠は絶対に生きている。

 俺は彼女を信じて、妖狩人達を振り返った。


妖狩人あんたらに珠翠は追わせない! 絶対にだ! 」


 悪人への憎悪により内側から生じる灼熱を、俺は歓迎しよう。反転する視界の内。若葉色の生力が灼熱に化し『俺』を溶かしていく。あまりの灼熱に、俺は脳髄が焼き切れてしまいそうになる。

 

 ――熱い。全てが白い。何もかも、灼熱の太陽に消えていく。

 

 妖が夜に蔓延るだなんて、誰が言い出したガセなんだ? 緋色の妖力を顕現し『太陽』から化した俺は、堂々と朝陽の下で悪人共を喰らうぞ!


 おれは、夜明けの太陽に咆哮した!

 獣の爪で切り裂く度、鮮烈なあかは散る。

 人は弱い! 俺は何を躊躇っていたんだ!

 

 妖狩人達全てを殲滅せんめつし終えた時。

 川へと意識を惹かれて、俺は見下ろした。

 

 けもの耳と尾を顕現する、強き『男』の妖。


 奇跡のように精巧なかんばせに、かぐわしい獣のような色香を纏う。冬を思わせるはずの白銀の髪は、気性を示すような荒々しさと、緋色に燃え盛る双眸により裏切られる。束ねた長い後ろ髪と尾が重なれば、二股の尾に錯覚した。

 

 水面に映るのは、原初の妖『猫』だった。 


 体温を重要視する『猫』は水が苦手だ。この体温で、俺は。だから俺はんだ。


 一体、誰を?


 頬に温かい涙が伝っていた。『男』のくせに、俺は何故泣いているのか。

 

 振り返ると、血塗れた惨状に怯えた人の『女』。

 華やかなの彼女からは、甘い香りがする。既に殺した『男』達の硬い肉よりも、柔らかくて喰いごたえがあるだろう。肉を犯す愉しみもあるなんて、一石二鳥だ。


「珠翠は……生きてるの? 炎陽」

 

「『珠翠』? お前の知り合いか」


 どうやらこの『女』は俺を知っているらしいが……おれに近づけば、喰われる事くらい分かるだろうに。見開かれるまなこすらも、なんだか心地良い。『女』は好きだ。その恐怖を溶かし、から、ゆっくりと喰らう事にしようじゃないか。


 俺は緋色の双眸に『魅了』の異能をのせて手を伸ばし、『女』へと魅惑的に微笑する。温かい『女』の魂の手触りは、やはり心地良いな。その感触に堕ちた彼女は恐怖を甘く溶かし、俺に微笑を返してくれた。

 

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