第百三十三話 不均衡な相棒


 妖の世へと去った千里を探す手がかりは、簡単には見つからない。当たり前だった。隠遁された妖の世が妖狩人に簡単に見つかってしまったら、妖はとうに滅んでいただろう。原初の妖である鴉を追うとなれば、尚更だ。永い時を生きる鴉について知り得ている事など、妖狩人達にとっては少ない。

 

 だが粉雪舞う癒刻ゆこくの地において、直接刃を交えた俺達は違う。戦闘経験があるし、千里から聞いた鴉の情報がある。鴉は『己穂』という、千里の前世に執着しているのだ。そしてそれは……俺に『己穂』という名を教えた青ノ鬼も同じ。俺は奴を問い質さねばならない。青ノ鬼が……俺達を一度裏切り、何を考えているか信用がならない奴でも。


「……相変わらず、桂花宮家は内部がごちゃついているの? 」


 桜綻ぶ弍混にこん神社にて、久しく会った綾人は苦笑いすらぎこちなく、俺を伺うように問う。桂花宮内部の混乱のせいで、会うのは冬ぶりだった。


 綾人もまた、俺を一度裏切っている。青ノ鬼として鴉と戦闘を繰り広げていた美峰を救う為に、鴉への千里の言伝を受けたのだ。その言伝が、千里と俺を引き裂くきっかけになった。だが、綾人は言伝の本当の意味を知らなかった。

 『鴉の望む通りに原初の妖となる事を受け入れる』という真の意味を知った綾人の心痛を知っているから、俺は綾人を責めたりしない。だが、俺以上に自分自身を責めているのは綾人の方だった。俺と綾人は、以前のように純粋な友情だけの関係では無くなってしまった。


「ああ、酷い状態だ。誠と黎映を殺すようにめいを受けるくらいには。……千里も原初の妖と化していたら、殺すようにめいが下った」 


「まさか! めいを受けて、黎映達と千里ちゃんを本当に殺したりしないよね!? 」


 血の気が引き驚愕に叫んだのは美峰。彼女が居るおかげで、綾人とのぎこちない仲も緩和している。

 美峰の為に千里を犠牲にする形になってしまった綾人を、叱咤した彼女は許さなかった。だが彼女の正確な罵倒は前向きで、綾人は立ち直る事が出来たのだ。


「当たり前だ、そんな腐っためいを承諾する訳が無い。だが、擬似妖力術式系の家門が危機を抱いているのは事実だろう。伊月誠により、根源である妖達が一気に解放されてしまえば血腥い戦闘になる」


「少なくとも黎映は、そんな選択を誠にさせない。共に妖の世を選んだ覚悟は、望む安寧の為だ」


 眼前で伊月家兄弟を見送った綾人は、青みがかった双眸に強い光を宿す。綾人は時と共に、別れを告げた黎映の覚悟を受け入れていた。『兄弟』への想いの形は違えど、黎映と分かち合う事が出来たのだから。


「勿論、千里ちゃん達を追うんでしょ? 私達も力になるよ。元はと言えば、千里ちゃんの為に癒刻へ向かったはずなのに足を引っ張っちゃった私達のせいでもあるし」


 美峰は真摯な笑顔を輝かせ、両手を腰に当てる。妖力を奪われても、俺には共に千里を追う仲間がいる。


「助かる。……早速で悪いんだが、美峰には協力してもらう」


 麗らかな春陽は、銀色の重い光の前に意味を成さない。美峰は呆然と瞬き、眼前の出来事を理解出来ずに綾人は凍りつく。それもそのはずだ。


 ――俺は銃口を、美峰に向けているのだから。


「一体何のつもりだ、智太郎! 千里の言伝を受けた俺を恨んでいるなら、美峰は関係ないだろ! 」


 我に返った綾人は額に紺碧の二本角を顕現し、美峰を庇う。どうせ今の俺には綾人も美峰も殺せないのに、酷い慌てようだな。当たり前か。


「言っておくが、俺は別に綾人を恨んじゃいない。千里を追うには、青ノ鬼が必要だ。だが、俺は青ノ鬼やつを信用していない。青ノ鬼の気紛れに一番振り回されているのは、綾人。お前だろ? 」


 癒刻において、俺の元に青ノ鬼が現れたのは綾人が青ノ鬼に危害を加えられたから。青ノ鬼が本気なら、綾人は殺されていてもおかしくはなかった。実際は子孫である綾人を殺す気は無かったようだが、青ノ鬼の気紛れで、いつ風向きが変わっても不思議じゃない。

 

「そうだけど……それが何故美峰に銃口を向ける理由になるんだ! 」


「今の俺は妖化出来ない。お前らと違って、無力なんだよ。妖力の代わりに、銃を選んだ。それだけだ。交渉ってのは、に行うべきだ」


 驚愕から覚悟を宿した眼光に変える美峰を……正確に言えばその奥に眠る『青ノ鬼』を、俺は睨んだ。

 

「……いいよ。綾人、庇わなくて」


「駄目だ美峰。俺は退かない」


 例え重機でも動かせないであろう綾人の背後、美峰は息を吐く。


「智太郎の言ってる事、分かるよ。精神の内側の世界で青ノ鬼との交渉に私が勝つ事が出来たのは、ただ青ノ鬼が力を奮う気が無くて、私が青ノ鬼を説得出来る答えを得ただけ。意思をねじ伏せられて身体の権利を奪われ続けてきたのは、私が無力なせいだから。……だから、銃を向けたままで構わない」

 

「美峰……」


「綾人は隣に居て。やっぱりちょっとは怖いから」


 臆病な微笑を小さく浮かべて、彼女は瞼を閉じる。


――青ノ鬼やつを呼ぶ為に。


 

は随分信用されてないんだね。強者の孤独ってやつ? 」


 

 美峰の物では無い、男の高い声に肌が粟立つ。その少女の瞼が開かれた時、左目は爛々と青玉せいぎょくのように輝く。額に青く輝く、二本角を顕現させた。禍々しくも重々しい妖力の気配はりあった癒刻の時のように、弍混神社の陰影を濃く染める。

 

「お前の信用ならない行動のせいだろ。自らを振り返れよ」


「よく考えたら、僕が大嫌いな智太郎に信用される必要なんて無いなぁ。そんなもので、僕と対等になったつもり? 」


 嘲笑を板につけた青ノ鬼は、少女の髪筋にすら気魄きはくを巡らせて近づく。美峰の細い指先であるはずなのに、青い妖力を纏っているせいで掴まれた銃は軋む。顔を顰めた俺は頬が引き攣るのを隠せない。青ノ鬼こいつからすれば、今の俺は虫けら以下。それでも俺は青ノ鬼こいつから、妖の世へ去った千里の手がかりを絶対に引き出す!


「虫けらでも口はあるんだ。お前は千里が何処に居るのか、知っているんじゃないか」


「何故千里を追う? 彼女を殺す為であるならば、僕はお前を殺すと言ったはずだ。最も、原初の妖を人が殺せるはずも無いがな」


「……千里がもう人では無いと言いたいのか? 」

 

 最高の冗談がツボに嵌ったように、青ノ鬼は甲高く耳障りに笑う。


「分かってるだろ。 君の心臓に突き刺さっている棘の正体が。君から妖力を奪い続ける千里が、人と妖の狭間に立ち続けられるとでも思うのか? 」


 俺は唇を噛んだ。青紫と紅紫色の紫電は、妖の欠片だ。人の器を破壊してしまうはずだった心臓から、常に妖力を奪われている事で擬似的に俺は『ただの人間』になっている。そんな荒業を保ち続けられるのは……『人間』では有り得ない。


「しかも君は妖力を奪い続けられているだけで、完全に人になった訳では無い。生産し続けては消える妖力に反発され、生力由来術式すら扱えないだろ? 今の君は妖狩人ですら無いんだ」


「それでも俺は千里を追う。自分勝手に俺を救って、去った千里に文句も言えてない。咲雪かあさんが何故死んだのか本当の真実を知らなければ、憎悪すら出来ない。会わねば、自分の想いに答えも出せない。俺は『味方』で有り続ける約束を裏切った千里に代償を払わせるまで、終われないんだ! 」


「ははっ……! 『』か、良いね。……実は僕も千里には対価を払わせる必要があるんだ。己穂との約束の対価を払うはずだった千里に、対価を貰い忘れてね」

 

 俺の言葉が随分お気に召したようで、愉快そうに青ノ鬼は銃から手を離し目を細める。

 

「何がうっかりだ。お前は俺と違って、何時でも対価とやらを千里に払わせられるんだろ」


「そのはずだったんだけど。実は困った事態になっていてね。鴉とのが途絶えてしまったんだ」


「は……? 」

 

 理解出来ずに俺は瞬いて銃を下ろす。にこやかに差し出されたのは、どう見ても花柄カバーのスマートフォン。美峰の物だが、原初の妖とのに何故文明の利器が? そこはいにしえの妖の、精神感応テレパシーだろ!


「解決してくれるなら、僕も千里の居場所が分かるしwin-winじゃない? 弱い智太郎と手を組んであげるよ。千里と再会した君が彼女を殺す決断をしたら……その時は彼女の手を汚す前に僕が君を殺すけど」


 指図め監視役と言う訳だ。虫けらのように捻り潰すのは簡単だが、千里を追跡する目的を同じとする俺にはまだ利用価値があるらしい。

 

「……それでいい。俺もお前を利用してやる」


「虫けらの相棒だな。目を離した瞬間に死なないか、僕の心臓はバクバクだよ」


 棗型の眼を潤ませた青ノ鬼は、美峰の振りをして可愛子ぶりっこで胸に手を当てる。

 俺を殺そうとしてるのは青ノ鬼おまえだろ、と念を擦り込んで油断ならない相棒を睨みつけた。

 

 

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