第八章 翡翠ノ紅孔雀編(ひすいのべにくじゃくへん)

第百三十二話 星を追う者


――*―*―*―《 智太郎視点 》―*―*―*――


 

『また未来で貴方に会えるのかな? 最期じゃないって信じてもいい? 』


『信じていいよ。貴方の未来を、愛してごめん……』


 

 夢を見ていた気がする。大切な人との再会の約束を交わす夢だ。倒れた自分を、楔石のように澄み切った金の瞳で見下ろすのは凛とした美しい風貌の女性。後光を放っているように錯覚させる、腰まで真っ直ぐに届く輝く金糸の髪。極光を纏う涙で彼女の双眸は潤んだ。胸を掴む切望に、よく知る鶯色の髪の少女を重ねてしまう。その風貌は全く異なるのに。

 夢に縋りたいという甘えを否定し、俺は布団を剥いで起き上がる。夢の中では千里へ、混沌たる想いのままに問い質す事も出来ないのだ。


「疲れてるのかもな。あんなに桂花宮家内部がゴタゴタじゃ仕方ない」


 冬の間にかけられた妖狩人達の招集を思い出し、溜息をついた俺は襖を開ける。隣の部屋の主であるはずの千里は居ない。着物箪笥や全身鏡に、彼女の香りが淡く残るのに。


 金花姫は、原初の妖となる存在だった。彼女は原初の妖『鴉』の手を取り、人の世を去った。守り人である、幼なじみを半妖の死の運命さだめより救う為に。


 ――その事実は、招集をかけられた妖狩人達を混沌へと突き落とした。


 金花姫が原初の妖となる可能性を、秘匿し続けてきた桂花宮家は妖狩人達からの非難や罵倒の声が鳴り止まない。

 千里と同じく生力を操る力を宿していた、桂花宮家初代当主(彼らは鴉では無く、己穂だと認識している)も原初の妖となる可能性を秘めていた事が、妖狩人達をより震撼させた。但し、己穂は妖を屠る現人神として生を終えたが。

 

 生力を操る金花姫は生力由来術式系の家門にとって、ある種信仰される存在でもあった。生力を操る桂花宮家初代当主の兄は生力由来術式の祖だと言われているからだ。生力を操る力は、生力由来術式の発祥に深く関わっている。

 尾白家の当主であり俺の祖父、尾白 隆元 おじろ りゅうげんを筆頭に、信仰の対象を失った混乱と怒りは俺へとぶつけられた。


「やはり、お前なんぞが守り人になるべきでは無かったのだ! 半妖の死の運命を何故金花姫様に告げたのか! 」


 尾白家かれらは妖の血を継ぎながら千里の守人となった俺や、亡くなったちち咲雪ははに対する鬱憤が募るままに罵詈雑言を吐き散らした。

 

 そんな中、千里の祖父であり、俺を妖狩人として鍛え上げた恩人でもあるはずの桂花宮 正治けいかみや しょうじは更なる衝撃の事実により、妖狩人達を凍りつかせる。


「やはり、千里は


 俺は耳を疑った。歯に衣着せぬ物言いと人情の厚さから妖狩人達から好かれている正治は、決して冷酷な男では無かったはずだった。

 咲雪ははが亡くなった後、『妖』として桂花宮家と契約を結び地下牢で生を終えるか、『人』として尾白家の名を継ぐ妖狩人になるかという選択を突きつけられた俺に対し、俺と犬猿の中である尾白家との間を取り持ち、妖狩人になる選択を与えてくれたというのに。それに桂花宮家前当主である彼は、実の孫である千里を溺愛していた……はずだった。


「言語道断だ! 原初の妖となるだけで実の孫を殺すのですか! やはり父上の考えは受け入れ難い」

 

 桂花宮家現当主であり千里の父である翔星と口論を繰り広げる正治を、俺は呆然と見つめる。妖狩人達は桂花宮家の長達の醜態に固唾を飲むしか無かった。翔星と正治の長年の確執の理由が、眼前にある。


「妖は人を喰らう敵! 妖狩人ならば周知の事実だ。筆頭である原初の妖となれば尚更、人を喰らう! 今までは千里の穏やかな性格も鑑みて、ただの可能性に甘んじていたが……このような事態だ。身の内の不始末は、早めにべきだ」


「まだ千里が、原初の妖になったと決まった訳ではありません! 智太郎が最後に見た千里は『人』だったのだろう!? 」


 俺を振り向いた翔星に、雪原で別れを告げた千里の言葉を思い出す。『もう人として会う事は無い。私を好きになってくれて、嬉しかった』と告げた彼女の言葉を、自らの心臓に刺された紫電の欠片と共に秘す。

 

「はい。妖なんかじゃ……ありませんでした」


 俺は唇を噛み俯く。千里はまだ人と妖の狭間に居ると……信じていたいから。本当は、自分と妖狩人達を誤魔化す詭弁だと知っている。正治は話にならないと言うように鼻で笑う。


「だが鴉の元へ、千里が自ら行く事を選んだのは事実だ。いつ原初の妖と化してもおかしくはない。千里も桂花宮家の人間だ。『人』を裏切った代償を払う時が来ると知っていよう。……智太郎」

 

「……はい」


 鬱々として正治の前に跪いた俺は、めいを待つ。

 

「私が妖の血を継ぐお前を鍛えあげ、千里の守り人になる事を承諾した真の理由がある。生力を操る力で『人』を害した場合、原初の妖と化した場合に備えて、が必要だったからだ。……自分の成さねばならぬ事が分かるな? 」


 明かされた理由に殴られたようだった! 原初の妖となる可能性を自由と武力ごと根こそぎ奪われ、千里が『良き人』として刷り込みされ育てられていた事実に気がつく。

千里は祖父である正治を純粋に慕っていたのに、蓋を開けば醜い人の『良識』という脳髄が詰まっていた。

 衝動が貫くままに、俺は正治の胸倉を掴んだ! 妖狩人達からどよめきの声が響く。俺を正治から引き剥がそうとする、竹本や後藤を振り払う! 彼らが俺の身を案じてくれているからこそ止めるのだと理解していても、 目の前の正治おとこを許す事なんて出来ない!

 

「ふざけるな……!! 千里の自由を奪い、散々『金花姫』として崇めて縋ってきたくせに、都合が悪くなった途端に殺すのか!! 」


 だが正治は動じる事も無く淡々と続ける。師匠でもある正治は俺の実力を知り尽くしていて、反吐が出る。

 

「千里に『人』を裏切らせたのは、智太郎おまえでもある。守り人の任を果たしきれなかった責任は、行動で挽回しろ。まだ『人』であるならば、鴉から取り戻せばいいだけだ。千里が鴉の元へ行ったのは、お前を救う方法をなんだろう? 」


 千里が人と妖の狭間の存在になっていることを、俺は妖狩人達かれらに告げていない。俺が千里に妖力を奪い続けられる呪いを受けている事を秘したのは、今思えば正解だった。正治は『妖』に踏み込んだ千里を許さない。

 俺は正治の胸倉を離し、唸るように睨みつける。


「……ああ、必ず連れ戻す。俺は千里に確かめなければならない事がある」


 千里が咲雪ははを殺したのが事実だとして、俺は千里が告げた、咲雪ははを殺した理由を信じきれない。同じ孤独を分かつ為だけに、俺から咲雪ははを奪ったのだとは思えない。咲雪ははは元々生を望んでいなかった。千里の語っていない真実が……まだあるはずだ。千里が語った不器用な理由では、完璧な憎悪など保てない。

 それに『味方』で有り続ける約束を裏切った代償も、自分勝手に俺を置いて行った千里を追わねば払わせられない。千里の想いの在り処を知っているからこそ、俺は自分自身を切り捨てた千里に間違っていると叫ばねばならない!


「それと、伊月家の兄弟についても探索しろ。『縛』の術式の根源である大蛇と同化した伊月誠を見つけ次第殺せ。弟である黎映も同様だ。擬似妖力術式の根源である妖達を封じる術式は、ほぼ伊月家による過去の『縛』の術式による物だと分かった。今、擬似妖力術式の家門の根源は、妖側へ裏切った伊月家に握られている。妖に、妖狩人が従わされるなどあってはならない」


「伊月誠は兎も角……黎映は関係ないだろ。あいつは根っからの善人だ」


 綾人達から、誠と共に妖の世へ去った黎映の話は聞いていた。誠と黎映は人の世では得られない『安寧』を得る為に去っただけだ。今更妖狩人達を引っ掻き回してまで、戦いを望むだろうか?


「『縛』の術式について調べる過程で、伊月家の庭から人骨が見つかった。……前伊月家当主、伊月弥禄みろくとその妻らんの物だ。あの二人が親殺しだとしても、お前は同じことが言えるのか? 」


 言葉を次ぐはずの口はからに震えた。孫を殺そうとしている正治おまえよりはマシだと返す事が出来なかった。今、妖力があれば、正冶を殺していたかもしれない。だが妖力を奪われた俺は無力だ。正冶には勝てない。

 グチャグチャな内心のまま、俺は妖狩人達の会合を抜けた。めいを果たしても、正治に刃向かった俺は地下牢行きかもしれない、と自嘲が掠めた。


 千里は俺を救う為に妖力を奪ったが……自分の身を守る事も出来ない無力さでは、どちらにしろ俺は身を滅ぼす。本当に勝手な奴だ。千里あいつは何も分かっちゃいない。

 俺がただ千里を憎悪すると思っている事も。だから、千里おまえは俺を信用していないって言ったんだ。


「人を呪わば穴二つ。俺を呪うなら、呪われる程の覚悟は出来ているんだろうな? 」


 凍てついた回想を切るように千里の部屋の障子を開き、満開の薄紅桜を視界に焼き付ける。薄紅桜に怯え続けた彼女とは、花見をしたことが無い。臆病者である千里を呪う程に想う自分が恐れられたとしても、そらに舞い上がる花吹雪のように追わねばならないと強く覚悟した瞬間だった。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る