第九十一話 蝶は万華鏡の中



【午後七時四十五分】


 青ノ鬼 綾人

 偉人像前にて 

         

 《綾人視点》



 智太郎が癒刻時計塔へ疾走を開始したのを、俺は一瞥して確認した。青ノ鬼の妖力を化した青い花吹雪と、俺の紺碧の勁風けいふうがぶつかる度に辺りの杉を軋ませる。青い花吹雪の隙間から、美峰のかんばせを嘲笑で歪ませる青ノ鬼を睨みつけ、俺は再び紺碧のアローを放つ!


「美峰を殺してもいいの? 」


 アローを花吹雪で防いだ青ノ鬼の張り付いた嫌な笑みに、俺は鼻で笑ってやる。


「言い訳が無いだろ! 早くシャットダウンしろよ、ご先祖様! 」


「矛盾だな。美峰を殺したくないなら、お前が殺されるしかない」


 青ノ鬼の花吹雪が、俺の紺碧の勁風けいふうを遂に押し返して爆風を巻き起こす! 凄まじい吹雪が木々をへし折り、一瞬息が詰まる程だ。鋭い風を逆立つ肌で感じた気がして、本能的に右へ跳躍する。先程まで俺が立っていた白い地面は花吹雪の鞭で叩きつけられ、乾雪と共に抉られていた。あぶねえ!!


「美峰を人殺しにするんじゃない! 」


「何を言う。お前は虫けらだろ」

 

 青ノ鬼は袖で口元を隠して腹を震わせて笑う。俺はピキ、とこめかみの血管に血が巡り、片頬が引き攣る。ああ、そうかよ。古い時代を経た妖様にとっては、愚かな後裔こうえいとの戦いは遊戯にしか過ぎないって訳か。


「……だいぶムカつくんだけど」


「お前こそ、口の聞き方がなっていないようだな。正しい礼儀を仕込むのも、先祖の務めか」


「美峰に借りた身体を強奪しておいて、お前に教わる礼儀もクソも無いだろ」


「……減らず口だ」


 青ノ鬼は嘲笑を消し、青い花吹雪を轟轟と巻き上げ始める。……まずい。再び青い花嵐が来る!

 息を飲んだ俺は頭の片隅で、青ノ鬼に勝利し美峰の意識を取り戻す打開案を、コンマ三秒もくやという勢いで探す。まず頭を過ぎったのは、智太郎が、体術等の基礎鍛錬を終えた俺に教えた事だった。


『常に冷静でいろ』


 智太郎は妖の血を引く人間として、闘う為に武器へ妖力を乗せることに成功した初めての妖の四分の一クォーターらしい。妖や半妖達はそもそも自身の妖力並びに能力のみで十分戦闘ができる為、武器に妖力を乗せるという考えが無かったらしいが。

 擬似妖力術式の存在を知った時、何故と付けるのか疑問だったが……それは生力を変換した妖力であって、純粋に自身の妖力を武器に乗せている訳では無いからだった。

 智太郎は初めての『妖力由来術式』の使い手なのだと思う。そして、俺も智太郎と同じ『妖力由来術式』の使い手になったのだ。何故武器に妖力を乗せて戦うのか。それはあくまで人間として妖力のコントロールを手放さず、敵と対峙する為だという。きっと『武器』という緩衝材を挟む事で、妖の血を引く俺達は冷静さを意識できるのだ。


 そうだ……俺は冷静さを欠いていた。青ノ鬼に美峰を呪縛され、怒りに身を任せすぎて……一番重要な戦い方を忘れていたのだ。智太郎と編み出した俺の戦い方を。


 俺の遠距離透視を生かすには確かに、距離をとって戦うのが一番良いだろう。だからコンパウンドボウという手段もとった。だが分かりやすく遠距離の武器に、近距離を攻めようとしてくる敵もいる。……だから俺はその裏を衝く!


 俺は轟轟と花嵐を巻き上げる青ノ鬼を前に一本の矢を残し、他の矢を全て空へ高く投げ捨てる。流石の青ノ鬼も、俺の行動に瞠目する。


「死を前に気でも触れたか! 」


「生憎死ぬ気なんて無い」


 俺は吹っ切れた様に笑顔をくれてやると、コンパウンドボウ照準器サイトを向けた、目の前の存在に懇親の力を込めて叫んだ!


「聞いてんだろ、美峰! 俺にお前を殺させるな! 」


「……っ……」


 青ノ鬼の双眸が明らかに揺らぐ。俺はその隙を見逃さず、

コンパウンドボウに構えた一本の紺碧のアローと、遠距離透視で視続けていた空中に、高く静止させていた全ての紺碧のアローを青ノ鬼に向けて放った!!

 轟轟と唸りを上げる青の花嵐を、紺碧のアロー達は切り裂き、偉人像へと、青ノ鬼を蝶の標本のように拘束する! 紺碧のアローは美峰を傷つける事無く、全て瑠璃色の長着と胡粉色の袴に突き刺さった。俺は揺らぐ青ノ鬼の肩に触れて、彼女を呼び戻す。


「俺は美峰から離れていったりなんかしない! ぐらつく吊り橋なんて叩き切って、ボートでエスケープさせてやる! だから、青ノ鬼そいつなんかに惑わされんな! 」


 目の前の存在は、揺らいだ黒と青の双眸を閉じる。纏わりつく青い花吹雪は霧散した。俺の声は届いたはずだ。だから……後は美峰が戦いに勝たなくてはならない。俺は祈るように、眠る美峰を抱きしめた。



【午後七時??分】 青ノ鬼 美峰 意識内にて

          《美峰視点》



 ここは見覚えがある。青ノ巫女姫として初めて彼の魂を受け入れた時から、何度も私はここに立ち続けてきた。覚醒すると記憶は曖昧になり、青ノ鬼が許した記憶しか外には持ち出せ無かったが。千里に不安定な吊り橋に居るようだ、と表現されてから、私の中の世界ははっきりと可視化された。


 私は今……軋んだ吊り橋の上で、彼と対峙している。


 意識体でも、吊り橋の縄を掴んだ指先に緊張が走る程に、吊り橋はゆっくりと揺れている。眼下の川を見下ろす彼は、瑠璃と露草色のグラデーションの牡丹と、萌黄色の葉が咲き乱れる着物を着ている。私が弐混にこん神社の神楽殿で着た、青ノ巫女姫の千早に似ている。


 振り向いた青ノ鬼の色彩は、やはり青色だった。額から伸びる二本の角も、頬を撫でる様なそよ風で絡む、肩につく長さの髪も青。そのかんばせは、動かなければ美しい彫刻かと見紛う程、生気に欠けた中性的な美麗さを秘めていた。失われた右の瞳は黒い眼帯で覆われている。隻眼だ。唯一、深く輝く青の瞳は、 切れ長の目の形が綾人に似ていた。青ノ鬼が似ているのでは無くて、子孫の綾人が似ているんだろうけど。今は妖の細い瞳孔では無く、円やかである瞳孔は、迷子になった子供のように意思が揺らいでいた。

 私は初めて鬼憑りした時の記憶が掠めた。薄らとしか覚えていなかったが、曖昧な意識の中……青ノ鬼の存在は恐ろしくなんか無かった。背に毛布を掛けられた様に、残された温もりに安堵できたから。それなのにどうして……青ノ鬼は私の身体の権利を奪おうとしたのだろう。私は複雑な心境のまま、顔を顰める。


「青ノ鬼、私の身体の権利を返して。貴方は青ノ巫女姫達との約束を破っている。青い牡丹を捧げた時だけ、憑ける約束でしょ? 青ノ巫女姫は貴方の魂の守護を対価に、青ノ君との運命の確定を手に入れたけど、身体の権利まで渡した訳じゃない」


「嫌だよ。僕はもう意識の底で眠りたくない」


 唇を結んで首を振る青ノ鬼は、散々好き勝手に私の意識を否定してきたくせに、子供の様な言い分で済ませようとする。何もかも見通してしまう青の瞳は、私の恐怖の根幹を知っているのに。


『俺は美峰から離れていったりなんかしない! ぐらつく吊り橋なんて叩き切って、ボートでエスケープさせてやる! だから、青ノ鬼そいつなんかに惑わされんな! 』


 綾人の声が聞こえた。綾人も外の世界で戦っていたんだ。綾人らしい救いの言葉に私は微かに微笑してしまう。

 綾人から確かに届いた想いが、私に力を与えてくれる。眼を閉じて深呼吸をした。綾人は無事なのか。恐れで足元がぐらついてしまう。だが、冷静にならなくては……これは私の交渉。力では青ノ鬼に勝てない。私の武器は言葉なのだから。眼を開くと共に、私の戦いは始まった。


「結局この身体は私の物。貴方には全てを支配する事なんて出来ない。それなのに、どうしてこんな愚かな事をするの。意識の底で生きていく事は、貴方自身が選んだ選択でしょ」


「妖と人を共に生きる未来へ導く約束の為に、必要だったからだ。意識の底で生きて、未来視で得た確定した事実を青ノ巫女姫きみたちを通して伝えて来たのもその為……。だけど、約束を守り続けてきた理由が分からなくなってきた 」


 青ノ鬼が気の遠くなるような年月の中、時には未来視で残酷な事実を受け入れてきたのは……約束を守る為では無いのか。根幹の理由が揺らぐという事は、青ノ鬼の存在の否定にも繋がるのだ、と気づいた。青ノ鬼が迷っているのは、過去から未来へと続く出口の無い回廊だ。何時か現れるはずの出口の先は、青ノ鬼自身によって光にも闇にも変わる。


「貴方が約束したのは……千里ちゃんなの? 」


 たった一つの青い瞳で、射抜くように目を細めた青ノ鬼が浮かべた感情は否定であり肯定だった。


「正確に言えば僕が約束したのは、千里の前世である己穂だ。青ノ鬼ぼくという存在の、創造主でもある」


「……青ノ鬼はその己穂に、未来の為に身体を捨ててまで約束を守るように言われたの?」


 青ノ鬼には二つ巴の魂だけで、身体が無い。青ノ鬼は創造主である己穂にはきっと逆らえないはず。身体が無いのも、約束では無く強制された命令だから……? 私はぞっとする可能性と頼りない足場に、吊り橋の縄を握る指先は力が入り冷えていく。

 だが青ノ鬼は憎悪すら掠める憤怒で、青い瞳の円やかな瞳孔を妖のものである細い瞳孔に変え、焔を宿す。


「違う、己穂は関係ない! 身体を捨てたのは、永い時を渡る為だ。青と鬼が混ぜられた存在の僕は、人間でもあったから永い時を渡る為には身体を捨てるしか無かっただけだ。鴉のように、僕は半不死では無いのだから」


「でも、創造主ならば……約束には逆らえないんじゃない」


 青ノ鬼は小さく溜息をつき、首を横に振る。円やかな瞳孔に戻った青い瞳は、万華鏡の中の思い出を諦められないように揺らめく。


「君は何か勘違いしているようだ。……確かに己穂は僕の創造主だけど、僕に対する強制力なんて無い。己穂としたのは、たわいの無い会話から生まれた約束だったんだ」


「青ノ鬼は、その人の事が大切なんだね。……約束を守る為なら自身も犠牲にする程に」


 私は以前から、青ノ鬼が千里を特別視している事には気づいていた。そうでなければ、青ノ鬼を千里へ会わせに行く事も、私が今癒刻にいる事も無かっただろう。まさか、千里の前世から関わりがあったとは思わなかったが。


「大切である事は違わない。だが智太郎に否定されるまで、僕には愛情なんて無いと思っていた。始まりの青ノ巫女姫がそう告げた時から」


「……始まりの青ノ巫女姫」


 青ノ鬼に視せられた、過去の記憶の青ノ巫女姫達とは違う存在に、私は息を呑んだ。


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