第九十話 花吹雪の舞踏



【午後七時三十二分】


 智太郎

 偉人像前にて 

         

 《智太郎視点》



 四つの天灯は夜空へ無事に金の結界を張った。本来なら天灯を離したと同時に、千里の待つ癒刻時計塔へ駆け出したい所だったが……千里は結界が無事に張られる事を望むだろうと考えた時、動く事は出来なかった。

 孤独を誰よりも恐れていて、だからこそ俺から離れられないくせに……千里は時々、俺が驚く程に強い。綾人に、俺を救う方法を見つけてみせると断言した。千里は自分が弱くて臆病だと思っているが、俺はそれだけでは無いと思っている。金花姫として生きてきたからだろうか。俺だけでなく、関係無いはずの他人に命をかけられる強さがある。俺は千里以外の他人何ぞに命はかけられないし、かけようとも思わない。俺はそれを正しいとも間違っているとも思わない。だが妖狩り人として抱えているはずの他人の命の軽さに、時折怖気がする。命の重さを教えてくれるのは、何時だって千里だった。地下牢で犠牲にしてしまう所だった協力者の命の重さだって、俺に説教したのは千里だ。だからこそ……俺は今まで、千里が想う他人の為に戦い続けてこれたのだ。

 千里の思っている事を、本当は余す事無く全て知りたいと思う。俺に隠し続けている秘匿も。だが近しい存在だったとしても、頭の中を覗ける訳でも無い俺は千里の全てを知る事は出来ない。


『智太郎を助けられる方法を見つけたら、隠している事全部……伝えるよ。それでももし、智太郎が私と一緒に生きてくれるなら、私も生きたい』


 それでも……逡巡に涙を滲ませて、千里は俺を選んでくれた。千里が俺を信じて秘匿を明かしてくれると言うならば、俺も千里と生きる為に……約束通り、味方であり続けるだけだ。

 俺は千里の待つ癒刻時計塔へ向かう為に、偉人像に踵を返そうとした時……偉人像の台座に、青い花吹雪と共に現れた存在がいた。


「もう行くの? 尾白くん」


「……美峰? 」


 俺は眉を寄せる。瑠璃色の長着と胡粉色の袴を着た、微笑する黒髪の少女。偉人像の台座に腰掛けるのは、どう考えても美峰だ。だが……明らかにおかしい。天灯を上げる為に綾人とガス燈に居たはずの彼女が、青い妖力を纏い、ものの数分で俺の前に現れる事が出来たのか。答えは一つしかない。


青ノ鬼あおのかみか」


「流石にバレバレか。美峰のふりをしたら、面白いと思ったんだけど」


 美峰の声は、男の高い声音に変わった。その左目は青く爛々と輝き始める。同時に禍々しくも重々しい妖力の気配で、辺りの杉林の陰影を濃く染める。青ノ鬼が美峰のかんばせを憎悪に歪ませる。


「俺を千里の元へ行かせない気か」


「愚かな後裔こうえいとは違って、君は察しが早くて助かるよ」


 吐き捨てる様な青ノ鬼の言葉に、美峰と共に居たはずの綾人が脳裏にちらつく。綾人は無事なのか。生きているならば、必ず青ノ鬼を追って来るはず。……追って来ないと言う事は、まさか。嫌な可能性を拳の中で握り潰す。あいつは追い込まれた時程、意固地になって真の力を発揮してくる。綾人は殺しても殺しきれないような諦めの悪い奴だから、絶対に生きているはずだ。俺は青ノ鬼を皮肉に笑ってやる。


「妖と言えど、流石に自分の子孫を殺したら寝覚めが悪いだろ」


「さぁ……どうだろうね。そんな事より、君は自分の身の心配をした方がいいんじゃないの? 」


 青ノ鬼は表情を無くし、偉人像の台座から立ち上がる。瑠璃色のカチューシャを投げ捨て、その額には青く輝く二本の角を顕現させた。俺は妖化し、花緑青の陽炎を纏わせる。美峰の姿で、青い花吹雪を纏わせる青ノ鬼は、かつての翔と重なり俺は唇を噛む。

 今ここに、生力で傷を癒せる千里は居ない。青ノ鬼が美峰の身体を物のように扱うのならば……美峰を殺してしまうかもしれない。千里の為に……美峰を殺す事はしたく無いが、最悪の選択肢も考えねばならない。鴉が千里と再会する前に戦いを終わらせて癒刻時計塔へ着かなくてはならない!

 黒と青の双眸を荒々しく見開いた青ノ鬼は、袖で風を切るように青い花吹雪の妖力を巨大な嵐に化して操り、俺の立つ白い地面ごと唸りを上げて抉りにかかる!


「君は何時か千里を殺す! だからその前に存在ごと消してやる! 」


 俺は花緑青の陽炎を纏わせた脚力で跳躍するが、花嵐のあまりの巨大さに、回転するように跳躍して避ける。一瞬宙に浮いた身体は、先程自分が立っていた大地が、杉林と共に地響きの咆哮を上げて喰われたのを認識し、ぶわりと汗が吹き出る。花嵐が去った眼下に広がるのは白い大地に空いた、地層すら見える巨大な虚無だった。


 いくら何でも常識外過ぎる!


 瞠目した俺は花緑青の妖力を放って反動を作り、着地する地面を変えた。有り得ない言葉を放った青ノ鬼に、叫び返す!


「俺が千里を殺すわけが無いだろ! 」


「彼女の罪を知らない君は信頼に値しない! 」


 青い花吹雪の向こう、憎悪を隠そうとすらしない青ノ鬼が再び花嵐の第二波を放つ為に袖を振り上げようとする。地形を完全に変える気なのか。 次は癒刻温泉街を破壊するかもしれない。これだから古い妖は常識が通じなくて嫌なんだ! 勿論、俺は青ノ鬼に第二波を放たせるつもりは無い。一か八か……舌打ちした俺は花吹雪の風の隙間を狙って、花緑青の妖力を纏わせた弾丸を放つ!


「……っ! 」


 弾丸は青ノ鬼の手の甲を掠めた! 青ノ鬼は血を流す手の甲を舐める。黒と青の双眸に焔を宿して、俺を更にめつけた。青の花吹雪は、弱まったようにも思えた。どうやら、最悪の可能性は無いようだ。……青ノ鬼は美峰の身体を傷つける気は無いらしい。俺は口の端を上げる。


「千里の事をよくご存知って訳か」


「ああ。君より余程、彼女の事を理解している」


 相変わらず偉人像の台座の上。お高い所で俺を見下ろしながら、青ノ鬼は片眉を引き攣らせる。青ノ鬼は、俺の知らない千里を知っているらしい。それが、千里の秘匿である事は明白だった。


「残念だが、お前の予想が当たる事なんて無い。どんな事を知ったとしても、俺が千里を殺すなんて有り得ない」


「断言できるのは、君が信じているのが千里ではなく、自分の信念だからだ」


「酷い言いがかりだ」


 唇を噛んだ青ノ鬼は憤りを体現するように、青の花吹雪を三日月のような風の刃に変化させて放つ! 俺は疾走して避けるが、風の刃は甲高い笛のような音で俺の耳元を掠め、背後の杉をなぎ倒した。杉は軋みながら白い雪を叩きつけ、煙が立つ。青ノ鬼は更に苛立ちを募らせる。


「言いがかりなものか。君は千里が無条件に存在だと偶像を抱いている。それは君が信じたい彼女であって、千里自身じゃない」


「……まるで千里が悪い存在だとでも言いたいようだな」


 俺は眉を寄せるが、千里の言葉を思い出す。


『智太郎は、悪い子を好きになっちゃったんだね』


 確かに千里はそう言っていた。青ノ鬼が言うように、千里は良い存在では無いかもしれない。だが、完璧に良い存在なんて居ない。誰しも傷だらけの影を抱えて、それでも今を生きている!


「千里が良い存在でなくたって構わない。俺は、千里に善を求めているわけではないのだから! 」


「……ふうん? その言葉、後悔しても遅いから」


 黒と青の双眸に暗い感情を宿し、青ノ鬼は唇を嘲笑に引き攣らせる。青ノ鬼は、先程から俺に近づこうとしない。距離を取って、青い花吹雪の妖力を放つばかりだ。美峰が死んだら、自分の魂も霧散するのかもしれない。……それならば。

 俺は青い花吹雪を纏う青ノ鬼に、連続で花緑青の弾丸を放つ。先程のようにはいかず、弾丸は青い花吹雪に全て防がれる。


「同じ手が通用すると思う? 」


「だろうな! 」


 俺の目的ははなから異なる。俺は両手に花緑青の妖力を纏わせ、鉤爪のように変化させる。そのまま一気に跳躍し、青ノ鬼を切り裂く!


「これだから、野蛮な獣は! 」


 切り裂いたと思った青ノ鬼は、偉人像から飛び降りて地面に立つ。屈辱に顔を歪ませる青ノ鬼を、遂に同じ土肥に引き摺り下ろしたのだ。


「ところで、お前は何故千里に執着するんだ。お前も黎映のように……」


「僕には愛なんて感情は存在しない。僕の目的は千里を鴉と再会させて記憶を取り戻させる事。その為に、お前は邪魔だ! 」


 疑問が口を衝いて出る前に、荒々しい憤怒を叫んだ青い鬼は鋭く風を切り裂いて、青い花吹雪の鞭を俺に向けてふるう! まるで獣に罰を与えるように。身体を捻って避けるも、頬を灼熱が掠め、痛みが滲んで顔を顰めた。


「愛から生まれた妖のくせに、愛の感情が存在しないだと? そんな馬鹿な話があるか! 」


「だがそれが事実だ。千里の目的を遂げさせることが、僕の目的でもある! 後戻り出来なかった己穂いづほの意志を受け継いだ僕は、妖と人を共に生きる未来に導かなくてはならない! 」


 こいつは自分の事を全然分かっていない。愛なんて感情は無いと否定しながら、己穂という存在の願いを叶える事に拘っているのだから。


「お前が執着しているのは、己穂という誰かか。千里とは関係無いだろう」


「己穂は千里自身でもある」


 青ノ鬼はそれ以上告げるつもりは無いらしく、冷やかに黒と青の双眸を細めるだけだ。明確な事実は分からないが……千里と青ノ鬼は混沌という言葉で繋がっているようだ。


「己穂の意志を叶えようとする、お前には愛の感情は存在する。例え、その形が異性愛じゃ無くても」


 青ノ鬼はふと、表情を無くす。まるで大切な思い出の品を、何処かに置き忘れてしまった事を思い出したかのように。


「……僕は……」


 その時瞠目した青ノ鬼の黒髪を、紺碧のアローが掠める。


「散々にやってくれたな、 青ノ鬼! 」


 怒号を発したのは、双眸を紺碧に燃やす綾人だった! その額には紺碧の二つの角が顕現し、紺碧の妖力を纏うコンパウンドボウ照準器サイトを青ノ鬼に向けて構えている。


「綾人、 生きていたのか! 」


「勝手に殺さないでくれるかな。 死にそうになるのは、智太郎の鬼鍛錬だけで十分だっての! 」


 綾人は唇の片端を釣り上げて皮肉に笑う。俺に向けて、顎を上げて合図する。


「行け! 青ノ鬼は俺が何とかする! 」


「……愚かな後裔こうえいが。身の程を知らないようだな! 」


 青ノ鬼は再び荒々しい憤怒を叫び、袖を振り上げて青い花嵐を巻き上げる。俺は冷たい物が背筋を伝う。


「はいはい、遠距離透視で視てましたとも。そのふざけた攻撃スタイル。地形変えないでくれるかな、御先祖様! 」


 綾人は怯んで眉を寄せるものの、紺碧の妖力を纏ったアローを放つ! 矢は青ノ鬼の肩を掠めるが、青い花嵐は再び大地へ叩きつけられる! 瞬時に俺と綾人はそれぞれに空中に跳躍して避ける。

 地鳴りの咆哮と共に、再び眼下に白い大地に地層すら見える巨大な虚無が空く! 先程の抉れた穴に重なって、最早、双子のクレーターのようだ。


「ヒャッハアァッ――! ヤバすぎっ! 」


 それなのに綾人は狂ったように高笑いしながら、着地する。綾人との間にクレーターを挟み、着地した俺は巻き上げられた乾雪の向こう……綾人に呆れた眼差しを向ける。


「お前、死ぬんじゃないか」


「死なん!……その前に美峰を取り戻す」


 綾人は紺碧の双眸に覚悟を燃やし、青ノ鬼と対峙する。


「もう青い花嵐あれを打たせるなよ」


「分かってますって。今のうちに、早く! 」


 綾人の一瞥に俺は頷き、癒刻時計塔へ向けて疾走を始める。黒と青の双眸でめつけた青ノ鬼は勿論見逃さず、青い花吹雪を、三日月の風の刃に化して俺に放つ!


「大人しく行かせるとでも! 」


 三日月の風の刃は俺の背を切り裂く事無く、綾人の紺碧の勁風けいふうに阻まれ霧散した。


「邪魔はさせない! 御先祖様は、愚かな後裔こうえい舞踏ダンスだ」


「……うっかり殺しちゃうかもね」


 俺が疾走しながら振り向くと、青ノ鬼は人差し指を頬に当て、美峰の声で微笑する。……全く趣味が悪い奴だ。

 綾人は咆哮するように青ノ鬼へ叫ぶ!


「美峰を呪縛から返せ! 」


「お前が僕に勝ったら考えてやってもいい。……出来るものならな」


 嘲笑する青ノ鬼あおのかみの青い花吹雪と、怒りの咆哮を上げる綾人の紺碧の勁風けいふうが再びぶつかるのを肌で感じながら、俺は腕時計を確認する。


 午後七時四十五分……!


 まずい……! 鴉が千里の前に現れてしまう!

 唇を噛んだ俺は花緑青の妖力を更に脚力に込め、千里の待つ癒刻時計塔へ、疾走の速度を上げた。


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