第六章 寒鴉ノ冀求編 (かんあのききゅうへん)

第八十四話 戌刻の夜へ


【午後七時】


 千里 智太郎 美峰 綾人 黎映

 癒刻温泉街にて

      

 《千里視点》



 白、白、時々黒。そして暖色の光の魔法がかかる。


 しんしんと粉雪が降る癒刻温泉街は、屋根の破風はふや外壁から黒を覗かせる。氷柱を生やすガス燈達が辺り一面覆い尽くさんばかりの深雪を、幻想的な金色でおぼろに照らす。優しい光にも関わらず、ツンとした刺激で私の胸を刺す。温泉街を見下ろすのは……雪月夜にそびえる癒刻時計塔。

 今は午後七時。後、四十五分で……黎映の未来視が予知した、鴉と再会する刻限になる。私は緊張と不安に、身体の末端にびりびりと刺激が走る。風呂敷に包んだ己穂の鞘を抱く、冷えた指先が痙攣してぴくりと跳ねる。

 黒曜と出会ったのは、金木犀の咲く秋だった。今は金木犀の薄黄色の花弁の面影も感じられない雪景色で、出会った色彩すら癒刻こことは遠い。黒曜について私の手元にあるのは足りない欠片ピースだけだ。

 私が四歳程の時には黒曜と既に出会っていた事。六歳の頃、私の命を救ってくれたかもしれない事。 考えたくも無いが……私を孤独に堕とした言葉を告げた男と関わっているかもしれない事。黒曜が、雨有の物だった過去夢を私に与えたのは……私に思い出して欲しい己穂の記憶と約束があるから。そして、鴉の記憶と己穂の記憶の中に……未知の約束は眠っている。己穂の記憶を思い出すのは……もう怖くない。千里であり己穂である、混沌の存在になったとしても、私自身である事は変わらないのだから。

 それよりも、私は鴉の記憶を視るのが怖い。癒刻に伝わる昔話が本当であれば、黒曜はかつて一人の男を恨んでいた。 

 幼い頃、私に穏やかな慈愛で包み込むように微笑みを向けてくれた黒曜が……瞳に瞋恚しんいの炎を照り返すのを想像すると、自らの内が荒らされ、絞められた様な痛みに苛まれるのは変わらない。そして……智太郎が私の罪を知れば、かつての黒曜と同じ様に私を恨むだろう。黒曜と智太郎は……敵同士にも関わらず、その背中は向かい合わせだ。歩んだ過去と、歩むであろう未来が重なってしまう。私は、智太郎が瞋恚しんいの炎に焼かれる未来を見たくないから尚更……鴉の過去夢を視るのが怖いんだ。


「桂花宮家の初代当主の鞘か……」


 私に傘を差す智太郎は、私の抱く風呂敷の中身を知っている。思わず私は肩がびくりと反応してしまう。私は鞘を掻き抱いた。 己穂が私の前世である事は智太郎に言えないでいる。桂花宮初代当主……つまり己穂が黒曜を逃がし狩人達を裏切ったという可能性を、秘匿する約束を父様と交わしたからだ。結局黒曜とは道が分かたれ、妖と人が争う事になったのも。だが、今はそれだけでは無く……己穂に黒曜が深く関わっているという事実によって、尚更伝えずらくなってしまった。記憶を取り戻したら、己穂は私の一部になる。己穂の裏切りが事実なら、私もまた同じ罪を背負う事になる。


「やっぱり、癒刻に桂花宮初代当主の刀があるかもしれないの。持ってきて置いて良かった。……青ノ鬼から告げられたんだけど」


 私達より先に道を歩むのは、綾人と美峰と黎映だ。私は黎映に聞こえない様に、一応囁き声になる。黎映の過去夢を視たが、青ノ鬼に対する恨みや執着の可能性はほぼ無いだろうけど。黎映が恨んでいたのは青ノ鬼では無い。青ノ鬼が完全な妖だった頃の右目を、埋め込んだ伊月弥禄みろくだ。結局父親の弥禄と母親の蘭は、兄である誠が殺してしまったのだが。……大蛇と同化した伊月誠も黒曜の半不死の力を狙って、癒刻へ現れる筈だ。黎映は誠と大蛇の同化を解き誠を人間に戻す為に、私と協力関係を結んだのだ。誠の罪は、同じく罪を背負う黎映の為に皆には告げない方が良いだろう。


「青ノ鬼に会ったのか」


 智太郎が面白くなさそうに、花緑青の瞳を細める。……そう言えば告げて無かったと口の端が引き攣る。


「ごめん、言って無かったよね。青ノ鬼は、己穂の刀に私が触れる確定した未来を視ていたみたい」


「右目のあるじだから、黎映と同じ未来視の能力者だったな。……他に何か言っていたか」


 私は記憶を辿るが……青ノ鬼と私の会話は基本己穂の事だったので告げられる様な事は他には無い。思い出した中には特に智太郎に言いづらい言葉があった。


『僕も普通の人間だったら、きっと智太郎に嫉妬をしていたんだろうな。大切だと思う君が、別な存在に惹かれているんだから』


 ……智太郎には言わない方が無難だろう。私にとって青ノ鬼は唯一秘匿の罪を共有している存在だ。それに己穂の記憶を取り戻したら私は混沌になる筈だから、混沌として生きる者同士、大切な存在ではあるのだが。


「……他には特に」


 私は心の内に告げられない事実を仕舞い込み、微笑みを返す。黎映に想いを告げられた事といい……私は最近、変な運を持っている気がする様な。綾人と美峰と話す黎映を一瞥するが、外見上は普段と変わらなく見える。黎映の想いを受け入れる事は出来なかったが、黎映はいつも通りに接してください、と私に告げた。私もそうするつもりではあるが……内心動揺を押さえられないのは仕方ないだろう。未来視と過去夢により、お互いの感情を誰よりも理解しているのに、想いがすれ違ってしまうのは、皮肉な運命だ。

 その時、私の視線に気づいた様に黎映が振り返り、瞠目してしまう。だが、黎映は屈託の無い笑みを面紗の下で浮かべていて、ほっと息をつく。


「お二人共! 天灯をお渡ししますから、お早く! 」


 言われて見れば、黎映も風呂敷を抱えていた。中身は天灯だろう。足を止めた三人に私と智太郎が追いつくと、黎映は風呂敷を解こうとする。だが、美峰が何故か慌てて止めた。


「ちょっと待って。まだ早いんじゃない? それに天灯って紙でしょ、雪で濡れないかな」


「それならば心配ありません。生力由来術式が役割を果たし霧散しない限りは、簡単には破損しませんから」


「そう言うもんなのか……」


 大真面目に頷く黎映に、綾人は不思議そうに瞬きをする。関係ないが、綾人が黒くて長いケースを背負ってるのが気になる。確か、智太郎に鍛錬を受けに行く時に持っていた物だった様な。


「て言うか、美峰は温泉にまだ未練があるんだろ? 」


「当たり前だよ……折角温泉街に来たのに」


 わざと意地悪に笑う綾人に、美峰は深く溜息をつく。無論、観光に来た訳では無いので、旅館の部屋は一応確保したものの実際には、誰も温泉に入っていない。智太郎が言うには、私と黎映が気を失っている間、美峰と綾人は時々様子を見に来てくれていたらしい。何だか申し訳なくて、私は縮こまる。


「ごめんね……私が心配掛けたせいだよね」


「違うよ! 千里ちゃんのせいじゃないよ! と言うか、そもそも観光じゃなかった、うん」


「……墓穴を掘ったな」


 自責して私の手に触れる美峰を、智太郎は揶揄やゆする。


「悔しいけど……尾白くんに何も言い返せない……」


 がっくりと肩を落とす美峰を何とか……慰めたくて……私は視界に映った物をそのまま叫んでしまう。


「足湯! ……は入った? 」


 癒刻に到着した時も、目にした看板だった。『傷の湯』という文字が印象的で覚えていた。到着した時よりも随分雪が振り積もった看板はようやく文字が見える程度ではあったが。美峰は棗型の黒い瞳を輝かせ始める。


「入ってない、時間もまだあるしちょっと位いけるよね」


「うん! なんならそこで天灯の説明を聞きたいな。いいよね、黎映」


 私が思わず満面の笑みで黎映に振り返ると、頬をほんのり染めた黎映は惚けたまま頷いてしまう。……まずい、そんなつもりじゃなかったのに。私は微笑みのまま固まってしまう。気持ちを知っているのはそれはそれで厄介だ。


「お前ら、余裕だな」


「……尾白くんが怖いよ、千里ちゃん」


 智太郎の冷ややかな声に、美峰は私に抱きつく。……よしよしとその背中を撫でてあげる。途端に智太郎からのぴりぴりとして殺気が、私の背筋を張らせる。黎映は相変わらず頬を染めているし……混沌カオスと化していた。

 この状況を打破して……!と救いを求めて、綾人を見つめる。だが綾人は何を勘違いしたのか、切れ長の青みがかった瞳を笑みに細めた。


「屋根付きの足湯なら濡れないし、良いんじゃない? 早く座ろっか。俺も一回荷物置きたいし」


 やはり、綾人には全く伝わってなかった。私は大人しく溜息をついて頷いたのだった。

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