第八十二話 対の罰は妖艶に誘う


 目覚めた智太郎は私を見つめると、僅かにその六花の様な白銀の睫毛を伏せて眉を寄せる。私の唇には未だ血が滲んでる事に気がついたのかもしれないけど、私はそれどころじゃなかった。


「お、起きてたの!? 一体何時から!?」


「千里が黎映の気持ちを確認したあたり。あんな雰囲気じゃ起きれないだろ」


 つまりほぼ全て聞いていたと言うことか。私が悪い訳じゃ無いと思うけど……なんだかいたたまれなくなる。


「そうかもしれないけど、言ってくれれば良かったのに」


 おずおずと智太郎を上目遣いで見つめると、智太郎は呆れた様に溜息をつく。流石に無茶を言っている自覚はある。


「それに、黎映もすっぱり諦めさせてやった方が本人の為だ」


「そう言うものかな……」


 黎映の想いに応える事は出来ないが、彼を傷つけたい訳では無かった。私の言葉は間違っていなかっただろうか。先程の自分を投影する様に思い出すが、私の中には、やはり同じ言葉しか存在しなかった。


「それよりお前……あいつに何かされたのか。唇に血が滲んでる」


「ああ……これは私が自分で噛んじゃっただけ」


 黎映だけでなく智太郎にも言われるなんて、そんなに深く噛んでしまったのだろうか。鏡を見るのが少し怖い。


「ちょっと来い」


 何故か智太郎は掌を上にして、私を手招く。首を傾げるも、智太郎の座る椅子の前に立つ。なんだか怒られる子供の様な気分になるが、別に智太郎は花緑青の瞳に怒りを浮かべている訳でも無く、瞬きをするだけだから私の思い過ごしだ。そう思った矢先、智太郎は私の両頬をその掌で包み込む!


「な、一体何のつもり!? 」


 少女の様に麗しいかんばせに引き寄せられ、硬い感触の掌に包まれて吐息が籠る。体温が急激に上昇して、身体の内側を焼く。二片の雪華の奥、花緑青の瞳に捕われる。私は、その唇の甘さを知っているからこそ……動けない。


「何って、怪我してるから治すだけ」


「んむ……? 」


 智太郎の指先は私の唇に触れて、覚えのある若葉色の光が視界を刺激する。私の能力を複製コピーして生力で、傷を治したのだ。頬を包んでいた両手は私を解放する。


「これでいい」


 恨みがましく紅潮が解けない頬のまま、智太郎を睨む。行き場の無い燻りを否定する様に。そんな私をどう思ったのか、智太郎は、ふ、と息を吐き意地悪に口の端を吊り上げる。


「何を期待したんだ」


「き、期待……なんて」


 何もかも見透かしてしまいそうな眼差しから逃げる様に眉を寄せて、私の頬から離れた智太郎の掌を見つめる。高鳴る心臓の鼓動よ、ええい黙れと言い聞かせるも、どうやら手網たずなは外れたらしく胸の内を爆走する。


「その反応なら、黎映にはこれ以上何もされて無いみたいだな」


「……馬鹿」


 綺麗に治った唇を結ぶ。染みる様な痛みはもう無い。私の心を捕らえている癖に、確かめる様な事をするなんて。だけど癒刻への道中の様子と比べると、私が黎映に告白されたと言うのに、智太郎は思ったよりも反応が薄い。別に嫉妬して欲しかった……という訳では無いけど。だが、感じた違和感はそのまま先程の智太郎の姿に繋がる。あまり良い夢見では無さそうだった。思えば、黎映に連れ回されたと言う事もあるかもしれないが、時計塔の前で私と黎映が気を失う以前から調子が良くなかった気がする。


「智太郎、もしかして体調悪かったりする? 」


「別に」


 智太郎は淡々と返すが、花緑青の瞳は何時もより覇気が無い気がする。自覚すると、月長石げっちょうせき極光きょっこうと錯覚する程に肌の輪郭が透き通っている様な気がする。白銀の髪筋すら一片の淡雪の様で儚くて憂心を抱く。私は心痛を交えた疑いのまま、智太郎の額を触るが、体温は高くない。


「急に、何なんだ」


「熱でもあるのかと思って。……でも無い……? 」


 疑問形になってしまったのは、智太郎の頬に朱が宿ったからだ。智太郎は六花の様な睫毛を伏せたと思うと、自身の額に触れている私の右手を引き寄せた!


「ちょっ……! 」


 バランスを崩された私は、椅子に座る智太郎に覆い被さる様な形になる。智太郎に馴染んだレモングラスのすっとした香りが僅かに香る。その繊細な睫毛の羽ばたきに触れそうな程、体温を纏った儚いかんばせが近い。それよりも唇が重なる直前で寸止めされているのを、吐息が交わった事で理解する。何とか耐えているのは、私の左手が椅子に触れているせい。


「風邪を引いてる訳じゃない。朝、生力を貰い損ねたから」


 智太郎の言葉に、白練色のフォックスショールに阻まれた口付けを思い出す。智太郎の表情を確認したくて少し起き上がるが、花緑青の瞳はぶれない。やや拗ねた様な色を口の端に浮かべてはいたが。私は瞠目する。


「あれはふざけてた訳じゃなかったの!? 」


「誰がそんな事言った」


「あれじゃあ……分かんないよ」


 右手首が智太郎に掴まれたままなので、大して視線の逃げ場が無い。赤らむ顔を歪ませて視線を泳がせても、最終的には花緑青の瞳に舞い戻る。その輝きから、私は逃れる事は出来ない。


「罰は、もう決めてある」


 智太郎の言葉の続きを聞くのが怖くて、羞恥のあまり既に息が止まりそうになる。


「今度は、お前からキスしろ」


 静かな怒気を孕んだ言葉に智太郎の隠していた本心を知る。黙っていたけど、やっぱり黎映との事怒っていたんだ。


「さっきの事怒ってるんだよね……。あれって私のせいに当たる? 」


 目を瞑っていた筈なのに何処まで知っているんだろう……とドキマギする。後ろめたい事は無い、筈……。


「黎映が千里を逃がさない様にしたのは気配で分かった。けど、油断した千里も悪いから」


 うう……否定は出来ないかも。黎映の気持ちを確かめたのは私だし。乞う様に謝罪を乗せて、花緑青の瞳を見つめるも、否定する様に眉は寄せられ、そのまなこは怒りを孕んだまま。私の手首を掴む智太郎の力が強まるのに、私にとっては痛みでは無く愛しさを与えた。心臓は締めつけに反抗する様に、壊れた鼓動と熱を全身に広げる。否定したい幻触に唇が震える。動けない私に智太郎は最後のとどめを刺す。


「千里は俺に人の血を奪って欲しくないんだろ。これから、生死を賭けた戦いになるかもしれない」


 心臓を身体ごと刺されたように、事実の稲妻いなずまが貫く。私は智太郎に死んで欲しくないから、癒刻ここまで来たんじゃないの? 自らの愚かさを嚥下する。


「……目を閉じて」


 震える声音で椅子に触れていた左手を智太郎の肩に添えると、智太郎は花緑青の輝きを雪華の睫毛ごと、羽を仕舞うかの様に閉ざす。奇跡の様に完璧な造形を保つかんばせは花緑青の双眸を閉ざすと、美しい人形ビスクドールの様だった。理解していても、性別を超越した魅力を人形師パペッティアが込めたよう。

 罪悪感に瞼が震えるも何も考えない様に目を閉じて、その唇に吐息を重ねる。私の唇は、体温を纏うのに瑞々しい花弁の様な智太郎の唇に触れて緊張で痙攣する。この後は一体どうすれば……とただ吐息を感じていると、焦れた様に硬い掌に後頭部とうなじごと寄せられる。その勢いで口付けは濡れた感触に変わってしまう。その瞬間、燻っていた幻触の通りに熱情を纏う濡れた舌の感触が絡む。内包する想いを確かめる様にもてあそばれて導かれる。長い犬歯で舌を甘噛みされて、与えられた刺激が憐れな小鳥の脈動を支配する。甘い痺れの鳥籠が、想いと身体ごと閉じこめようとした時……智太郎の唇は離れていく。


「……? 」


 刺激で思考ごと奪われた私は夢現ゆめうつつで、智太郎をただ見つめる。智太郎が自身の唇の端をちろりと舐めると、先程の犬歯が垣間見えた。底光りする瞳は花緑青から赤へ染まっていき、白銀の耳が出現してひくつく。瞼を閉じていた時とは裏腹に、美しい獣の様に魅惑的な微笑みを宿らせていて、罠に捕らえられた私を甘い危険へいざなう。妖艶とは正に今の智太郎を体現していた。


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