第八十一話 雪道を往く足跡

 


「それと……黎映が弥禄に魔眼を埋め込まれ、両親にどういう扱いを受けてきたか。誠が伊月家で犯した罪も……視てしまったの」


 私は真実を告げた後で、これで良かったのだろうかと背筋が冷えて、不安の尾がくすぐる。黎映にしてみれば、私は黎映と誠が隠していた罪を暴いてしまった事になる。私を害する気など、過去夢を視た限り黎映には無い筈だが。黎映は虚ろな顔で俯く。


「……軽蔑、しますよね。私は兄さんに罪を償わせなかった。兄さんに罪を犯させたのは、私なのに。それどころか、今も私は居なくなった兄さんを追っている」


「私には貴方達を責められない。理由は、言えないけど」


 残酷かどうかは、人殺しと言う結果その物には関係ない。結局、糾弾されるのが怖いから……私は黎映も責める事が出来ない、弱い存在なのだろう。

 だが黎映は膝を抱えるのを止めて、座り込んだ膝が触れそうな程に私の傍に寄る。鼻筋がすっと通った端正なかんばせが朱に染まり、薄い唇が近い。しかも今は布団の上だ。流石に冷静さを保てず瞠目した。心臓が大きく鼓動を始める。距離を取ろうとするも、私の手の甲に儚い掌を重ねられる。癒刻時計塔で、その手を重ねた様に。面紗の無い黎映は私への切望を隠す事無く、潤んだ深緋と白の双眸で真っ直ぐに見つめる。


「金木犀の下で、何時も千里は罪悪感と後悔を抱えていましたよね。罪の真実が分からずとも、私は千里の痛みを知っています。外の世界で、千里と一緒に過ごす時間をずっと願ってきました。……私は千里の事が好きです」


 黎映の曇りのない意思が、玲瓏と輝く刃の様に私を貫く。私と同じ罪を、誠と共に黎映は背負っている。きっと黎映は私の罪を知ったとしても、拒絶する事は無いだろう。だけど……私の答えは初めから決まっている。未来視で私を視続けてきた、黎映も分かっている。だけど、感情は理屈じゃ割り切れない。それが切に願う物ならば……尚更だ。私は黎映の想いと共に、過去夢を視たから分かる。お互いの感情を、私達は誰よりも理解しているのに……雪道を足跡そくせきは、隣り合う事は無い。


「私が共に生きたいと願うのは一人だけ。孤独から救ってくれて、私の味方だと言ってくれた……智太郎だけなの。だから、私は黎映に応える事は出来ない」


 私は逃げたくなる臆病な心を押さえつけ、黎映の想いに答えを告げた。酷い刺し傷を負った様に、黎映は苦痛に顔を歪ませる。深緋と白の双眸から耐えかねた様に、鈍い銀の光を受けた涙が零れていく。私は唇を血が出ても構わない程強く噛んで、受ける痛みに耐えた。僅かに鉄の味が滲んで、目の奥がひりつく。


「私は千里の想いを知っているのに、愚かですね。もしかしたらなんて幻想を抱いて、自分を誤魔化していました。だけど、もうそんな自己保身は……お終いにします」


 黎映は痛みの中、救われた様に笑みを綻ばす。その笑みは綺麗で……私の手には届かない。だけど、これで良いんだ。私達は一つの想いに答えを出した。黎映の掌は離れていく。謝ろうとして、口を閉ざした。それぞれの道へ進む為に、痛みは必要だったと自分に言い聞かす。


「有難うございます。……これで前に進めます」


 責められるどころか、まさか御礼を言われるとは思わず、噛んだ唇を離す。瞬きすると頬を伝う感覚に、私は自分も泣いていた事に気がついた。


「私を責めないの? 」


「まさか。私自身を責める事はあっても、千里を責めるなんて有り得ません。千里は、母ですら受け入れられなかった私を肯定してくれたのですから」


 黎映は首を横に振ると、私の唇にその指先で触れる。突然の感触に身体が硬直する。


「唇に血が滲んでしまってます。綺麗な唇なのに……私のせいですね」


 苦く眉を寄せる黎映は、お世辞で言っている訳では無いと分かるから頬が熱くなってしまう。返す言葉を失った私から黎映は指先を離して、立ち上がる。


「手当をしなくては」


「だ、大丈夫……! 自分で出来るから」


 私は慌てて、頬に伝う涙を押さえ唇を隠す。黎映は苦笑して頷く。


「分かりました。智太郎は……まだ眠っているのですね。私も彼を少々連れ回し過ぎたかもしれません」


 どうやら自覚はあったらしい。智太郎を見て溜息をつく黎映の奥……掛時計が目に入る。その針が示すのは、午後五時三十七分だった。カーテンが締められていたから分からなかったが、気を失っている間に随分刻限が近づいており、息を呑んだ。


「もうこんな時間なの……」


「本当ですね! 一度私も部屋に戻って、準備をして参ります」


 黎映は慌てて、自身の着物を探る。あれ、無い……と顔を引き攣らせ固まる。


「……もしかして、部屋の鍵を探してるの? 枕元にあるのって黎映のかな。気を失ってたから、面紗とか纏めて置いてくれたみたいね」


「本当だ! ああ……良かった」


 面紗を付ける黎映に、私はまだ聞いていない疑問があった事を思い出す。


「そう言えば、誠が居なくなる直前……黎映には何か告げなかったの? 」


 誠が大蛇と同一化したのだとしても……過去夢の様子では、黎映を置いて行く様には思えなかったのに。同一化している状態で、誠の意思が明確にあるのか定かでは無いが。黎映は面紗の奥、張り詰めた表情を浮かべる。


「いえ、何も。大ノ蛇栄螺堂へ向かう前に桂花宮家に泊めて頂くと言う事で、一度伊月家へ帰ってきた時に会話したきりです。その時は特に変わった様子はありませんでした」


 私の中の記憶とも一致する。誠は確かに、弟に報告すると伊月家へ戻っていった。朝が弱いから、弟に起こしてもらっているとも言ってたな、と少々関係無い事を思い出す。ぷりぷりと怒る黎映が、朝の低血圧でぐたぐたな誠を叩き起こしている所を想像すると、微妙な気持ちになるのは何でだろう。誠が料理人は辞めたと言っていたが、実際は誠が命を奪っていた事も思い出す。やはり白蛇のように掴めない笑みの裏には、隠された事実があった。


「私は兄さんが何故私を置いていったのか……その意思も問うつもりです。私は兄さんの意思が残っている事を信じていますから」


「説得が上手くいくように、私も信じてる」


「ありがとうございます。私も、千里の目的が遂げられる様に尽力致します」


 黎映はそのまま部屋の出口で立ち止まる。


「……このまま、どうかいつも通りに接してください。私も、気持ちの整理をして参りますから」


 黎映の背中越しの言葉に、私は再び唇を噛みそうになり我慢した。泣いた後の、治りかけの傷の様な気持ちのまま唇を結ぶ。


「分かった。黎映がそれで良いのなら」


「ありがとうございます。では、また後程」


 黎映が扉を閉めると、部屋には空虚な静寂が残される。蝕む様な静寂に耐えきれず、智太郎の様子を確認しようと振り向くと花緑青の瞳は開いていて、心臓が止まるかと思った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る