第七十四話 刻限の事実



「とりあえず座ってくれない? 蟹わっぱが頼めないじゃん。席なんて、千里ちゃんが尾白くんと黎映の間に座ればいいだけだし。それに、二人は『係』でしょ。細かい事はそれからで」


 そう言うと呆れた美峰は水を飲み、メニューを広げてしまう。どうやら助けてはくれないらしい。自分で解決すべし、とのお達しかもしれない。だが美峰の圧力により、とりあえずは席に座る事に成功する。窓際から智太郎、私、黎映という順番になる。反対側の席には窓際から綾人、美峰が居る。車内の時もそうだったけど、五人って席のバランスが悪いのかも。……人間関係も?

 深刻に溜息をついた私の手はまだ黎映に繋がれたままだった。智太郎が私の右手を自分の方に引き、無理やり手を離させる。だが黎映は気にする事無く、微笑んで私の顔を覗き込む。……勘弁して欲しい。


「写真、見せて貰ってもいいですか? 」


 困り果てた私は左隣の智太郎を見つめると、智太郎は溜息をついて頷く。綾人と黎映に付き合わされて疲れたと言っていたし、限界なのかもしれない。……どちらかと言うと、黎映が引っ張り回していたのは明白だった。二十一なのに子供の様に無邪気過ぎる。いや、年齢は関係ないか。諦めてテーブルの上に、スマホと言う名の生贄を捧げると、黎映は無邪気に飛びつく。


「どれが良いですか? やっぱり蟹わっぱですかね」


「えと……私、メニューも見てみようかな。智太郎、見せてくれる? 」


 私は苦笑して既に広げられていたメニューを引き寄せると、わっぱ飯では無く、ステーキ丼の写真がデカデカと載っているページだった。間違いなく智太郎はこれだ。


「智太郎……肉好きだよね」


「肉が嫌いな奴なんて居るのか? 」


「どうだろ……私は割と何でもありだから」


 少女の様な風貌でガッツリ肉を平らげる姿は、凄くギャップがあるとは思うけど。思えば小学校の時の給食の時間も、妖狩りから帰ってきた時も、智太郎の食事時には周りが目を白黒させていた様な。


「私は魚介系の方が好きですよ」


 にこやかに話に紛れ込んだ黎映は、確かにさっぱりとした方が好みには思える。桂花宮家で、肉豆腐と大根の煮物を食べていた時も、大根から取っていたっけ。


「そうね。悩ましいけど……やっぱりわっぱ飯は魚介系が多いもんね。美峰も蟹わっぱにするの? 」


 真剣にメニューを広げている向かいの美峰に話しかけると、助けを求める様に見つめられる。


「それが! なんと、海鮮わっぱがあるの! 鮭も蟹も牡蠣もいくらも乗ってるの! 」


「え! じゃあもう、それにした方がいいんじゃない? 」


「そうなんだけど……蟹わっぱの方が、当たり前だけど蟹が多いから悩んじゃって」


「成程……確かにね」


 私も真剣に再度メニューと睨み合いをしてしまう。だが、時間は有限だ。夕方までまだ時間はあるが、早くするのに越したことはない。


「綾人は何にしたんです? 」


 うきうきと黎映が尋ねると、綾人はキリリと答えてくれる。


「俺は智太郎と同じステーキ丼にする事にした。やっぱり、腹減ったし」


「裏切り者め」


 肉派に転がり込んだ綾人を、面白くなさそうに美峰は睨む。綾人はあたふたと演説する。


「だってさ、和牛だよ!? にんにくダレだよ、選ばざるを得ないだろ」


「確かに……。でも私はこれかな」


 美峰は納得した所で、メニュー表を指さす。やはり蟹わっぱにするらしい。残された私と黎映はメニューをガン見する。スマホに執着するのはどうやら止めたらしい。


「海鮮わっぱも良いけど……鮭親子わっぱもあるよ、どっちにしようかな」


「じゃあ、どちらも頼んで分けましょうか? 」


 黎映は良い事を思いついたと言う様にキラキラと見つめられるが、流石にそれは実行不可かな。首を横に振り、私は大人しく良いとこ取りを選択することにした。


「海鮮わっぱにする」


「じゃあ私は鮭親子わっぱで! 」


 黎映が最後にメニューを決めると、皆店員に決まったメニューを伝えた。うずうずとした時間の後に、それぞれのメニューが到着する。私は待ちわびた海鮮わっぱを、しげしげと見つめる。使い込まれているからこそ味わい深く見える、杉の曲げわっぱの御殿に鎮座していたのは……紅玉髄カーネリアンの海の姫。透き通る金赤の中に鮮やかな紅緋べにひの卵殻が美しい、いくらだった。品良く戴く柚子の千切りは、黄色の玉櫛たまぐし。青のりは鶸萌黄ひわもえぎ花茣蓙はなござであり、几帳きちょう。姫の眼下には、鮭、蟹、玉子、牡蠣の家臣達。こちらは姿を几帳で隠されていて、実際に味わった方が早そうだ。

 先ずは姫から頂こう。わっぱの上部、三分の二を占めるいくらを蟹とご飯ごと、贅沢に頬張る。さっぱりした柚子の香りを纏う、新鮮ないくらは弾力がある余り一瞬ツルリと口内を逃げるので、ちょ、待ってよ!と追いかけた。綺麗な丸を罪悪感に負けずにプチと噛むと甘い醤油の味が広がって、蟹とご飯に染み渡る。秘伝の出汁が染み込んだご飯はツヤツヤなのにふっくら。このご飯だけでも食いしん坊じゃなくたって、何杯でもいけそうだ。自分の家にこの出汁が有れば万能なのに、と羨ましくなる。門外不出だから秘伝なんだろうけども。いいな……。蒸された蟹は解す度、一筋一筋がフワップリッとしていて堪らない。お次は、ほんのりと甘苦で、茹でてあるのに何故かプルリとした牡蠣。でもこれって常識だっけ? 忘れさせる程の柔らかさに暫し、舌が感動して静止してしまう。鮭は塩加減が絶妙で出汁の効いたご飯と絡ませると、最高の相棒になる。忘れちゃいけない玉子焼きも、香り高い青のりごと味わうと、ほんのりとした優しい甘さなのに最後は出汁でしっかりと胃袋を掴む。正に美味しい所を持って行かれた……! と言う感じだ。多分このわっぱ飯は、美味しすぎて思い出す度に、舌が疼いて胃が求めてしまうと思う!


「はっ! あまりの美味しさに意識が飛んでた」


 我に返った私は皆を見渡す。左側の智太郎と綾人の男子チームは、黙々とステーキ丼に食らいついている。秘伝の出汁のご飯なら肉を乗せても邪道じゃない、と今なら断言できる。四角いガーリックの粒が、ブラックペッパーごと脂身照らす和牛をジュルリと……。いけない! 肉派に転じてしまう!

 慌てて肉派から目を離すと自然に目が合ったのは美峰と黎映。蟹わっぱと鮭親子わっぱの美味しさは、海鮮わっぱならカバーしてるよね、と少し得意げになってしまう。


「美峰、蟹美味しかった……ん……? 」


 美峰の曲げわっぱをよく見ると、中身は既に空になっていた。左側の男子達はまだ黙々と肉にがっついてると言うのに、美峰の蟹わっぱは、魔法のように無くなっていた。


「美峰、もう食べたの!? 早っ!! 」


「ちゃんと噛んでるよ? 蟹美味しかったから、ペロリって感じだけど。 ここのご飯最高に美味しいね」


 満足そうに美峰は幸せな笑みを浮かべる。私はまだ半分残っているし、黎映の鮭親子わっぱも同じ様な進み具合だ。美峰は早食いどころか、ハイスピード食いらしい。こんな細い身体のどこに入ったのか……と私は驚愕する。


「凄いですね……忙しい時には最高の特技になりそうです」


「分かる。学校に遅れそうな時、結構良いよ」


 感心する黎映に、得意気に胸を張る美峰。

 そう言えば……と少し見慣れない雰囲気に変わった右横の人物を一瞥する。黎映はご飯を食べる為、面紗を上げていた。桂花宮でも食事時には少し面紗を上げていたが、目元は隠れていた。面紗越しでは無く、照明の下で見る黎映は不思議な気がした。黒から白に変わる髪はより明確に見えて、年齢との差異を感じさせる。鼻筋がすっと通った端正な顔立ちは思っていたよりも、日に当たった事が無い様に白皙はくせきだった。実際に伊月家から外出は許されていなかったのだろう。それよりも……視力を奪われ、濁った白い左目が痛々しい。黎映が私を振り返ると、爛々と赤色に光る妖の右目が捉えた。その鋭い瞳孔は、鴉と同じように間違いなく妖の物。


「も、申し訳ございません、千里……嫌な物を見せてしまって。直ぐに面紗を下ろしますから」


 気が付くと私が見つめていた事を勘違いしたのか、黎映が眉を下げ、顔を辛そうに歪める。赤と白の双眸は揺れていた。私は慌てて面紗を下ろそうとする黎映を止める。黎映の手元に触れてしまい、指を引っ込める。


「違うの、嫌な物なんかじゃ無いよ。私こそ、じろじろ見たりしてごめんね」


 黎映は私の言葉に、赤と白の瞳を大きく見開いて玲瓏とした光を宿らせると、瞬きをした。それからくしゃりと、切ない物を交えた笑みを口元に湛える。その双眸は少し潤む。


「……有難うございます」


 それきり黎映は俯いてしまった。目尻に光る物を見てはいけない気がして、私は美峰に向き直る。だが、美峰は短眉を寄せて驚愕に目を見開き、黎映を見つめていた。


「黎映……? 」


 美峰の疑問の声の後に、テーブルが大きく振動する。智太郎と綾人も手を止めて振り返る。テーブルに衝撃を与えたのは、私のすぐ右側の手。私は再度黎映を振り返る。黎映は右目を押さえて、苦悶の表情を浮かべていた。額には汗がじわりと滲み始める。


「……やはり……今日だった様ですね」


 そう告げると黎映の顔は白皙はくせきどころか、みるみる青ざめていく。刻限の事実が突き刺さった私は、凄絶な痛みを抱える黎映に手を伸ばす事は出来なかった。



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