第七十三話 素直な凶器



「あったよ、 饅頭屋! 」


 途中で手に入れたパンフレットのマップと睨み合いながら、美峰と私はようやく待ち合わせの場所に辿り着いた。私はパンフレットから顔を上げると、傘を差して立つ三人の姿を確認して安堵した。智太郎は私を冷静に見つめる。花緑青の瞳と視線が交わると、嬉しくて胸の内の幸福感が歩く度に広がった。


「転ばなかったか」


「大丈夫だよ、何とかね……」


 幸い進むに連れて道は踏み固められていたし、ゆっくりと歩いてきたので智太郎の心配は当たらなかった。


「美峰、遅い……」


 綾人は遅れてきた美峰を責めようと口を開くも、それ以上続けられない。開かれた眼がしっかりと美峰の袴姿を確認し、惚けているのが確認できて、私は小さくガッツポーズを決める。上手くいったようで、口角が上がってしまう。


「どうかな……? 」


 美峰のちょこんとした短眉が下がるのが見える。小さく微笑み頬を染める美峰の可愛さは、私にもヒットしたので胸を押さえる。長着は鮮やかな瑠璃色で青い蝶も白い花に寄り添うように飛んでおり、袴は胡粉色の襞からチラリと瑠璃色が覗くバイカラー。袖と袴が風でひらりと揺らぐ。風は艶やかな黒髪に隠れていた、耳元の青百合のピアスもちら見せし、繊細な甘さを振りまいた。可愛い……キュンとする。


「え……? うん、似合ってると思うよ」


 綾人が目を泳がせながら言うので、意地の悪い笑みを浮かべて智太郎は圧をかけて綾人の横に立つ。ナイス! 流石、智太郎。


「それだけかよ」


「何なの怖いんだけど! ええ、分かってますとも。言いますから! 」


 綾人は深呼吸して気持ちを整える。そんなに勇気がいる物なのかな……と私が苦笑すると、残酷にも綾人の勇気を踏み躙る存在がいた。


「凄く可愛らしいと思います。美峰さん、瑠璃色がお似合いですね! 」


 面紗の奥から、赤と白の瞳を輝かせる黎映だった。私と智太郎は拍子抜けして固まってしまう。美峰は思わぬ方向からの賛辞に、有難うと呟いて更に赤くなるばかり。


「黎映……」


 だがそんな黎映を、青い焔を宿した瞳で睨む存在がいた。黎映は小さく悲鳴を上げて、綾人を見つめる。だが、黎映は何故自分が睨まれているのか全く検討がついていないようで、私は小さく溜息をつく。


「どどど、どうしてそんなに恐ろしげに、綾人は私を睨んでいるのですか? 私、何かしました? 」


「したんだよ、それが」


「あ! 分かりました、褒め方が不味かったんですよね! 待ってください……俳句の方が良いですかね」


 真剣に考え始めた黎映に、勢いを削がれた綾人は、がっくりと肩を落とす。


「いい。うじうじしてた俺が悪かった」


 頬を染めた綾人は唇を結ぶ。同じ様に頬を染めて硬直する美峰に近寄ると、姿勢を正して思いの丈を叫んでしまった。


「めっちゃ似合ってるし、可愛い!! 美峰の、実は寂しがり屋な所も甘えさせてくれる所も大好きです! !」


「ちょっ!! 馬鹿、外で何叫んでんのよ!? 」


 美峰は茹でダコの様に赤くなり、慌てて綾人の口を塞ぐ。道行く観光客が、何事かと振り向く。中には口笛を吹く人もいて、私は応援していいのか、そっと知らないフリをして逃げるべきか凄く悩んだ。


「成程、これが正解なのですね! でも私には使えません……」


 納得し、思い悩み始めた黎映にツッコむ気力も湧かず、私は苦笑いをするしかない。だが冷静な存在が、一声を発する。眉を寄せた智太郎だった。


「そういうのは誰も居ない所で言っとけ。と言うか、目的がズレてるぞ」


「はっ! ふぁしかに! 」


 美峰の手で、口を押さえられたまま綾人がもごもごと冷静になる。


「初めから気づいて欲しかったかな……」


 美峰は羞恥を堪えるように、斜め下を見つめる。この事態をどう収集すべきか悩んでいた私は、ついに答えを見つける。


「取り敢えず温泉饅頭買って、お昼食べない!? 」


 美峰にも饅頭を奢るって約束していたし、丁度いいのでは無いだろうか。観光客の往来から一度逃れたい……と思うのは私より、寧ろ当事者の筈。ちらりと綾人の口を押さえたままの美峰に視線を送ると、私の合図を理解した美峰は、我に返り綾人から手を離す。


「そうだよね、もうこんな時間だし」


「それなら、いい場所がありますよ」


 と、付箋の沢山貼られた観光ガイドブックを開いたのは勿論、満面の笑顔を浮かべた黎映。だが私たちに向けて開かれたページは、皆を納得させる物だった。


「わっぱ飯かぁ……いいね」


 美峰から解放された綾人は、じゅるりという音が聞こえそうな程に目を輝かす。この事態を招いたのは、彼だと言うのに随分呑気な事だ。だが、智太郎も同意する。綾人と黎映に付き合わされたと言っていたし、疲れた顔をしていた。


「まあ、歩き回るのも疲れたし良いかもな」


 饅頭屋で第一の目的を果たした一同は、第二の目的地へ向かう。辿り着いたのは黎映のガイドブックに載っていた、赤い暖簾が印象的な食事処。橋を挟んだ先にあるその店先に、オススメのメニューが看板に載っている。


「絶対蟹わっぱだよね! でしょ、綾人 」


「え、鮭親子わっぱじゃないの? 他にもあるけど……」


 美峰と綾人が早速看板を見ながら揉めている。入口に居ると入れないんだけどな。あの……後が詰まってますよ。


「お前ら、悩むのは中に入ってからでいいだろ」


 智太郎が睨みを効かせると、綾人は青ざめ、美峰は腕を組んで睨み返す。


「分かってないわね、尾白くん。看板にあるメニューこそ、そのお店の最推しメニューなんだから。まぁ、もう決まったからいいけど。行こ、綾人」


「はい……」


 名残惜しそうに看板をちらりと振り返ると、綾人は美峰と共に先に店に入る。私も智太郎の後に続き、店内に入ろうとするが、まだ入口で立ち尽くしている人物が居た。


「黎映、取り敢えず中に入ろ? 」


 私が声を掛けると悩ましく看板を見つめるのを止めて、何故か黎映は嬉しそうに私を見つめる。メニューが決まったのだろうか。


「入口の時点で、既に悩ましいですね。千里は、候補決まりました? 」


「ううん。やっぱり中に入ってから決めようかと。……そんなに気になるの? 」


「そうなんです。早く中に入らないととは思うのですが」


 結局、黎映は看板に齧り付くように、その場から動こうとしない。このままだと次にお客さんが来たら、邪魔になってしまう。困り果てた私は、黎映をこの場から動かす手段が閃いたので実行する。


「じゃあ、看板の写真撮ってあげるから、中で見ればいいんじゃない? 」


 私が看板をスマホで撮ってあげると、黎映は面紗の奥で丸くしていた赤と白の瞳を効果音が聞こえてきそうな程、キラキラと輝かす。


「有難うございます! じゃあ、席は隣でないと見れませんよね」


「ん? ……まぁ、そうなのかな? 」


 私のスマホを貸してあげればいいんじゃないのかな、と首を傾げている内に、黎映は私の手を勝手に繋いでしまう!


「さあ、千里もお早く」


「ちょっ、黎映!? 」


 看板の前から動かなかった人物とは思えない程軽快なステップで、智太郎達が座る席へ向かってしまう。まずい、早く手を離してくれないと、殺気が間違いなく降り注ぐ事になる! だが、私の抵抗虚しく三人が座る席にそのままたどり着いてしまう。細いように見えるのに、意外な黎映の力に抵抗できなかった。


「ぅっ、けほ!? 」


 私と黎映の繋がれた手を見て、水が気管に入りかけたのは綾人だった。息を整えると、綾人はコメントを発する。


「一体何があってそんな事に!? 」


「私にも分からないの……」


 仰天する綾人に、私は暗い顔で斜め下を俯く。俯く前にちらりと見えたのは、固まる美峰と……。


「何のつもりだ、黎映……? 」


 鬼の形相で殺気の炎を纏う智太郎だった。心無しか、花緑青の陽炎が見えたような。私は見ない振りを通そうと思う。肝心の本人は、と言うと。


「千里に、看板の写真を撮って頂いたのです。隣の席で写真を見せて頂こうと思いまして」


 智太郎を恐れる事無く、ケロリと真っ直ぐな声音で告げる。素直もそこまで行くと凶器だと思う、と知らない振りをしたくなる。


「写真何ぞ、席が隣でなくても見れる。いいから千里の手を離せ」


「そんな事無いです。千里のスマホを勝手に使う訳にはいきませんし。隣の席を譲って頂けるのならばいいですよ」


 果たしてどうした物かと顔を強張らせるしか無い私。だが、嫌な旋律を奏でるピリついた空気を……遂に一刀両断する人物が現れたのだった。



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