第七話 秋嵐



「千里様」


 自分を呼ぶ声がして、振り向くと、屋敷に勤める妖狩人の竹内がいた。


「どうしたの?」


 頬に触れた手を、智太郎がすっと離す。


「ご当主がお呼びです」


「父様が? 今行きます」


 直々に私を呼ぶなんて、珍しい。父である桂花宮 翔星けいかみや かいせいは母を死なせた自分を恨んでいるのでは、とも思う。私が生まれて直ぐに、母は亡くなったと聞いた。恐らく、私の力が負担になったのでは、と想像している。翔星に優しくされた思い出はあまりない。だが、『金花姫』である私を捨て置く事もできない。 思い出せる父は、何時も鷹のような鋭い目つきに冷えた感情を浮かべる姿だった。今日もそれは代わらない。四十路よそじの男は私の記憶通りにこちらに視線を向けた。



「今日はお前に話しがある」


「はい」


 なんとも珍しい事だ。客間に呼ばれた私は僅かに眉を顰める。今日は厄介な来客付きだったらしい。その来客達は私でなく、守り人である智太郎を見ている。いい大人の癖に、ひそひそと罵詈雑言を吐いている。


「混じり物風情が、まだ金花姫様の守り人を」


「尾白の面汚しが」


 代表して智太郎を睨んでいるのが、尾白 隆元 おじろ りゅうげん。尾白家当主であり、智太郎の実の祖父である。潔癖そうに眉を顰める七十路程の男だ。尾白家は妖の狩人を輩出する家門の一派だ。二つある術式の一つである、生力しょうりょく由来の術式を扱う家門でもある。生力由来系の家門は、もう一つの術式である擬似妖力由来の術式を扱う家門を毛嫌いする風潮もあるので、妖の血を引く智太郎は更に受け入れ難いと言う訳だ。

 更に、智太郎の父親である 尾白 渉おじろ わたるは桂花宮家に仕える狩人だったが、渉は尾白家から輩出された狩人だというのに、桂花宮家の妖である埜上咲雪のがみさゆき夫婦めおとの契りを結び、他家のものに手をつけたとして、尾白家から勘当された。

 智太郎が私と出会った後……守り人として妖の狩人になる為には、家門の苗字が必要だったのだが、尾白家は無論拒否した。しかし、私の祖父である桂花宮 正治けいかみや しょうじが智太郎の後見人として付いた事もあり、結局は、尾白の名を智太郎に継がせる事に同意したのだった。実際に智太郎を鍛えたのは正治であるので、形ばかり、ではあるが。古くから桂花宮家は、妖の狩人達を中立の立場で支える司令塔の役割を果たしてきたので、尚、逆らえなかったのであろう。 

 いつもの事とは言え、尾白家の者に会う度に囁かれる罵詈雑言を、智太郎は眉ひとつ動かさず、聞いている。

傍にいる私の方がむっとしているに違いない。父である翔星は私の様子を意に介する事無く、話を続ける。


「次期当主のお前は、桂花宮家を継いでいかねばならん。継ぐ、ということは、その次に継ぐもののことも考えねばならない」


「と、言いますと?」


「お前を、そろそろ婚約者と会わせねばならない」


 私は呆然としてしまう。確かに、そう言った話はいつか来るとは思っていた。だが、もう婚約者が決まっていたなんて知らなかった。私の意思を踏み躙る様に判断がされるのは常だったが、今回は突飛すぎた。震えて、声が上擦ってしまう。


「わ、私は嫌です」


「お前に拒否権などない」


 表情を変えずに私に告げる。相変わらず、父だった。私に選択権を与えない。悔しくて俯いてしまう。どうすれば、この状況を覆せる? 答えを見出そうと脳内をぐるぐると巡回するが、思い当たったのは、つい最近起こった出来事。突然、口付けされた出来事だ。それをヒントに、私は返す。


「私には……好いている方がいます。相手の方にも失礼なのでは?」


「それは一体誰だ?」


 父が扇を閉じる。その僅かな動作に、空気が引き締まりざわつく声も止む。誤魔化す為に言ったはずが、裏目に出てしまった。本当は好きな人なんて居ないのだから。答えられない私に翔星は、鼻で笑う。


「ふん、言えぬような相手ならば、縁を切れ」


 唇を噛んだ。何故勝手に未来までも決められなければならないのか。桂花宮の為にいつかは結婚しなければならないのは分かる。だが、意思を無視されるのは本当に不愉快だ。


「お前には相手方に会っていただく。日が決まったら、また伝える」


 これで終わりだというように、父は言い切った。私は、礼儀も忘れて部屋を飛び出した。


「もう、何あれ! 本当に信じられない! 」


 足音が聞こえるから、着いてきているであろう、智太郎へ言った。


「相変わらず、尾白家は嫌な感じの人達だし! 智太郎にも酷い態度、まだ守り人になったことを言ってるなんて」

 

 私は怒りを込めて、振り返る。智太郎は私と反対に冷静だった。


「今に始まったことじゃない。尾白家あいつらが文句しか言えないのは、結局実力で勝てないから」


 天才的とも言える実力で、守り人の座を勝ち取った智太郎が言う。確かに、他にも自分の家門から、守り人を出したかった者も居ただろう。何と言っても、桂花宮家の次期当主なのだから。そう言う時ばかり、権力者扱いされても正直億劫だ。


「私、絶対に嫌。父様が決めた相手なんて、ろくでもないに決まっているもの」


「別に、従う必要なんかない」


「でも、どうしよう…」


 このままじゃ、顔合わせをしたらそのまま逆らえない流れになってしまう。拒否するだけでは意味が無いのは、今のでよく分かっている。


「その顔合わせの時に、好きな奴を連れてくればいいんじゃないか?」


 私は足を止める。勢いで言ってしまったものの、智太郎に聞かせてしまっていたんだった。だが、一体誰を連れて来ればいいと言うのだろう。屋敷の狩人達には迷惑を掛けられない。出来れば関係者が知らない人間がいいが……まさか、黒曜? 絶対に駄目だ、そもそも妖だし。どちらにしろ会う方法すら分からない。特に智太郎には会わせれない。前回ですら、当たり前ながら銃撃戦になったのに、滅しに行くんじゃないだろうか。黒曜を連れてくる、なんて、本気で身内を犠牲にして、戦場にしたいと思わない限りできない。智太郎は溜息をついただけで、それが誰かは聞かないでくれる。


「そいつは来れないんだな」


 私は静かに頷く。絶望的かもしれない。他に拒否出来る手段が有るとすれば夜逃げくらいか。まともに外の世界を知らない世間知らずの私にとっては現実的では無い。


「なら、俺がなってやる」


「うん……え?」


 智太郎のさらりとした一言に、反射的に頷きそうになったが、理解できなかった。思考が完全に停止している。冗談で言っている訳では無いらしい。智太郎の双眸は至って真剣に瞬いている。私は眉を寄せて、小首を傾げた。


「何……どういう事?」


「お前の好きな奴、になるって事」


 聞き直しても、やはり、智太郎は花緑青の双眸で静かに見つめるばかりで、何を考えているか分からない。心臓が五月蝿く鼓動を始める。一体どういう意味だろう。混乱して、頬を赤く染めたまま何も言えなくなった私を察して、智太郎は肩を落とす。


「だから、婚約を断る口実に、好きな奴の振りをしてやるってこと。その後は別れた振りでもすればいい」


「なんで……そこまでしてくれるの」


 混乱が解消していくにつれ、私は疑念を抱き目を細める。唯でさえ、尾白家は、智太郎に対する風当たりが強いのにそんな事をしたら更に酷くなってしまう。利益なんて、智太郎にあるだろうか?


「それは……」


 答えようとして、眉を寄せ智太郎が口を開く。 だが、暫しの後、また閉ざしてしまう。智太郎は背を向けた。


「守り人は、守るのが仕事だから。厄介事からも守ってやる」


「そんなの……割にあわないよ」


「俺は、お前に恩があるから当然だ」


「私は、智太郎に何もしてない」


「お前がそう感じてなくても、俺はそう思ってる」


 平行線だった。私が智太郎にしてあげられた事なんて無い。寧ろ、智太郎と母の自由を奪った側の人間なのに。智太郎に救って貰ったのは私の方だ。あの日、智太郎が私を追いかけてきて名前を呼んでくれた時。孤独じゃなくなったのだ。


「やっぱり、そんな事出来ないよ」


 私はそれ以上智太郎の背中を見つめる事が出来ずに駆け出した。智太郎は追いかけてはこなかった。



 

――*―*―*―《 智太郎目線 》―*―*―*――


 

 何故か、と聞かれた時、どうして直ぐに答えられなかったのだろう。俺は、立ち尽くしていたことに気が付いて縁側に腰をかけた。好きな人、とは恐らく鴉の事で間違いないだろう。大体、狭い世界で生きているし、他に思いつく奴なんていない。


「本当に殺してやりたい」


 鴉の事を思うと、殺意しかない。千里に口付けした事といい……思い出すだけで腸が煮えくり返る。半不死のあいつは仕留めるのに骨が折れそうだが……いつか必ず仕留めてやる。

 今の問題は、その婚約者だ。自らの家門を捨ておいて、婿養子にわざわざ来るなんて変わっている。相手は金花姫だから、箔が付くとでも思っているのだろう。一体誰で、何が目的なのか……。

 冷たい風が紅葉を剥いで、湿った地面をまた茜色に彩る。灰色の空からは雨の香りがする。今夜は天気が荒れる。秋嵐しゅんらんは、どうやら波乱を連れて来る様だ。



―*―*―*―《 智太郎目線 end 》―*―*―*―


 

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