第八話 振袖と婚約者
翌朝、馴染みの着物屋が、振袖を持ってきた。白い桜と黄色の桜が全体に咲き誇り、袖を広げると垂れ下がるように桜が咲いて見える綺麗めな若草色。白い鶴が大きく入ったレトロな赤色。桃色の
「まさか、婚約者に会うために仕立てていたなんて」
どれも気に入っていたけれど……選ぶ理由を知るとだいぶ憂鬱になってしまう。どうせ無理やりにでも連れていかれるのは分かっているし、振袖には罪は無い。今私に出来るのは、精一杯拒否する事だけ。その場でとんでもない冗談でも言ってみる? ……そんな才能ないかも。私が溜息をつくと、着物屋の女性、入江はまあまあ、と笑う。
「お嬢様にも、思う所はおありでしょうけど、単純に好きな物を選んでみては? 全部お似合いでしたから、どちらを選んでも良いと思いますよ」
「好きなの、ねぇ……。智太郎、どれがいいかな」
赤は華やかすぎる気がするし、水色は可愛すぎる? 襖を開き、自分の部屋で座る智太郎に聞く。智太郎は振り向くと僅かに口角を和らげ、以外にも真剣に一緒に見てくれる。こちらの方がドキドキと答えを待ってしまう程だ。
「千里は……若葉色がいいと思う。千里の目の色に合うから」
そう言われると、確かにそんな気がしてくる。智太郎が指を指した若草色の振袖は、
「若葉色にするわ」
入江は頷いて、着付けを始める。私も普段の着付けは出来るが、振袖はまた別だ。しっかりと綿花とガーゼとタオルで補正をする。
振袖は、少し幅のある半衿と、細く見せる重ね衿の組み合わせで衿元を彩り、帯周りは、帯上に帯揚げ、帯真ん中に帯締めを組み合わせる。振袖と帯に加え、四点の小物で雰囲気を作るのだ。半衿は刺繍入りの物もあり、着物の中に長襦袢と言われる物の白い衿が見えるのだが、そこに縫い付ける物だ。すっきりさせる為、縫い付けない場合もある。重ね衿と帯締めで、差し色により全体を引き締める事も出来る。コーディネートに決まりは無い為、実際は自由なのだが。普段の着物は重ね衿を入れない事もあるが……振袖は違う。
刺繍半衿は、黄色の丸い花と緑の葉が可愛らしいミモザ。洋風の刺繍がマッチした時、嬉しさと自分らしさが溢れた。重ね衿は山吹色に金のアクセントが入り、肌写りを良くするには重要だ。帯揚げは乾鮭色で薄くラメが入っており、欠かせない品の良さをプラスしてくれた。
「出来ましたよ! 」
入江がにこやかに、鏡越しに見せてくれた帯結びはアレンジされた花結びが見えた。着付け師でもある入江にしか出来ないオリジナルの結びだ。薄金の
「可愛い……」
合わせて、薄萌黄のラメと薄い
「お前、目的忘れてるだろ」
呆れた智太郎が鏡越しに見え、私は直立不動になり我に返る。言い訳のように苦笑いし、忘れてないアピールをする。
「何とか美味く断らないといけないよね……。智太郎、いいアイデア他に無いかな? 」
智太郎を鏡越しに見つめる。智太郎が提案した例のアイデア以外にあれば最高なのだが……。智太郎にこれ以上迷惑を掛けたくない。
「丁寧にお断りすればいいだけだ」
智太郎は珍しく、ふっと笑う。余裕の笑み。そんなに良いアイデアなのか。私に教えてくれないのも作戦の内? 私は小首を傾げて一応問うてみる。
「どんなアイデアなの? 」
「リアクションが大事だから、知らない方がリアリティがある。俺に任せておけばいいから」
「ふぅん……智太郎がそう言うなら」
やっぱり作戦の内だったらしい。智太郎に任せておいた方が私が下手にじたばた足掻くよりも良さそうだ。不慣れな一発芸では絶対に無理そうだし。私は納得し、智太郎に振り返る。
「どう……かな?」
鏡越しに薄ら見るのと、実物は全然違うでしょ? と自慢するように微笑みも追加してみる。髪飾りの房が揺れて視界をはんなりと彩る。だが智太郎は腕を組んで固まったまま、返事をしてくれない。花緑青の瞳は僅かに見開いただけで、六花の様に白い睫毛で何時ものように瞬きをしない。確かに私と向かい合っているから、見えてはいる。眉も、僅かに隙間のある唇もピクリとも動かない。頬が薄ら色づいている気がするけど……これは一体評価何ランク?
「え、なんか変かな?」
一緒に選んでくれた時までは良さそうだったんだけど……着たら違った、なんて事無いよね? 小物も合わせて寧ろグレードアップしかしてないはずなんだけどな。急に自信が無くなってきてしまい、横髪を触る。
「別に、変じゃない」
気がつくと智太郎は俯いていたが、答えてくれた。だけど、肝心の表情があまり見えない。とりあえず平均値を達成してるか……という所? 思ったより反応が薄くて、少し残念だ。何時もより着飾ってるというのに。
「千里様。先方がご到着致しました」
屋敷の狩人の、竹本が障子越しに教えてくれた。肩を落としたまま、私は返事をする。いよいよ……向かわねばならないらしい。呼吸を整えて、覚悟を決める。智太郎の作戦を信じよう。向かう道程が一歩一歩、重く感じながら、いよいよ客間の前に到達すると、私は正座をした。智太郎が襖を開けてくれる。
「お待たせ致しました」
私は、三指をついて顔を上げた。父と付き人達の中に、見慣れない若者がいる。彼が例の婚約者らしい。私より年上で二十歳は過ぎていそうだ。切れ長で薄茶色の目をしている。光の加減で紺色にも見えるような、真っ直ぐな黒髪が耳元で一房にに束ねられている。微笑みを浮かべているが、その笑みは私を検分するようだった。口をきゅっ、と結び部屋に入る。智太郎も私の後ろに座る。翔星が私を紹介する。
「伊月さん、こちらが娘の
「よろしくお願いします。
誠も頭を下げる。当主の座を弟に譲るのは、縁談と関係があるのかもしれない。何か、言わなければ。そう思うのだが、緊張に包まれて言葉が出ない。心臓が早鐘を打ち始める。
「申し訳ないが、今回の話は無かったことにして頂きたい」
私の心情を代弁したように、言ったのは智太郎の声。空気が一気に冷える。
「お前に発言を許可した覚えはないが」
翔星が静かな怒気を交えて、私の後ろの智太郎を鷹のような鋭い目付きで睨む。
「混じり者が口を出すな!」
聞いているこちらが、指先から体温が引いていってしまう。これが作戦の内だとしても、冷静に聞いていられない。声も出せずに、後ろを振り向くと智太郎はいつも通りどころか、僅かに笑みを浮かべてすらいた。
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