第十二話 栄螺堂に眠る者
朝食を終えると、早速玄関の外へと向かう。羽が生えたように足取りが軽い誠は、まるで遠足にいくようだ。多分、この中で一番浮かれているんじゃないだろうか。智太郎が凍てつくような視線で、その背を貫かんばかりに睨んでいる事に気づいている筈なのに……やっぱり、変わっている人だ。
「さて、道案内の方はさせていただきます」
「その……栄螺堂でしたっけ、一体どんな所なんですか?」
誠が改めて説明をしてくれる。私はあまり外出が許されていなかったので、正式に遠出をするのは初めてだ。どきどきと、伺う。
「そもそも
「大蛇が封印された所……でしたか」
智太郎が確かめるように言う。
「そうですね。
伊月家が秘匿していますので、詳しい場所はお伝え出来ないのですが、と伝えられる。家門の、術式の根源に関わっているのかもしれない。
「一般向けにも公開はしていません。一応、細心の注意は常に払っていますが、万が一、一般の方が札に触れた場合……取り返しがつきません。最近は好奇心旺盛な若者が多いですので」
「千里には触れさせようとしてますがね」
智太郎が毒づくが、誠は気にせずに受け流す。
「金花姫ならば問題はありません。さあ、どうぞお乗り下さい」
誠はまるで執事の様に私を案内し、停めてあった車のドアをあける。見慣れない銀の乗用車だ。
「ありがとうございます……誠さんの車なんですね」
「ええ、私も二十三になりますから」
六歳差になるのか。もし婚約が破棄できなければ、年の差がある婚姻になるのか。そんな考え事をしながら乗ろうとすると……。
「おい、お前は後ろだ」
智太郎が私の肩を掴んで止める。確かに、誠が開いたドアは助手席のもの。
「おやおや、千里さんと楽しくお喋りを、と思いましたが駄目でしたかね」
「お喋りなら後ろでもできますよ」
「なら、智太郎さんが来て下さるのですかね」
「守り人なので、残念ですが」
ちっとも残念そうな表情をせずに、智太郎は返す。というかそんなに席で揉めなくても、と思う。結局、私と智太郎が後ろ、という乗り順になる。誠は話を続ける。
「やはり、桂花宮家の金木犀は美しかったです。噂通り立派でした」
「ありがとうございます。家門名の由来でもあるので」
桂花宮の、桂花とは金木犀のことだ。家紋も、金木犀の特徴を捉えた四花と樹だ。
「確か……御先祖が金木犀と逸話があるとか?」
「そうですね。初代当主が金木犀を気に入って、その周りに屋敷を建てさせた様です」
「成程。その初代当主以来の生力の持ち主と名高いのが金花姫なわけですか」
私は慌てて、誠の推測を否定する。唯の噂に過ぎないと言うのに。
「皆、想像で言っているだけなのです。初代当主の実力を知るものなど手記にしか無い訳ですから」
「手記があるのですか、千里さんもご覧になった事が?」
「私は少しだけ父に。手記と言ってもたわいない日記のようなものでした」
「私からすれば中々興味深いです」
「大した内容ではないですよ、庭で鳥に会った、とか」
そう言いながら、鴉の夢のことを思い出す。なんだか内容が似ている様な。私が実際に鴉に会ったのも、金木犀の下だった……。
「ほぉ、許されるのなら是非拝見させていただきたいものです」
「そうですね、父の許しがありましたら」
暫し車が走行すると、車窓から見える景色は、木々は緋色や
「凄いね……智太郎。紅葉が綺麗だよ」
「……そうだな」
こんなに美しい景色が誰かの手で作られた物では無く、自然に出来たんだと思うと、私達は感嘆の声しか出せなかった。野山の錦とは良く言った例えだと思う。
「今まであまり外出できなかったのが勿体なかったかも……て思う」
「そう思うんなら、また来ればいい」
「うん……また」
だが車はトンネルに入り、景色は闇に包まれる。
「もう少しで着きますので」
誠の声で私は前を向く。長いトンネルを抜けて山道に入ると、紅葉の景色とはガラリと変わり、深緑の木々が現れる。秋だというのに不思議だ。木々の枝葉が空を覆い、影を落としている。今が昼なのか分からないくらいに、木漏れ日が無い為に時間を感じる事は出来ない。ここは結界だ。森の重々しさに、身体が痺れるような恐れを感じる。だが害意を感じないのは、それが悪い物では無いから。森自身で構成された、結界の奥……何かがいる。森の奥でひっそり眠っている気がする。私達が乗った車はある石段の横で停車した。
「着きましたよ」
誠がドアを開けると、森の張り詰めた空気が心臓を掴む様に、私の身体に染み渡る。先程よりも明確に感じる。森の深い影の中、眠りにつく大蛇の存在を。
「この奥ですよ」
智太郎と共に、誠の案内を受ける。長い石段を一歩進む事に心臓が早鐘を打つのを感じる。頂上に辿り着き、私の視界を奪ったのは、近づく度に感じていた通り、大蛇が
「大丈夫か」
ふらつき青ざめる私の肩に、智太郎が触れる。智太郎も栄螺堂の深部で古い眠りに着く存在を感じているだろう。私は、何とか微笑を返す。
「ありがとう、智太郎。……誠さん、この大蛇の眠りは妨げてはならないと思うのですが、本当に札を剥がしてもよいのですか? 大蛇は完全に札と同化しているんですよね? 」
「ええ」
誠はまた読めない笑みを浮かべる。細められた薄茶の瞳に浮かぶ感情は、白か黒か。代々、大蛇の封印を守ってきた伊月家の者が言うのなら、信じるしか無い。だが、封印が大蛇と全て同化していなければ、危険だがチャンスでもある。
「お前が怖いならやめてもいい」
私の頭を智太郎が撫でる。まるで子供にするみたい。だが優しい掌の体温は、私の身体の強張りを解いていく。
「……やめないよ」
智太郎をまた幽閉なんかにさせない。絶対に札を持ち帰ると決めたのだから。私達は顔を上げ、誠に続き暗い栄螺堂の中へ踏み出した。大蛇の腹に飲まれたようで、なんだか気分が良いとは言えない。中は階段というより、まるで木でできたスロープのようになっていた。歩く度にギシギシと軋む音がする。誠の背中を見つめ続ける余裕は無くて、歩きなれない斜面に、体の末端の血が引いてかじかむ。次の一歩を踏み出したその時、
落ちる……!
抗えない恐怖に
「気をつけろ」
「有難う、智太郎」
私は張り詰めた息を深く吐いて、振り返る。智太郎は顔を顰めていた。
「伊月誠が居ないな。……あいつ、何を企んでいる」
気が付けば……私が追っていた筈の、誠の背中が見えない。先に行ったのかも知れないが……そもそも前方が真っ暗でゾッとした。案内役が、私達を置いていくなんておかしい。
「嵌められたって、こと?」
私は不安になり、智太郎の背の向こうの、辿ってきた道も確認する。少ししか登っていないはずなのに、下も終わりが見えず螺旋の闇が続いていて肝が冷えた。
「閉じ込めることが、目的?」
「落ち着け。別にこんな所に閉じ込めても奴にメリットなんかない」
「一度引き返す?」
「来た道は……気配を感じない。もう道が無くなってる。どちらにしても一度登り始めたら、最後まで登るしかない。栄螺堂は下りと上りの道が重ならないから、頂上まで行って下りの道を行くしかない」
確かに来た道は……腹の底が竦む様な闇の香りがする。死を纏う闇の香り。 柱と柱の隙間から、確かにもう一方の下りの道が見えた。木の壁に触れると、まるで脈打つかのように振動を感じる。これは、大蛇の心臓の音だ。上に行く程、明確に妖の気配を感じる。
「……登るよ」
再びとギシギシと音をさせながら、私は上を目指す。後ろから、智太郎の足音がする事に安心した。私は恐怖を感じても、心細く無い事に気がつく。
「智太郎……」
「何だ」
智太郎は何時も通り、落ち着いた声音で返してくれた。
「一緒に来てくれてありがとう」
一人だったら闇にも恐怖にも、絶対に耐えられなかったと思う。呆れたような溜息がして、
「当たり前だ。守り人なんだから」
と智太郎が言う。きっと仏頂面をしているんだろうな……と想像したら、自然と口角が上がった。緊張して、強ばっていた身体も温まり血が巡る。終わらないかと思った螺旋だが、遂に頂上に到達すると、太鼓橋が現れた。やはり、誠は居ない。彼の企みは分からないままだ……。橋の向こうは思った通り、下りの道が続いていた。古い木板の天井は思ったよりも近く簡単に手が届きそうだ。沢山の白い札が貼られている。その中で一枚だけ、剥がれかけの札がある。札は金に輝いて見えた。きっとこれの事だろう。金の札は妖の気配がするが随分静かだ。やっぱり大蛇は札と同化していたのか。やはり、話すことはできない……。落胆するも、札を調べてみれば、何か大蛇の残した記憶が分かるかも知れないと気を取り戻す。
「これだね」
金の札から、ずっと感じていた大蛇の心臓の音が聞こえる。これがあれば、もう大丈夫。私は息を吐いて、手を伸ばす。
「触るな!」
何故か智太郎の焦った声が聞こえるも、私の指先は既に札に触れていた。
「え……」
札がピシリと空中に浮き、札の形になった穴が広がる。巨大な金の瞳が待ち望んだ獲物を睨む様に、私を捉えていた。札の光に見えたのは、大蛇の金の瞳だったのだ。札と同化などしていなかった。白い大蛇は、栄螺堂を揺らして高らかに咆哮を上げた!
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