第十三話 望んだ終わり



クォォオオヴググォヴオオォ!


 大蛇の咆哮がしたかと思うと、私の下から突風が吹く。いや……それは錯覚だった。大蛇が息を吸い込んだのだ。

身体が死の恐怖を本能的に察して逃げようとするのを、私は強い決意で留まらせる。大蛇が封印されていないなら、私には聞かなければいけない事がある。


「お願い、 貴方に聞きたい事があるの! 妖力の暴走を抑える方法を!」


 風の中、必死に叫ぶが大蛇はただ再び咆哮するだけ。また栄螺堂が、地震でも起こったかの様に揺れる。私は柱に掴まり再度叫ぶ。


グォオオゥクオヴォォォ!


「助けたい人がいるの、だから……!」


 大蛇が再び咆哮すると、風のやいばが私の腕を掠め痛みが走る。どうやら本当に風を操れるらしい。血が滲んで、力が入らなくなる。生力を吸われているのだ。


「千里!」


 智太郎が大蛇に銃を打つ。が、大蛇の操る風が銃弾を切裂く。舌打ちをした智太郎が壁を蹴り跳躍して、私に指先を伸ばす。手を伸ばし返すも意識が朦朧として力が入らない。 この大蛇は確かに古い妖なのかもしれない。会話をする事はやはり絶望的だ。だけど、この妖が知っている何かが、少しでも智太郎が生きられる方法に繋がるなら、諦めたくない。もし……大蛇の記憶を視ることができれば。鴉に会い、秋暁の光景を視たあの時のように。大蛇の大きな瞳を見る。その瞳を見つめていると、大蛇の感情が理解出来る様な気がした。悲歎ひたん激昂げっこう。そして、寂寥せきりょう。 一体何故……? そう思うと、急激に意識が遠くなる。金の光が溢れ、視界を覆い尽くす。



 小さな白蛇が、男を見つめている。栄螺堂の下、立つ男は白蛇に気づくと、微笑む。


「白蛇か……吉兆だな。 蛇は巻き付く……ばく……か」


 男は思いついたように白蛇へ手を伸ばす。


「一緒に来るか?」


 私はそこで気がついた。その男は切れ長で薄茶の瞳が、誠によく似ているのだ。その纏う雰囲気は包み込むようにやわい物だったが。波打つ薄茶の髪が彼の雰囲気を体現している。縛と言えば伊月家の術式だ。これは、伊月家の始まりと大蛇の記憶?

 

 それから、 幼い大蛇と伊月家の初代当主……伊月永進いづきえいしんは妖達の元を巡った。

 大蛇と永進が会う妖たちは皆どこか生気が無く虚ろだ。生まれたばかりの妖であった大蛇にはその理由が分からない。

 永進は大蛇に教える。皆、長い時を生き大切な人間に置いていかれたもの達なのだ、と。彼らは孤独であることに絶望しているのだと言う。

 大蛇は永進と共に、自身に宿る縛の力で妖たちを封印した。妖達にとって封印は苦痛ではなく救いだった。

 大切な人間が死んだ記憶を忘れ、眠りの中で幸せな記憶を見続けられる。

 

 伊月家の縛の術式の始まりは、妖たちに罰を与える為ではなく救いを与える為だったのだ。だが、今は大きく違ってしまったと思う。伊月家に終わらず封印の術式の始まりを知っている者がどれほど残っていることか。現実は人間に都合の悪い妖たちを、その意思を踏みにじり苦痛に陥れる者達だけ。

 

 桂花宮の狩人達……私もその一部? 私たちがしていることは誰かにとっては正義でも、誰かにとっては悪だとしたら。私がこれから歩む道は誰かを犠牲にしないだろうか。

 

 やがて永進は老い、かつての妖たちと死別した人間と同じ立場に立たされる。永進は大蛇に問う。私の死を見届けれるか、と。大蛇は否定する。永進は仕方がないと優しく苦く笑う。

 大蛇は栄螺堂の中を這い、巻きついた。眠るなら、永進と初めて出会った場所がいい。まるで大蛇自身が栄螺堂になったように馴染んでいた。今まで見届けてきた妖達のように、大蛇を見慣れた縛の術式が巻き付く。

 これから永進は大蛇を置いて死んでしまう。もう二人で妖達を訪ねに歩むことも無い。大蛇は理解する。これが妖達が感じていた孤独。これから大蛇が感じていかなくてはならないもの。


嫌だ!


 眠りにつく直前、大蛇は藻掻く。眠りにつくことが嫌なんじゃない。何故ずっとそばにいてくれないのか。本当は死ぬなんて嘘で、自分を騙しているのだ!目が覚めた時、独りだと知りたくなんかない。だからずっと夢の中で待ってるから……。また二人で生きたいから。



 過去の投影から現実に戻ると、大蛇は私とよく似た色の、だが妖の物である為に異なる、金の瞳の奥で感情に苦しむ。悲歎ひたん激昂げっこう。そして、寂寥せきりょうの中で鳴いている。もう永進が居ないのは分かっている。けれど受け入れることができない孤独の中で、今も苦しんでいる。


 私が望んだのは……こんな結果じゃない。妖を封印し眠らせることで、確かに一時は永遠の別れから救われたのかもしれない。それでも忘れることなんて出来ない。大切な人であったならば尚更。


 智太郎は私に覚えていて欲しいと言った。だから、私も智太郎に忘れて欲しくなんかない。智太郎を妖の力の暴走から救う為に眠らせたって、一時しのぎにしか過ぎない。私は、智太郎に一緒に生きていて欲しいのだ。大蛇が、夢の中の永進に望んだように。

 朦朧とする意識の中で、智太郎に伸ばした手を黒い翼が遮った。


「大蛇よ、再び眠るがいい……その思い出の中で」


 私の身体を白檀の香りを纏った誰かが抱きとめる。その声には聞き覚えがあった。何故来てくれたのだろう。


「黒曜?」


 やはり私を見下ろすのは、深い夜に浮かぶ月明のような瞳。その瞳は私の身を案じる様に瞬きをした。私を助けに来てくれたのかもしれない。

 秋暁の光景の中で、黒曜は涙を流していた。あの夢の中の女性と死別し、今も孤独の中にいるんだろうか。


「私は貴方と……何の約束をしたの……?」


 ずっとちらついていた金の光が意識を覆い、闇の中に導く。夢が深い眠りに変わっていくように。


「それは……」


 黒曜は躊躇うように、憂いを帯びた長い睫毛を伏せる。私が名付けた黒曜の名の通り、深い黒色の瞳に宿る躊躇の奥……私の知らない感情が浮かんでいる。黒曜の言葉の続きが届く前に、意識は闇の中へ沈んで行った。



 

――*―*―*―《 智太郎目線 》―*―*―*――


 

 千里に伸ばした手は黒い翼に遮られ、届かなかった。風は止んだ。札の穴から僅かに大蛇の鳴き声がする。


「大蛇よ、再び眠るがいい……その思い出の中で」


 鴉の一言で、大蛇はピタリと動きを止める。大蛇の心臓の鼓動は穏やかになっていく。大蛇が抵抗する事は無かった。再び……深い眠りへ戻っていく。鴉に何かを告げると、千里はそのかいないだかれてしまう。


「何故、お前がここに居る」


 俺は銃口を鴉に向ける。だが、鴉の腕の中には気を失った千里がいる。こちらが動けないのを知ってか、鴉は目を細める。


「私は、千里が望むままに」


「千里が、お前を望んだと…?」


 鴉は答えない。だが、それは肯定しているようなものだ。銃の弾丸は自らの妖力で構成されている。前回もそうだったが、半不死である鴉を完全に倒すのは難しいだろう。千里が本当は鴉と自由になるのを望んでいようが、俺の答えは既に決まっている。千里を自由にするのは、自分でなくては意味が無い。自分本位だと蔑まれ様とも……千里の傍に居るのは俺だけでいい。


「……千里を返せ! 」


 引き金を鴉の翼に向けたその時。


「やはり現れたか、 鴉よ! 」


 高らかな声が栄螺堂に響き渡り、妖力を纏った、蛇のような赤い光が鴉に向かって伸びる。が、紐は鴉の羽ばたきによって力を失ってしまう。


「お前……何が目的なんだ!」


 眼下の闇から現れたのは、誠だった。鴉を捕らえられなかった事を憤怒するどころか、誠はより一層羨望するように薄茶の瞳を輝かせ、千里を抱いて漆黒の翼を広げる鴉に手を伸ばす。鴉はそんな誠を黒曜の瞳で見つめ返すが、そこに煩わしい蟲が居るから向いているだけだろう。

 薄茶の瞳には、得体の知れない願望が潜んでいた。張り付いた笑みで隠す必要の無くなった暗い感情を、誠は吐き出した。


「私は初めから彼が目的でね。半不死の力はとても魅力的だ。人間何ぞには到底及ばない妖力も、手に入れたいと思うのは……力を追い求める者ならば、いつか辿り着く運命さだめだろ?」


「お前の暗い欲望なんて……俺には理解出来ないし、するつもりも無い」


 明確に否定してやると、誠は顔を歪ませる。それは、常に劣等感に苛まれてきた者の侮蔑だった。


「これだから元々力を持って生まれてきた奴は。努力しても、かつて誰も到達した事の無い偉業を達成しても、結局お前らは俺を容赦なく踏み殺す。妖にもなれない、唯の人間の俺は結局這いずる蟲のように無力だ」


「……お前は、封印の札が目的だったんじゃないのか」


 言いながら、大蛇が封印と同化などしていなかったことを思い出す。ここは、伊月家が所有する栄螺堂。分からなかった筈が無いのだ。初めから伊月誠に仕組まれていた。


「知っていたか、智太郎。金花姫から妖の香りがしていたことを。鴉の香りだ。鴉が彼女に魅入られてると知ったからには利用しない訳にはいかないだろう? 」


 鴉に侵入されてから、香りがしていることなど知っていた。だが、それは単に接触したからでは無かったということか。千里の帯上から、黒い羽が覗いているのが見えて、舌打ちをする。あの馬鹿!


「金花姫を危険に陥れれば、必ず鴉が来ると分かっていた」


 聞き逃せない一言に、俺は誠を睨む。蠱毒に堕とされ深淵から這い出た者の様に、誠はどす黒い笑みで唇を引き攣らせる。爛々と闇に浮かぶ双眸は、桂花宮家で一時でも千里と微笑んでいた者では無かった。例え嘘だと理解していても、千里は悲しむだろう。千里の心の欠片を少しでも誠に渡す事なんて許せない、と誠を憎む自分も……僅かに誠に心を許してしまっていた事に気がついた。俺は無情には、なれない。心は妖では無く人間なのだから。


「欲深い、愚かな人間が」


 千里の異称を口にした誠に眉を顰め、黒い焔を瞳に宿した鴉が掌を誠に向ける。誠は抵抗も出来ず、突然自身の半顔を火種とし燃え上がった黒の焔に藻掻いた!


「ぅっ、ぐあぁぁああ!」


 人の肉が焼ける嫌な匂いに俺は顔を顰める。誠を喰らう黒い焔は、鴉の化した妖力だ。鴉を睨んだ誠の半顔は、目を背けたくなる程に火傷で皮膚が溶けて爛れていた。


「痛いじゃないですかぁ…鴉!」


 誠が咆哮し、先程よりも深く輝く、赫赫かっかくたる光の蛇が鴉に向かう! あれは、妖を封印する為の『ばく』の術式だ。妖の憎しみを固め、継ぎ接ぎの念を一つに無理やり同化させた様だ。誠が独自で編み出したという術式は、あんなに酷く禍々しい術式だったのか。妖の一部を札や武器に繋ぎ合わせた、疑似妖力術式にしても、最たる忌まわしさだった。


【堕ちろ】

【堕ちろ】

【堕ちろ】

【堕ちろ】

【堕ちろ】


 蛇のような赤い光の編み目から、吐き気を催すような怨念の入り交じった声が聞こえる。鴉が空を切る動作をすると、紐はピタリと動きを止めたかと思うと、紐は誠に方向をかえた!そのまま赫赫かっかくたる光の蛇は誠に絡みつき、怨念通りに地へと堕ち始める。太鼓橋を割り、下へ続く穴の中へと。


「 私はまだおまえを……!! 」


 その声さえも光の蛇に封じられると、黒い欲望の瞳が最期に閃光を放つ。誠の姿は穴の中に引きずり込まれて消えていった。この高さから転落したら、もう助からないだろう。完全に誠の姿が消えたのを確認すると、鴉を睨む。だが、居るはずの場所に鴉はいない。


「お前にはまだ役割がある」


 その声にハッとして振り向くと、鴉が背後に居た。


 

――――*―*―*―(挿絵)―*―*―*―――――


https://cdn-static.kakuyomu.jp/image/ZLZyQsXb

 

――*―*―*―『栄螺堂と鴉』―*―*―*――


 

 千里は鴉の手を離れ、壁際にそっと横たえられている。銃口を鴉に向ける。今なられる。


「命を賭して守れ。われらの血を継ぐ者よ」


 鴉の姿は黒い霧になり、消えた。残されたのは、横たわる千里と、銃を構えた自分だけ。


「お前に言われるまでもない」


 銃を下ろすと、俺は千里を抱える。大蛇に生力を吸われて腕に傷を受け、顔色は良くないものの無事な様だ。伝わる体温に安堵し息をつく。同時に、腕の中の千里が酷く無防備に感じる。暗い地下から追いかけた先……切望した光は実体を伴って、確かに俺の腕の中に居る。だが、未だ地下に眠らせた想いを彼女は知らない。俺が死んだ後も、共に過ごした時間で深く爪痕を残して、忘れないで欲しいと思った。衝動的に打ち明けてしまったのは、決して外してはいけないかせが緩み始めたからなのか。それは今も、腕の中の存在に揺り動かされている。


「好きだ……千里。何よりも」


 届かないのは分かってる。だが光に向かって手を伸ばしてしまう。千里の隣に立つ為に、今まで俺がそうして来たように。


あいつの所には、絶対に行かせない」


 千里の帯に挟まれた黒い羽根を抜き取った。手を離れた羽は、誠の消えた暗い穴の中へと、ゆっくり堕ちて行った。


 

―*―*―*―《 智太郎目線 end 》―*―*―*―

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