第二章 青ノ鬼編(あおのかみへん)

第十四話 偽りの恋人は続く


 秋暁しゅうぎょうの空の下。すっと広げた翼のように薄い巻雲けんうんが、澄み切った高い紅掛空べにかけぞらから金色を戴いている。空と繋がっているかのように何処までも広がるすすきの草原も、淡黄色の花を満開に咲かせた金木犀の木も、金の中に薄紅を滲ませた暁光ぎょうこうに染まっていた。頬を撫でるように柔らかな風が、暁光に染まる全てを靡かせる。


 金木犀の木は、幹に触れた私に慰めを与えてくれる。こんな広くて寂しい草原に一本だけ聳えているだなんて、寂寞せきばくに置いていかれたよう。


「私と同じ……」


 辿り続けた、愛と憎悪の狭間。妖との戦いへ再び身を投じた私は、簡単な傷ならすぐに癒えてしまう半不死の身体に変化していた。自身に宿った生力を分け与えれば、他人も癒すことが出来た。人の胎から産まれ、されど人と明確に言えない私は、いくら人々から感謝され崇められようとも孤独だ。

 人とは違う存在であるのは同じなのに、どうして私は神と呼ばれ、彼は妖と呼ばれるのか。正反対の立場で向き合うことになるだなんて、皮肉だ。


 現人神あらひとがみと呼ばれた私の役割は、彼を殺す事になった。


 もしも、生まれ持った運命さだめが無ければ、こんな風に殺し合う事は無かっただろうか。

 気配を感じ、束の間の思案を打ち切るとそこには、黒い翼をもつ男の姿。手の中の刀は、私の一部のようにすっかり馴染んでいる。何度も繰り返したように、白いつかを握り直し、刀を構え彼に向ける。秋暁を照り返す刃に、金の髪の自分の姿が映る。彼を殺せるのは、私だけ。


 だが、私を殺せるのもきっと……。





 柔らかな日差しを受け、目覚めると目元に流れる涙で、自分が泣いていたのが分かった。


「また、夢……」


あの男は、きっと黒曜だ。

この夢は忘れていた、何かなんだろうか。

だけど、刃に写る姿は自分ではなかった。

やっぱりただの夢なのか?


身体を起こそうとすると重く感じ、ひどく自身が消耗しているのが分かる。

見慣れた着物箪笥がある。

どうやらここは自分の部屋のようだ。


「帰ってきたの?」


意識を失う前、黒曜の翼に包まれたのを思い出した。

智太郎に届かなかった指先、再び眠りに大蛇の姿も。

また思い出の中で過ごすのだろう。

来るはずの無い人を待って?

そう思うと、苦しかった。

もし救えなければ、智太郎も大蛇のように眠りしか救いが無い可能性だってあるのだ。

障子が開き、目をやると智太郎が、私が望んだように現れた。

ふわふわとした白銀の髪に少女のような顔立ち。

だが、花緑青の瞳の強い輝きがそれを裏切っている。


「目覚めたか」


「うん、今起きた。凄く身体が重い…あれからどうなったの、智太郎」


誠との婚約破棄の条件として、封印と一体化したという大蛇の札を手に入れる為に、栄螺堂へ向かったはず。

だが、大蛇は目覚めていて、誠の姿もなくなっていた。


「身体が重いのは、当然だろうな。生力を奪われ、大蛇に喰われかけたんだから。伊月誠の目的は鴉だったんだ。奴の半不死の力を手に入れる為に、俺達を利用しようとしたらしい」


「じゃあ、札を手に入れたいっていうのは嘘だったの…? まって、それじゃあ婚約破棄はどうなったの。智太郎は…守人を続けられるの?」


そもそもの目的はそれだ。

婚約破棄の為に私の恋人のふりをした智太郎が、守り人を辞めさせられまた幽閉させられるのを防ぐ為に。


「俺は、守人を続ける。伊月誠の裏切りからもお前を守った、と言うことになっているから、お前の父親も認めざるを得なかった。俺を上回る実力者なんていないし、もう文句も出ないな」


その言葉にほっ、と胸を撫で下ろした。

これで、智太郎がもう幽閉されることはない。


「婚約は破棄になった。伊月誠は金花姫を利用し裏切ったと、お前の父親は酷く怒っていた。伊月家にはそれ相応の償いをしてもらう、との事だし、そもそもとして伊月誠は行方不明だから婚約の継続は不可だ。……恐らく死んだだろうが」


誠が死んだ。

その事実に、裏切られたとは言え身がすくんだ。


「なんで、死んじゃったの」


「鴉に殺された。術式を跳ね返されて。仮にも天才と言われた奴の術式が玩具のようだった。鴉は化け物だ」


「化け物……」


その言葉に、夢で見た光景と、黒曜の微笑みを思い出す。

化け物と言われた彼と、違わないと思った彼女の感情がまるで自分のものかのようだ。

黒曜が恐ろしい存在でも、確かに一緒に過ごした幼い頃の僅かな記憶も、再会した黒曜との時間もけして千里にとって恐ろしいものではなかった。

だから、もうこんな事をさせない為に止めなくては。


だけど、それは誰の感情?

夢で握ったあの刀はないのに?


「大丈夫か」


突然頭を押さえた私を智太郎が支える。

智太郎のレモングラスの香りに包まれると、少し落ち着いてくる。


「ありがと…」


顔をあげようとすると、吐息があたり、思ったよりも近くで智太郎と目が合う。


睫毛、長い…。


花緑青の瞳に弾いて、雪のように繊細だ。


「どうした?」


自分が智太郎を変に見つめていた事に気がつく。


「……大蛇の記憶には、智太郎を助けられる方法は無かった」


分かったのは、妖と人が歩んだ人生の結末。

人は死に、妖は遺され……妖達は封印を受け入れることで眠りを選んだ。

間違ってる、と言いたい。

だけどこれは彼らが望んだ結果の一つ。

それに、私はまだ他の可能性を諦めていない。


「大蛇の記憶を視たのか」


「多分そう。偶然かは分からないけど……」


鴉と初めて会った時から、金の光が導く夢を度々見る。

世の中には、夢見の能力を持つ者もいるという。

だけど、生力はあるが、夢見の能力なんて今まで持っていなかった。

実現するには遅すぎるような気もするし、黒曜に関わった事で何か記憶を視させられた?

だが、鴉が現れたのは私が大蛇の記憶を視た後。

大蛇の力にバッティングしたのだろうか?

いずれも夢を必然だと確信できるような理由はない。


「ごめん……」


「別に謝る必要はない。敢えて言うなら、無茶はするな。方法は一緒に探せばいいんだから」


「うん、でもちょっとだけ分かった。ただ闇雲に妖を探すんじゃなくて、人間と関わりのあった妖を探せばいいのかも」


妖と人との過去……そこに求めている方法が、隠れている気がする。

人間と関わりのあったといえば、黒曜もそうだ。

私が夢に視た女性と何か約束をして、今も黒曜はいる。


黒曜について調べて、黒曜の言う何かを思い出せば……それも手がかりになる?

黒曜にはきっとまた会える、そんな予感がする。

だから次に会った時には、問わなくては。


「…というかその…支えてくれたのはありがたいんだけど…もう大丈夫」


「まだ本調子じゃないくせに」


「それは、その、そうなんだけどなんというか」


心臓の音がきっと伝わってしまっている。


「近い、かも」


智太郎の顔を直視できずに、俯く。

まだ私は智太郎の腕の中だ。

少し笑う気配がして。


「何を今更」


智太郎の言葉に思考停止する。


「いま、さら?」


ハッとして口を抑える。

声に出てしまった。

きっと多分意味なんてないのに、深堀してはいけない。

そう思いながらも、2人で寝たときにおきた出来事を思い出してしまって、後悔する。

口付けはあれで3回目だった。


「あんなことがあったし、もう暫く縁談なんて寄越さないだろうけど。それも何時まで続くか分からないし、恋人のふり、まだ続けてもいいけど」


恋人、という言葉にますます頭はぐるぐるする。

あ、でもまって。

確か、好きな人がいる設定になっていたはず。

周りから見たら智太郎、ということになっているけど。


「その、私言ったと思うけど、好きな人が…」


「そいつは、ここには来れない。だろ?」


読まれたように先に言われて、ぐぅの音もでない。

心無しか、ちらと見上げた智太郎の顔が勝ち誇ったようにすら見える。

本当は、私が好きな人なんていないの分かってる?

もし、そうだとしたら何のために…。

いや、やっぱりバレてはいないはず?

完全に追い詰められた状態になった私の耳に何かが掠める。


「まだ続ける、ってことで」


智太郎の唇が囁く。

その一言は確定系。


「は、はい…」


私は頷くしかなくなった。

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