第十一話 演劇


 ツピー、ツピー、という鳥の鳴き声で目が覚める。金木犀に良く止まっている鳥だ。黒いネクタイをした様な姿が可愛らしいかったなと、記憶を辿る。四十雀シジュウカラと言うのだっけ。白からの連想で、白銀の少年の姿を思い出す。あれから、寝れるわけないと思っていたのに、平穏に寝てしまっていたらしい。鈍感かも、私。小さく溜息をついた。昨夜、智太郎の消えた襖を開けると、もう起きているのか、今は居ない様だ。だが、その内に守り人の任を果たす為に戻ってくるはずなのだが。


「あんな事があったのに、どんな顔で会えば……」


「あんな事とは?」


 聞き覚えのある男の声が聞こえ、思わず直立不動になる。声のした方を振り向くと、薄茶の瞳を少し驚いた様に見張っている、誠が縁側の廊下にいた。目が合うと、微笑まれて手を振られる。……彼以上に驚いているのは私なんだけども。声が上擦ってしまう。


「な、なんで障子を開けるんですか……!というか何故私の部屋の前に居るんですか!」


「失敬な、開いてたんですよ。朝食を食べる前に少し庭園に散歩を、と向かっていたら、千里さんが隣の部屋を覗いて……」


 誠は当惑した後、僅かに眉を寄せた。


「違います!分かりましたから、 いいから見ないでください!」


 これ以上私の失態を掘り返す言葉を聞きたくなくて、誠の姿事遮断すべく慌てて障子を閉める。


「なんで開いてるのよ、もう……」


 朝から色々、見られてしまった。寝起き姿なのに! じわじわと理解してくると、朝から血の巡りが良くなってしまう。着替えようと鏡の前に立つと、はだけた首筋に赤い跡が見えていた。小さく悲鳴を上げて襟元を掻き寄せ、思わずしゃがみ込んだ。


「こ、これ……!」


 間違いなく昨日のあれだ。よりにもよって、誠にこれも見られてしまうなんて。本当に朝からツイていない。


「ぅぅ……もう、一生部屋から出たくない……!」


 だが、そんな訳にもいかず。


 何時も通りの着物姿だと、どうしても首筋の跡が見えてしまうため、悩みに悩んだ結果……鉛色の中に紅緋べにひの花紋様が咲く、大島紬おおしまつむぎの着物に、黒いレースのブラウスを中に着て洋風にアレンジすることにした。ブラウスの襟に柘榴石ガーネットのブローチで彩る。妖しい輝きは背徳感を添え、普段とは違う自分を魅惑的にしてくれる。

 マゼンダ系の赤色であるくれないの名古屋帯には、金の鳳凰草花丸紋ほうおうくさばなまるもん。金属光沢は背徳感ダークカラーに揺らぐ、理性の星芒せいぼうと言った所か。帯揚げは紅緋の花紋様の中心部から選択セレクトした、葡萄ぶどう色で差し色を。漆黒の帯締めには、真鍮しんちゅうの翼を広げた鶴の帯飾り。

 羽織はアンサンブルなので、同じく紅緋の花紋様である。黒リボンの羽織紐が、帯飾りの鶴に重なると、まるで鶴がお洒落をしているように見えた。

 こんな飾り方もあったのか……!と新たな発見に驚く。

 

 ふと、着物箪笥に隠していた黒曜の羽を思い浮かべる。もう目眩しの効果は無いけれど、何だか私を守ってくれる様な気がして、紅の帯にこっそり仕舞った。ちょっとした御守りみたいだ。これはこれで良いんじゃない?と気を取り直す。


 朝食へ向かうと、やっぱり、手のひらを振る誠もいた。挨拶を交わし、内心溜息をついて席に着くと、智太郎がやってきて後ろに座る。安堵に力が抜けるのに、動揺に足がそわそわする。


「お早う……もうご飯食べたの? 」


「ああ、お早う。今日は先に食べたから」


 振り向くと智太郎はすっとした無表情だった。何時もと変わらない様子にほっとするも、心臓の鼓動が空振って、回転するかの様な違和感を覚える。何時も朝食は一緒な筈なのに、今朝は部屋にも居なかった。妖狩りの任を受けたにしては短時間すぎるし、何処に行っていたのだろう。六花の様な白い睫毛を僅かに伏せた表情からは、やはり何も読み取れないのだけれど。……僅かに毛先が濡れている様な。朝風呂なんて珍しい。


「何」


 いつの間にか、訝しんだ花緑青の瞳がこちらを凝視していた。私は慌てて前を向く。


「何でもない」


 座卓にきちんと並んだ朝食に視線を落とす。茸と銀杏の炊き込みご飯と、秋刀魚の塩焼き、松茸のお吸い物だ。秋の味覚の香りが既に部屋に広がっており、私の胃を確信させる。これは絶対に美味しいやつ……!


「泊まらせて頂いて良かったです」


 朝食の香りの向こう、誠が和やかに微笑を浮かべていた。彼の目的の半分が今達成されようとしている……。私は内心笑ってしまうのを必死に堪えながら、ふと疑問を覚える。伊月家でもそれなりの料理が出てくる筈だ。しかも桂花宮家では、高級志向の『日本料理』より、庶民派の『和食』の方が、皆馴染みが良いので多くなりがちだと言うのに。


「伊月家では、どんな料理が出てくるんですか? 」


 何気なく聞いたつもりなのだが、誠がピタリと動きを止める。気まずそうに俯くのを見ると……どうやら事情が有りそうだ。


「前に勤めていた料理人が、父が引退するのと同時に辞めちゃいまして。それからは……乱れた食生活が続いております」


 何故新しい料理人を雇わないのか……と問いそうになる口を閉ざす。そう言えば、伊月家が代替わりしてから何年かは経っているはず。それでも雇わないのには裏を感じる。雇用主側の問題か……人選に恵まれなかったか。恐らく前者だろう。妖狩人の家門は複雑な事情を抱えている場合が多い。家門独自の、術式の根源を秘匿するのは常だからだ。珍しく『縛』という術式の存在を開示している、伊月家ですら……『縛』という力のは明かしていない。

 

「……身体に良くないですよ」


 結局、微笑と共に無難な一言を告げるに終わってしまい、私は目の前の朝食に専念する。秋刀魚の塩焼きの皮を開くと、箸越しでも黄金の焦げ目からパリッと焼きあがった感触が伝わる。円やかな苦みのある塩を纏った、香ばしい皮と一緒に頬張ると、スっと引き締まった身から溢れた脂が舌をトロリと甘やかす。

 爽やかな酸味の香りが掠めたのは、常磐ときわ色の酢橘すだちが添えてあるから。昨日の振袖の帯飾りと常磐色がお揃いみたい、と微笑んだ。


「茸と銀杏の炊き込みご飯……帆立が隠れてるんですね! 」


「え!? ……本当ですね」


 誠の感動の声と共に私も味わってみると、やっぱり、ご飯の一粒一粒に染み渡っている旨みは、茸だけじゃない。椎茸や占地しめじはツルリとした弾力ある歯応え。ほんのり甘い銀杏の、後からくる苦味が鼻をすっと抜ける。解した帆立の身がさり気なく癖になる。帆立と茸の旨み同士が引き立て合う。素朴なのに、深く絶妙な味わいで、胸の内に幸福をホワリと広げた。

 松茸のお吸い物にも、お揃いの酢橘が入っている。爽やかな酢橘の酸味が、肉厚な松茸の出汁に品よく加わると、更に舌を虜にさせた。フワフワの錦糸卵が、究極の旨みを贅沢に吸収してリピートが止まらない。


「酢橘が繋ぐ、秋刀魚の塩焼きと松茸のお吸い物は幼馴染みたいですねぇ……。指図め、帆立を隠した、茸と銀杏の炊き込みご飯は、秋刀魚の塩焼きの謎めいた婚約者って所でしょうか。あ、松茸のお吸い物とは実は相容れないライバル同士ってどうですか? 」


 誠のとんでも無い例えに、私は危うく箸を落としかける。思い付いた様に頬を綻ばせながら、この人は何を言い出すのか!


「いくら何でも直接的過ぎます! 」


「ん? 何の事ですか? 」


 あくまで惚けるつもりらしい。一体何が目的なのか……と誠を探るように見つめると、相変わらず裏の見えない微笑みを突き通すばかりだ。


「千里さん、またこの前とは雰囲気が違いますね」


 今私が着ている、大島紬おおしまつむぎの着物の事を言っているのだろう。中に着て洋風にアレンジした黒いレースのブラウスの襟には、柘榴石ガーネットのブローチが妖しく輝いている筈。首元の跡を見られた恥じらいをかき消す様に、私はツンとして誠に返す。


「何時もと同じでは飽きてしまいますから」


「成程。やっぱり、可愛いらしいですね。……尾白さんもそう思いませんか」


 誠がそんな事を言うものだから、心臓に冷水を掛けられたよう。誠の演劇通りに事が進んでしまう……。傍目から見れば誠と智太郎は、婚約者と、婚約を取り消そうとしている恋人。雰囲気が良くなるわけ、無い。秋刀魚の塩焼きに例えられた私は微妙な気持ちのまま、智太郎を振り返る。


「そうですね」


 正座をした智太郎は相変わらずポーカーフェイスを貫いたまま、静かに誠を見つめている。二人に褒められたと言うのに、どうしてだろう。全然喜べない。


「ですよねー、やっぱり婚約取り消すの惜しいなぁ……なんて」


 誠の目元が細まる。笑ってるようで、その薄茶の瞳は笑っていなかった。智太郎もすっと花緑青の瞳を細め、


「本気ですか?」


 なんて聞くものだから、まさに一触即発。何故か、猫と蛇の恐ろしい対立の絵図が背後に見えてきてしまう……! 何か言わなくてはと、頭の中の引き出しを必死に引っ張り出している間に、口火を切ったのは誠だった。


「彼女が望まないかぎりは。ね、千里さん」


「え、と……そうですね」


 曖昧に微笑むことしかできなかった。結局誠に弄ばれただけ……? こんなピリピリとした雰囲気で、札を探しに行けるのだろうか。


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