第十話 瘡蓋



「どうしましたか、千里さん」


 やっぱり誠は食えない性格をしている。私は追いかけのだ。思わず眉を寄せてしまう。


「大ノ蛇栄螺堂の件ですが……出来るだけ早く向かいたいのです」


 翔星の気が変わってしまう前に、手を打たなくてはいけない。誠は同意するように頷く。


「熱い釘は早く打て、と申しますし。明日の朝など如何でしょうか。伊月家が秘匿する場所ですので、私が案内させて頂きます」


「それで構いません」


 誠の言葉に、彼が自らの術式の開示を取引条件に、婚約破棄を提案してくれた事を思い出す。私の知らない所で、彼に利益があるのかも知れない。だが今の所、私達ばかりが得をしている様な気がした。


「婚約破棄……提案して頂いて有難うございました。何かお礼が出来ればいいのですが」


 再び思案する私を見やると、誠は瞠目する。そして思わずと言う様に、肩を震わせながら笑った。取り繕うのを止めた誠の姿に、私は放心する。彼はこんな素直な表情も出来るのか。


「私が何か思惑があって、貴方を利用しているとは思わないのですか? 」


「多分そうなのだろうと分かっています。だけど私から見たら、私達の為に、誠さんが失う物が大きい様に思えたのです」


 誠は困った様に眉を寄せて苦笑した。


「理解していても、ですか。千里さんは人が良いのですね」


 お人好しだ、と濁して言われる。昔から今でも、智太郎に散々言われてきたから自覚はある。だが、私は決して性格が良い人間なんかじゃない。私は首を横に降る。


「私は結局、自分勝手な人間なんです。自分の世界が壊れてしまうのが怖い。だから結局、誠さんにお礼がしたいのも自分を安心させたいだけなので、気にしないで下さい」


 私が真面目に告げると、何故か益々、誠は可笑しそうに肩を震わす。そんなに可笑しい事を言ったつもりは無いのだが……。


「本当に自分勝手な人間は、他の人間の事なんて思いやれませんよ。千里さんから見れば、私は突然決められた得体の知れない婚約者にしか過ぎないのに」


 流石に反論できない。少しはフォローをしたい所だが、生憎、私は誠の事をこれ以上知らない。


「……実は私、朝が弱い方でして。良く馴染んだ伊月家では、弟に叩き起してもらってるんです」


「え!? ……意外ですね」


 目の前の抜け目の無さそうな人物とは、あまりに懸け離れた姿に、どうも一致しない。誠は、固まった私に向けて、更に硬直させる一言を言い放つ。


「だから、桂花宮家こちらなら良い緊張感があって、朝も起きられそうなんです」


「……では、泊まって行きますか? お礼、がそんな物で良いのならば」


 ポカンとした私は、誠が誘導するままに望んでいる言葉を返す。これで合ってる?


「ええ、物凄く有り難いです! 桂花宮家こちらのご飯は何時も格別だと噂で聞いていたんです。素晴らしい庭園も、もう少し拝見させて頂きたかったので丁度良いですね」


 誠の伸び伸びした朗らかな笑みに、多分それが本音だ……と苦笑した。


「では早速、一度準備をしに戻ります。弟にも報告しなくては」


 大分ノリノリだ……と、少々呆れる私に対し、すれ違い際に誠は囁く。一瞬、張り詰めた空気が舞い戻る。


「鴉に、よろしくお伝えください」


 まさか……黒曜のことを知っている? 誠は黒曜と関わりが有るのだろうか。誠を振り返ると、やはり口角を上げるばかり。白蛇のように掴めない笑みに、やっぱり伊月誠という人物は油断ならないと再認識した。


 


 

 その日の夜は中々眠れそうに無かった。何故なら智太郎が……隣に居る!布団を並べて横になっている。何時もなら、智太郎は隣の自室で寝ているのに。


「ねえ、部屋まで一緒にいる必要は無いんじゃない?」


 体温が近すぎる様な気がして、布団に入ったまま、ぎこちなく振り返ると、


「婚約破棄の口実上、俺達は別々の部屋で寝ない方がいいんじゃないか。今の所まだ婚約者である、伊月誠が泊まっているなら、ボロが出ないように用心は必要だ」


 何て当たり前のように言うものだから、智太郎はここでやっぱり寝る気らしい。誠が泊まることになったものの、まさかの事態を呼び寄せてしまった。一緒に寝るだなんて、いつ以来だろう。幼い頃と今では、全然心持ちが違うんだけど……! 変な緊張感が首筋を走り智太郎から目を離し、木目が走る天井を見つめた。

 先程ちらりと見えたのは、不服そうな顔だった。私が智太郎に黙って、勝手に誠と約束をした事をこってりと絞られたばかりなのだ。警戒すべき人物をわざわざ泊まらせるなんて、と。今更、決めた事を変える訳にもいかず……肩身の狭い私は、智太郎に逆らえそうに無い。

 色々な意味で身を縮こませながら、誠の言葉を考える。鴉と誠……繋がりなど、やはり分からない。敢えて言うなら伊月家は、擬似妖力由来の術式の家門で、妖を封印する『縛』の術式を得意としているから、その妖と関係がある、とか? 私が知るのは大ノ蛇栄螺堂の大蛇だけ。鴉と関わりがある可能性も有るのだろうか。関係が有るかどうか……確かめる方法は無いのだけれど。智太郎を救う方法は、古い妖の方が知っているはず。鴉や、大蛇にも問う事が出来れば良いのだが。私は自然と智太郎に呟いていた。


「大蛇と話すことはできないかな。古い記憶の中に智太郎を助けられる方法が有ればいいんだけど」


「もう札と同化していたら話すことはできないんじゃないか? そもそも話なんてできる存在なのか」


 確かに。会話すら出来なければ、正に話にならないだろう。今の目的は智太郎が再び幽閉されるのを防ぐ事だから……大蛇が札と同化している方が寧ろ都合が良いのかも知れない。私は気を落として溜息をついた。それにしても、誠は何故鴉が私と関わっているのを知っているのだろう。先日、桂花宮に鴉が現れた騒動のせい? だが、誠の事を智太郎に口にするのは気が引けて、結局口に出したのは別なことだった。布団が唇に当たり、思い出してしまったと言うか。首筋に走っていた緊張感は心臓にも宿った。熱を持った羽毛のような口付けの感触を、今は思い出してはならない……!


「というか婚約を放棄する為とはいえ、あんな事で誤魔化さなくても……」


 作戦を遂行するにしても、大胆過ぎた。と言うか、私の許可を得ようとは思わなかったの!? 事前に言われたら、それはそれで頭の中を掻き回していただろうけど。


「じゃあ、他にどうするつもりだったんだ?」


 智太郎の鋭い一言に、何も返せない。智太郎に任せておこうと判断したのは私だから。だから、こうなったのも自分の責任……いやでも、口付けまでは許可したつもりは無いんだけど! だが、もっと掘り返す勇気など無く、結局紅潮する頬を布団に引っ込めるに留まった。


「あのままだったら、確実に流されていた」


「でも、智太郎はいいの? また尾白家の人達から酷い事を言われてしまうし。それに、智太郎がまた……」


 再び自由を失い地下室で囚われるなんて、考えただけでも怖気がした。引き換えにする代償があまりにも大きいのでは無いだろうか。もしそうなったら私は犠牲の対価を払ってでも、絶対に抵抗しなければならない。


「俺が決めたことなんだから、気にする必要はない」


 だが、当の本人にそう言われてしまうと、それ以上は何も返せない。私は智太郎に背中を向ける。本当は、私の事などもう気にせず自由に生きて欲しい。札を手に入れなければ……智太郎は守り人を辞めさせられてしまう。また幽閉なんてさせない。智太郎を救う方法を見つける前にあんな寂しい所に閉じ込められるなんて、それだけは絶対に駄目だ。


「智太郎は、優しすぎるから……いつも損をしてるよね」


 衝動的に、何時もなら言わないような言葉を口に出してしまって自分でもドキリとした。


「何言ってるんだ、お前」


 案の定智太郎から、珍しく同様した気配を感じる。だが今更、口に出してしまったことをやめられなかった。


「私のせいで、これから先もきっとそう。だから、もう必要以上に守らなくてもいいから」


 幽閉になるくらいなら、心まで私を守らなくてもいい。唇を噛んだその時、髪を払われて、首筋に何かが触れた。


「な、なに……?」


 智太郎が私の首筋に触れている。吐息が近い。振り向こうとすると、頬に触れられ止められる。いったい何のつもりなのかと口を開こうとしたが、首筋に吐息と共に、熱を持った羽毛の様な、あの唇が触れる。背筋に痺れが走るような程、灼熱を閉じ込めた様なのに濡れた感触がする。智太郎の舌だ。智太郎の柔らかな髪が擽り、舌が這う度、甘い震えを感じてしまいそうで、再び唇を噛む。だが自らの首筋をも、肌が奪われ鈍い痛みが走る。


「っ……ぁ……」


 強く吸われて甘噛みされ、声が漏れてしまう。腕を掴まれると振り向く形になり、顔を歪めた智太郎の激しい憤りが、私の身体を震わす。


「ふざけるな!俺がどれだけ……」


 私は金縛りにあった様に、瞠目して動けなくなる。殺意すら感じる、潤んだ花緑青の瞳は泣きそうにも見えた。私の姿を映すと、その瞳は甘やかに細められた。そのまま深く口付けられ舌が絡む。灼熱の奔流により、焼き切れてしまいそうな口付けの中、私の舌が智太郎の犬歯に偶然触れた。犬歯が、私より長い……やっぱり智太郎も妖の血が流れてるんだ。こんなに近いのに、何故か遠く感じる。同じ感情を抱いた様に、智太郎が離れていく。見下ろされる形になり、闇の中で智太郎の瞳が赤く浮かび上がる。震える双眸は人の物では無いのに、消え入りそうな寂寥せきりょうは確かに人の感情だ。私の胸を切なく締め付ける。


「ごめんね……智太郎……」


「なんでお前が謝るんだ、悪いのは」


 そこで智太郎は静かな声音を切り、赤い双眸を伏せた。私に布団を掛けると、智太郎は襖を開ける。


「……もう、寝ろ」


 ぴしゃり、と襖を閉じて智太郎は隣の部屋に行った。どうやらそちらで寝るようだ。一人残される形になる。


「いつも通りになんて……もう出来ないよ」


 首筋に残る鈍痛と口付けの残触は、私の内を食い荒らして瘡蓋かさぶたにはなってくれない。



 

――*―*―*―《 智太郎目線 》―*―*―*――

 

 

 暫くし、襖を静かに開けると、静かに眠る千里の後ろ姿があった。約束を交わした時も、千里はそうだったが、守るために突き放す所がある。先程の言葉も……俺を守ろうとして言ったのは分かってる。だが分かっていても、枷が外れた感情は押さえられなかった。千里の守り人になる為に努力して今ここにいるのも、何もかも一つの理由だけ。犬歯に偶然触れた舌が、柔らかくて、小さくて。妖の血を引く自分とは違う、弱い存在を意識した。もし……札を手に入れられなければ。今度こそ、千里を連れて逃げよう。千里は望まないかもしれない。金花姫という、自分の役割を捨てることはできないだろう。だが、恨まれてもいい。千里の髪を一筋掬い、口付ける。


「結局、俺はお前が全てなのかもしれない」


 その言葉は、誰にも届くことなく、髪筋と共にさらさらと落ちた。


 

――――*―*―*―(挿絵)―*―*―*―――――

 

https://cdn-static.kakuyomu.jp/image/XfpmQNbx


https://cdn-static.kakuyomu.jp/image/jrex0Wyj

 

――*―*―*―『月と智太郎』―*―*―*――


 

―*―*―*―《 智太郎目線 end 》―*―*―*―

 

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