第四十八話 自己


「まず初めに、婚約をさせて頂いておりました、我が兄、伊月誠が金花姫様を裏切る行為を働いたことに、深く謝罪を申し上げます」


 伊月黎映りえいと名乗る男は、再度私に頭を下げた。 私はその言葉よりも、黎映の容姿が目に焼き付いていた。面紗の奥の、赤い右目……あれは人間の瞳では無い。青ノ鬼あおのかみがかつて鬼だったころに奪われた右目だ。未来視で青ノ鬼が私に告げた確定した未来は、鬼の右目である、未来視の魔眼を埋め込まれた者が私の目の前に現れることだった。そして、その男が黒曜へ導くだろうと。己穂と黒曜の過去夢を視ることは、永い年月に苦しむ妖、半妖の血に苦しむ者達を助ける事ができるかもしれないとも。智太郎を、いつか起きる妖力の暴走から救う方法がきっとあるはずだ。

 智太郎は今だって妖と戦っている。いつ、妖力が暴走し、人の器が崩壊して死が訪れてもおかしくないのだ。もう……時間が無い。

 私は祈るように、目の前の黎映を見つめる。


「千里でいいわ。謝罪も受け入れます。……貴方は何か他に目的があって私の元に来た。そうでしょ? 」


 今思えば、桂花宮家当主である父様と話を付けてあるのに、私の元に来る必要なんてないのだ。体面はあるかもしれないが、所詮金花姫とはいえ、まだ当主ではないただの小娘にしか過ぎないのだから。

 私の言葉に黎映は目を見張る。


「ご存知でしたか。私の事も知っておいでのようだ。……他の、未来視を持つ者に会いましたか」


 私は眉を寄せる。まるで、青ノ鬼の事を知っているかのようだ。だが、黎映が何故鬼の右目を埋め込まれたのか私は知らない。黎映が黒か白かまだ分からない以上、青ノ鬼の事は告げられない。もう一方の左目を狙っていないとも限らないのだ。そうなれば美峰が危険に晒される。

 黎映の言葉に後藤が憤る。


「お前……この後に及んで、千里様を利用するつもりなのか! 」


 後藤が怒るのも無理は無かった。

 この場は唯の形だけの謝罪で終わるはずだったのだから。だが、私は後藤を手を挙げ制した。


「いいわ。私も黎映さんの話が聞きたいのだから。……話してくれますよね? 何故私の前に現れたのか、本当の目的を」


 私の言葉に黎映は頷く。


「千里様にお伝えしたい事がございます。…………我が兄、伊月誠は生きています」


 黎映の言葉に私は瞠目するも、一方で驚かない自分がいた。黒曜は人を殺さない、と己穂と約束したのだから。雨有を殺さず、封印したのも約束を守っているから。大ノ蛇栄螺堂での事件を私は実際に見てはいないが、伊月誠の死んだ姿を直接智太郎が見た訳では無かったのだろう。


「伊月誠は、今どこにいるのですか」


 私の問いかけに、黎映は右目を抑える。


「私の魔眼は、確定した未来を視せます。私が視た兄は、人の姿をしておりませんでした」


 顔を顰め唇を噛む黎映を、私は複雑な心境で見やる。兄の変わり果てた姿を視ることは本意では無かったはずだ。過去夢が人と妖の殺し合いの結果を視せたように、未来視も残酷な現実によって、能力者の心を削るのだろう。


「人間では無くなった、という事ですか」


「大ノ蛇栄螺堂に封印されていた大蛇とし、妖となった未来を視ました。その未来はすでに過去になった為……兄は人では無いでしょう」


 死んだはずの伊月誠と、黒曜が再び眠らせたはずの大蛇が同化した。かつて青と鬼が己穂によって、られ、青ノ鬼という二つ巴の魂をもつ、妖であり人間である存在となったように、彼らも同じ存在になったというのか。私は大蛇の過去を思い出す。大蛇の大切な存在だった伊月家初代当主と、伊月誠は似ていた。大蛇はずっと亡くなったはずの人を想っていた。私なら大切な人の面影をもつ存在の死に際を感じたら……迷いなく助けるだろう。


「……私は大蛇の過去の記憶を視ました。大蛇はずっと亡くなった、伊月家初代当主を想いながら眠り続けていました。伊月誠は、夢で視た彼に似ていました。だから、大蛇は助けようとしたんだと思います」


 黎映は眉を顰める。


「その答えが、同化だと……。妖の考えですね」


 私はその言葉に胸を抉られたようになる。黎映の言葉には侮蔑の響きがあった。かつて己穂として青と鬼にした決断を責められているように感じた。


「何故そのように思うのです」


 不快感を隠せずに問うと、黎映は頭を横に振る。


「人が人として生き続ける幸福を捨てさせて、自己と他者との境界線を踏み越えさせ、曖昧にしたのです。自己を認識出来ないという事は、存在の消滅危機でもある。大蛇が本当に兄を助けたかったのであれば、何故兄の存在を消滅させようとするのですかか」


 それは、己穂として青と鬼を、青ノ鬼にする直前に頭を過ぎった疑問の答えだった。本当は彼らをずとも、他に助ける手段があったのでは無いか。だが、あの二人には時間が無く、あの時の己穂はその手段しか選択肢が無かった。 青と鬼が望んだ結果とは言え、己穂として選んだのは人の道から外れた選択だったのだ。

 そしてその結果に、人とも妖ともつかない者を生み出した。青ノ鬼の中の青と鬼は……長い年月を経て、それぞれの自我は混ぜられてしまってはいないだろうか。青ノ鬼という一つの自我が生まれた足元には、青と鬼の自我の消滅という犠牲が本当無いと言いきれる? 青ノ鬼の中の二つの魂に意思は残っているのか?


「私は大蛇と兄の同化を解き、兄を人に戻したいのです。兄の自我が不確かなら、道を正す様に説得もできない」


 面紗の下、悲痛の中強い意思が、赤と白の双眸に宿るのを見て、私は黎映が兄をまだ諦めていないのだと気づく。

その為に、桂花宮から見れば決して良いとは言えない立場でありながら私に会いに来たのだ。伊月誠に裏切られたといえる私は、黎映の面会を拒否する可能性だってあるのに。黎映は例え私が何度拒否しても、面会を諦めなかったはずだ。


「私が居なければ、伊月誠を探す事ができないのですね」


「そうです。身勝手だとは分かっております……ですがお力を貸してはいただけないでしょうか」


 私は頭を再び下げる黎映を見つめる。

 彼にも助けたい人がいる。私と同じように……。

 同情した訳では無い。黎映自身が言うように身勝手だ。その身勝手さは……人間らしかった。己穂や大蛇の選択を否定する強さが彼にはあるのだ。伊月誠が人の道に戻らない……戻れない可能性だってある。だけど、黎映は僅かな可能性でも諦めていない。


「私が居ることで、伊月誠に繋がる理由はなんですか」


「兄は不死の鴉に執着しております。恐らく今も。貴方と鴉が共にいる未来を視ました。冬景色のある場所の中、鴉が貴方に何かを告げる未来でした」


 私の唇が震える。鴉に会いその過去を視る為に……黎映の存在が私にも必要だ。智太郎を妖力の暴走から救うために。目的の為に、私達はお互いを利用しないといけない。


「私も鴉に会わなければならないのです。ですから、貴方に協力しましょう」


「では……宜しいのですね」


 黎映は面を上げて、私を見る。黎映は私がすぐに了承するとは思わなかったのだろう。目を細め微笑む黎映は、赤の瞳と白く濁った瞳という人間離れした風貌とは裏腹に、とても情深く思えた。


「千里様! いけません、この男はまだ何か隠しているかもしれないのですよ! 」


 後藤が険しい顔で私を止めてくれる。後藤が私が思ったよりも優しい人物だと、もう気づいている。

 だけど……私の意思は初めからもう決まっている。


「ごめんなさい、後藤。私は智太郎にこれからも生き続けて欲しい。その為に……私は鴉の過去を視なければならない。黎映の存在は、私にも必要なのです」


 後藤は私の意思が決して揺らぐことは無い、と分かると口を閉ざした。


「千里様は……思ったよりも頑固だったのですね」


「智太郎の事だから、譲れないの」


「……仕方ありません。翔星様は私が説得します」


 後藤は深い溜息をつき、額を抑えた。

 そんな後藤の様子に申し訳なく思うも、私の為に父を説得してくれるという事実が嬉しくて、私は微笑んだ。


「ありがとう、苦労をかけます」


「危険になったら絶対に途中で引き返してください。そもそも鴉に会おうとする時点で危険なのですが……。尾白なら千里様を必ず守るでしょうな。その為に尾白は血の滲むような努力をして、我々の実力を追い抜いたのだから」


 後藤も智太郎を陰ながら認めてくれていたのだ。私は暖かなものを胸に感じた。


「だが……黎映。貴方は何故その魔眼を手に入れたのです。本当に兄を助けたいだけなのか」


 後藤は黎映を睨む。

 黎映は聞かれる事を予想していたのだろうが、眉を寄せて答える。


「これは……私が望んだものではございません。私が鬼の右目に適合すると分かった時から自由も何もかも奪われた。兄が当主の座を継ぐまで、私はこの世を呪っておりました」


 黎映の色の抜けたような白髪。視力を失った、白く濁ったような左目。それは、彼が魔眼に人生を奪われた事の証だったのだと、私は分かってしまった。


「左目が見えないので多少苦労はありますが、千里様の事は私も必ずお守り致します」


「様もいらないわ。私も貴方の事は黎映と呼ばせてもらうから」


 私が不快そうに頬をふくらませると、黎映は目を丸くし、すぐに笑み崩れた。


「分かりました。では千里、と呼ばせて頂きます。千里は……」


「千里様!! 」


 黎映が私に言葉を紡ごうとした時、慌てた様子の若い男の狩人が客間に飛び込んでくる。


「何事か、竹本! 来客中であるぞ! 」


 後藤が声を張り上げ、狩人を諌める。

 その声に竹本と呼ばれた男は肩を竦める。


「大変申し訳ございません……ですが」


 竹本は私を見る。


「尾白が……帰還致しました」


 私は安堵し、その言葉に涙腺が緩みそうになる。

 指先が震えているのが分かる。

 智太郎は無事に帰ってきてくれたんだ。

 

「良かった……」


 私は黎映を振り返る。すぐに智太郎の姿を確認したいが、今は彼がいる。


「私は構いません。こちらで待たせていただけるのなら」


 黎映は苦笑し、頷いてくれる。


「ごめんなさい、ゆっくりしてもらって構わないから。後藤、頼みました」


 後藤は溜息をつくが、彼も頷き、了承の意を示す。


「後ほど、尾白殿も交えて、私が視た場所も説明させて頂きますので。……今は彼の無事を確認してあげてください」


 微笑む黎映に、私も頷き返す。


「ありがとう、黎映。……竹本、案内しなさい」


「かしこまりました! こちらです」


 智太郎は……怪我をしていないだろうか。

 戻ってくれたのだから、大丈夫だよね。


 震える身体を抑えたくて、爪が食い込むほど拳を握りしめる。客間を飛び出した竹本の後を、私は足早に追いかけ始めた。

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