第四十四話 血と毒
⚠自傷行為シーンあり
地下へ行くのは、予定通り日課になっていた。
私は三人で過ごす時間がいつしか大切になってしまっていた。本来の目的を忘れそうな程に。
このまま、咲雪は死なないのではないだろうか。
いつか死ぬなんて、きっと大袈裟に言っているだけなんだ。
いつもの様に、地下室の階段を下る。鉄格子の鍵をあけるのも、慣れたものだった。
「智太郎? 」
私が部屋に入ると、咲雪は口に人差し指をあてる。
疑問に思うが、すぐに彼女の膝の上で眠る存在に気がつく。智太郎はどうやら眠ってしまったらしい。その横顔はずいぶん幼く思えた。
「……眠ってるとこ、初めて見た」
私は感心して見入ってしまう。
だが、咲雪がこちらを見つめるのに気がつく。
「ごめんなさい、もう行くね」
「いや、まて」
何故か咲雪は私をとめる。理由が分からず私は首を傾げる。咲雪の、静かな花緑青の瞳は、私を捕らえて離さない。
「千里は、このまま過ごせると思っているのか」
その言葉に、私は呼吸が浅くなるのを感じる。
ずっと逃げていた現実を突きつけられている。
……私はその言葉に衝動的に感情を吐露してしまった。
「貴方こそ、どうして生きようと足掻かないの」
「私は、人間として死にたい。血肉を得て生きるより……このまま死なせて欲しい。それに、渉のいない世界は、疲れた」
その膝の上には、眠る智太郎がいる。
それなのに、咲雪の表情は変わらない。
相変わらず死を、望んでいるのだ。
静かな咲雪に殺意さえ覚える。
「智太郎の前でよく、そんな
私は、初めてひとが憎いと思った。
いや、本当に初めてだっただろうか。
前にもこんな……暗く焼き付くような感情を知っていたような。思い出してはいけない……思い出してしまえば、感情の業火に焼かれるのは自分自身だ。
「この子は、私がいなくても生きていける」
「何故勝手に決めつけるの! 貴方は、大切な人がいない苦しみを知らないから……」
そこまで言って、自分で愕然とした。
咲雪も大切な人において逝かれたのだ。
「……智太郎を、私を、置いて逝かないで」
私は藻掻く為に、彼女の手に触れる。生力を直接操れる私なら、咲雪を救えるはず。
だが視えたのは、抗えないほど暗い深淵だった。
闇がこちらをみつめている。恐怖すら生ぬるい。
私の光はちっぽけで……こちらを見下ろす暗い闇に喰われてしまう。息ができない。
逃げられない。
そう思ったのに、私は背中に鈍い痛みを覚え、天井を見上げている。咲雪に突き飛ばされたのだ、と気がつく。
「覗いてはいけない。これは、生力を得れば済む問題じゃないんだ」
その時の私には理解できなかったが、それが後に、人間の血が混ざった妖の
「許さない……」
私が起き上がると、咲雪は目を細める。
「お前の感情が視えるよ。私を生かしたくて、殺したいのだろう? 智太郎に自分だけを想っていて欲しいから、私を殺したいと」
「貴方は、初めから私の心を知っていたのね」
咲雪は、人の心を視る、
私は暗い瞳で、咲雪を見上げる。
「そんなに、死にたいなら殺してあげる」
「ああ、だから私はお前が来るのを拒まなかったんだ」
その消えそうな微笑みに、私は知らないはずの誰かを重ねる。……咲雪は、私の母みたいだと思ってしまったんだ。
だから、勝手に死んで
その膝の上で、何も知らず眠る智太郎を悲しませたくもない。貴方を私と同じ孤独に堕としたくなんかない。
……けれど、智太郎が、私と同じところに堕ちてくれたら。
「私は貴方を直接殺せる程の力なんてない……本当は死んで欲しくもない」
「分かっている」
幼い私には、咲雪を直接殺すことなんてできない。
だから……私は、咲雪の小箱を受け取った。
私はふらふらと、暗い地下室を出て、庭に向かう。
耳鳴りが、止まない。
庭には花を落とした金木犀の木がある。
この木は、私の罪をきっと見下ろし続ける。
空はどんよりと曇り、灰色に濁っていた。
私は金木犀の葉を採る。
金木犀の葉には、妖にとって毒がある。
……即効性の毒ではないが、数日後には彼女を殺してくれるはずだ。
血を与えれば、生力を少しでも得られるはずだ。
私の血は、妖にとって甘い香りがするらしい。
そしてその香りは……金木犀の花の香りに似ているんだ。
私は自分の部屋へ戻った。どんよりとした空からは光は差さない。幸い、誰にも気づかれなかったようだ。
貰ったばかりの小刀が袋に包まれていた。護身用の小刀だ。刃の輝きが恐ろしくて、ずっとしまっておいたのだ。
私は咲雪の小箱を開く。中には乾燥した薬草がある。
これは、咲雪のキセルの中身だ。血肉を求めないように、麻痺させる物。
金木犀の葉をちぎって入れる。
私はその箱の上に自身の左腕を置く。
右手には、小刀。
手汗で笑ってしまうほどに、滑る。
ぎらりと光る刃が、私の顔を映す。
そこには今にも泣きそうで、震えている自分がいた。
だけど、金の瞳だけは異様にぎらついて、やり遂げないといけないいう強い意志があった。
これが、私の答え。
咲雪を生かしたくて、殺したい。
智太郎に幸せに笑っていて欲しくて、私のために泣いて欲しい。
着物の袖を噛む。
絶対に叫んではいけない。
この事は、咲雪と私以外に知られてはならないのだから。
失敗したら……私は死んでしまうのだろうか。
そんな恐怖が私を包む。
そうすれば、いっそ、彼女たちと同じ所に逝けるかな。
智太郎は悲しんでくれるかな。
千里の為に泣いてくれるよね。
自分の呼吸音が異常に五月蝿い。
視界が涙で滲む。
私はゆっくりと、冷たい刃を手首に滑らせた。
耳元で聞こえる心臓の音が。
割れた傷から、時間差で流れる血の赤と、白い肌とのコントラストが。
強い耳鳴りと砂嵐に変わっていく。
血が望み通り薬草と金木犀の葉に染みたのを見た。
……私の意識は恐れていた、あの深淵の中に堕ちていった。
―*―*―《 千里過去展開 end 》―*―*―
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