第四十二話 震える微笑み



「どこから話すべきかな」


 照明が一つ消えただけで、店内は随分暗く感じる。

 そう感じるのは、私が今まで誰にも言ったことの無いことを打ち明けるせいかもしれないけど。


「是非全て聞きたいね。 君を成り立たせる全てを」


「忘れてる事もあると思うけど、それでもいいなら」


 青ノ鬼の表情は先程までと違い、表情が削げ落ちてしまったように無表情で何を考えているのか分からない。

 浮かぶ様に光る青い左目は、私が逃げることを許さない。でも、それでいい。


 「私は、智太郎の味方なんかじゃない」


 口にすると、自分の言葉は罪として、形になっていく。

 私は、私が作った偽善の檻の中で誰かを待っていたんだ。


 

―*―*―*―《 千里過去 展開 》―*―*―*―


 

 何時からその日々が始まっていたのか、私は思い出せない。それを考えようとすると、あの桜の光景と共に酷く苦しくなるから。何度も私の心を食い破った、不吉な程に色付く大輪の桜の木が、私を見下ろす彼の向こう側にぼやける。ザァァアと春風を受けて揺らぎ、花吹雪が視界を染め上げる。花弁の一片いっぺん、一片の輪郭が嘲笑うかのように意識を不快に擽る。桜の花の、白の内側から滲み出るような薄紅。白で眠らせた奥底にはあか色が潜んでいるようで、いつも恐ろしかった。私は呼吸が上手く出来なくなり、顔の見えない誰かが口を開く。私を十七年間、桂花宮家に縛り付けた言葉を、私に告げる為に。


【お前は、千里では無い】


 だから、その内に考えることすら、辞めてしまった。私の中を貫く命令に逆らえない。けして、抗ってはいけない。抗って……逃げてしまえば、消えてしまうのは私なのだから。


「金花姫様」


 また私の元に、知らない人間がやってくる。

 老婆の前で、幼い私は、青ざめた唇の端を引き上げる。


「貴方の痛みを、視せてください 」


 目を閉じると、生力の流れの中に、真っ暗な闇が視える。私はその闇がいつも怖かった。深淵を覗いているようで。私の若葉色の生力を闇の中で照らすと、闇は晴れた。小さな闇なら晴れてくれる。だが、いつか生力を塗りつぶすほどの深淵に潜ってしまえば……私は闇の中から出る事は出来なくなるだろう。


 「ありがとうございます、金花姫様」


 闇を消し去ると、老婆は私の手に触れる。

 その手は血管が浮き出て、シミだらけだった。

 手の甲に、たわんだ皮が張り付いているかのよう。

 知らない人間の手に触れられるのは、不快で……同時にその体温が私の存在を繋ぎ止めてくれる。


 金花姫きんかひめなら、皆、私を必要としてくれる。私を思ってくれる。同時に、必要なのは千里おまえじゃない、と責められている気がした。


 老婆の言葉に、私は唇の端を震わせ、『金花姫』の笑みを浮かべた。




「お前に見せておくものがある」


 幼い私は彼の前で、正座をし、次の言葉を待つ。

 翔星かいせいは、桂花宮家当主であって、父では無かった。彼は私を抱き上げてくれた事は無い。彼が一番大切なのは、千里では無い。私が自らの生と引き換えに、命を奪ってしまった母なのだ。金花姫は、利用できる駒にしか過ぎない。その駒さえ、不要になれば……千里だけになってしまったら憎い私は存在を許されないだろう。


「はい、父様」


 だけど、本当は千里を必要として欲しくて……父、と呼び続けていたのだ。現実は変わる事はないけれど。

 翔星に連れられ、庭へ廻り、まだ行ったことの無かった扉の前にたどり着く。そのけやき戸は古く、鍵がかけられていた。蔵戸とほぼ変わらないように思えた。桂花宮家の、外からしか入れない地下への扉だった。

 欅戸が開かれると、冷たく湿ったような空気が足元に纏わりつく。石段を降りる翔星の後に、恐る恐る続く。

 闇の中にぼんやりと光る部屋が見えてくる。そこは私がイメージする牢とは違っていた。畳が敷かれ、中には布団がある。ぼんやりと光っていたのは、照明だったらしい。質素ながらも、地上の一室とあまり変わらないようにも思えた。

 だが、その部屋を囲う鉄格子が異質を放っていた。彼らには自由が無い証だった。窓が無い部屋の照明は、私達が歩いてきた石段には届かない。

 部屋の中にいたのは、親子だった。白銀の髪をもつその母と息子は妖の血を引いていた。そう私が分かるのは、母親に人のものではない獣の白い耳と尾が生えているせい。母親は花緑青はなろくしょうの瞳で静かにこちらを見つめていたが、私と変わらぬ年に思えるその子供は、母と同じ花緑青の瞳でこちらを暗く睨んでいた。その整った容姿からは性別すら分からなかったが、冷たい瞳に、私は指先が冷えるのを感じた。


「お前達の次のあるじだ」


 そう言って翔星は私の肩に触れる。重く感じるその手は、私が彼らにかける言葉を要求していた。母は私を一瞥いちべつしただけで、キセルを吹かす。


「千里、です。よろしくね」


 なんとか微笑みをつくり、声をかけたが、二人が私に返す言葉は無かった。子供はこちらを、あの冷たい花緑青の瞳で睨むだけだった。

 翔星は、私が二人に言葉を告げたのを確認すると、何も言わずまた階段の方へ戻って行ってしまう。

 私は慌てて、翔星の後を追う。

 踵を返す直前に、あの子供を振り返った。

 子供は私を睨むのを止め、膝を抱えていた。

 その姿に何故か既視感を覚える。


 地上に戻ると、翔星は私にあの親子について説明した。

 母親は半分妖の血を引いており、前当主の代に、親を亡くした埜上咲雪のがみさゆきは自らここへやって来たのだという。人間の中で暮らしていくのに限界を感じ、その力と引き換えに保護を求めてきたと。だが、妖の血を引く彼女の存在は、妖の狩人達にとってけして容認できるものでは無かった。だから桂花宮家に飼い慣らされた妖、として地下で暮らすことになったのだと。

 あの子供の父親は尾白渉おじろわたる。桂花宮家に仕える狩人だったそう。半妖である咲雪と夫婦になったが、咲雪はあくまで契約により、桂花宮の妖であり、尾白家に渡す事はできない。渉は尾白家から輩出された狩人だというのに、桂花宮家のものに手をつけたということで、尾白家から勘当された。暫くはあの地下で渉も暮らしていたが、妖との戦いで数年前に亡くなったという。

 あの子供の存在は今も桂花宮家と尾白家の間で、どっちつかずらしい。母と同じく妖として桂花宮家に飼い慣らされるのか、狩人として尾白の名を継ぐのか、決まらないままだという。

 まだ幼いとあって、咲雪が生きている間は、母と共に桂花宮で過ごしているが、尾白家はおそらく子供の存在を受け入れないだろうとも。


「咲雪は生きることを諦めてしまっている。渉が死んでから、あれは駄目になってしまった。息子を置いて……いつ死んでもおかしくない」


 翔星の言葉は私の心に強く突き刺さった。

 だから、膝を抱えたあの姿に既視感を覚えたのだ。

 あの、子供はいつか私と同じになる。

 母を亡くし、独りになるのだ。


「……可哀想」


 顔を覆う私を、悲しんでいるとでも思ったのだろう。

 翔星はそれ以上私に、声をかけない。


 私は相反する二つの感情を覚えた。


 私みたいに孤独な子にならないで。母と共に生きて、暗い地下では無い何処かで、幸せになって欲しい。


 私と同じに孤独になって。二人ぼっちで、金花姫じゃない、千里わたしを思って欲しい。

……優しくしてあげれば、あの子はきっと千里わたしだけが大切になるから。


 覆った手のひらから、零れた私の声は、悲しんでいるのか、笑っているのか、自分でも分からないほどに醜悪に籠って聞こえた。自覚できたのは、私の口角を上げているのは……私の中に巣食う感情だという事だけだった。


 

―*―*―《 千里過去展開 end 》―*―*―




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