第四十一話 鬼と恋話


 美峰の姿で微笑む誰か。

 青い左目だけが円やかに深く輝く、その存在を私は知っている。

 己穂としても、千里としても。


「貴方は、青ノ鬼あおのかみ……? 」


「そうだよ。千里とは、はじめまして……じゃなかったよね」


「私の事、何故己穂だと知っているの? 」


 人気ひとけの無いカフェで、妖と急に二人きりになったのだ。美峰は綾人も視てくれている、とは言ったものの、何が目的なのか。目の前の存在を疑わない方がどうかしている。


「そんな警戒しなくても……僕が君のことを傷つける訳がないだろ。 君が己穂だって分かったのは、簡単だよ。神楽殿で会ったし、そもそも僕は未来を視ることができるんだ」


 己穂と青ノ鬼が交わした約束は、妖と人が共に生きる未来に導くこと。それならば、己穂と約束した頃に視えた未来からどれだけ変える事ができたのだろうか。


「あれから、未来は……変えられた? 」


「できるだけ、ここまで藻掻いては来た。僕が視てきたのは、確定した未来。鬼の頃も自分自身の未来だけは視えなかった」


 青ノ鬼は目を伏せる。あれから、青ノ鬼は雨有が視たような、血に塗れた時を歩んで来たのだろう。妖と人が互いに殺し合うような、避けられなかった歴史を。


「いつも僕ができるのは……確定した未来で視えた存在に希望を託し、新たな可能性を創る事」


 青ノ鬼が私を黒と青の双眸で見つめる。

 その双眸には、強い意志が宿っていた。同時に、絶望と希望が綯い交ぜになっていた。

 私は理解出来た。彼は今まで何度も視えた存在に、こうして希望を託し、繋いできたのだろう。その度に願いは叶えられ、又は裏切られてきた。


「その可能性の一つが、君だ」


「私……?」


「己穂の生まれ変わりであり、鴉から力を与えられ、過去を視ることができる君だからできる事がある。己穂と鴉の過去を視るんだ。半不死の鴉は、鬼だった頃よりの僕より、古い妖だから。そこには、僕が知らない可能性がまだあるはずだ」


 己穂の記憶を取り戻したいと、私も思っていた。

 彼女は生力しょうりょくを操るだけでは無く、青ノ鬼という存在を創ることすらできた。彼女のように私も生力をもっと自在に操れるようになる方法が分かれば……手助けになるはず。

 己穂と鴉の過去の記憶があれば、智太郎を助ける方法があるかもしれない。


「……貴方は、妖力の暴走を抑えられる方法を知らないかな? 」


 青ノ鬼は首を横に振る。

 

青ノ鬼ぼくの中の青のように、妖力のブレーキ役は、普通の半妖達には無いんだ。皆自分の意思で抑えるしかない。しかも、純粋な妖とは違い、成長する度に妖力は強まっていくのにコントロールは効かなくなっていき、暴走した妖力に人間の器では耐え切れず崩壊する」


 智太郎が私に言った事と同じ。

 崩壊、という言葉に、私は呼吸が上手くできなくなる。

 空気を求めて、深呼吸を意識すると、自然と手が襟元に触れていた。……智太郎とお揃いだから選んだ、ネクタイ飾りのワンピース。


「貴方が言うからには、己穂と黒曜の過去を知る方法が分かるんだよね? その中に、智太郎を助ける方法もあるよね」


「智太郎を助ける事は、妖達を助ける事と同義イコールだと思う。永い年月に苦しむ妖、半妖の血に苦しむ者達もね。だけど、僕が確定して千里に伝えられるのは、己穂と鴉の過去を視る方法だけだ」


 未来で視た何か。それを私に教えてくれる為に青ノ鬼は美峰を通して、私に会いに来たのか。


「己穂の記憶を視るには、彼女が持っていた白い刀に触れればいい」


 黒曜との戦いの記憶で、己穂の姿を映したあの刀だ。青ノ鬼の記憶にもあった。手記も残っていたくらいだから、桂花宮家にまだあるはずだ。


「分かった、探してみる。黒曜の記憶を視るにはどうすれば」


 黒曜は私の居る場所を知っているから、黒曜が私に会いに来ることができても、逆は不可能だ。私は彼の居場所は知らない。


「鴉に関しては、関係する者が近い内に君の元に現れる。君の元に現れるのは、未来視の魔眼を埋め込まれた者……かつて鬼だったころに奪われた僕の右目をもつ者だ」


 妖と人の死体の山の上、血を流す鬼を思い出す。あの時に奪われた右目。


「君はその者と行動するといい。そうすれば、鴉の元にたどり着けるから」


「……貴方は、右目を奪った者が憎くないの」


 青ノ鬼は鬼だった頃、人に右目を奪われた。青ノ鬼となってから、人との共存を選び、今に至るが……直接害された者は別なのではないだろうか。

 青ノ鬼は感情を堪えるように、顔をしかめる。


「憎くないわけじゃないが……今更右目を取り戻しても、青と鬼のバランスが崩れるだけだ。君に会う者が奪った訳ではない」


「……貴方は強いね」


 私だったら、右目を奪われ殺されそうになったら……全てを憎んでしまうと思う。それで感じる痛みなんて私が想像するのもおこがましい。

 青ノ鬼は目を丸くする。そんな表情をすると、美峰なのか青ノ鬼なのか分からなくなってしまいそうだ。


「やっぱり君は己穂の生まれ変わりなんだね。似ている」


「そうなのかな。全然まだ己穂の記憶が無いから……分からないや」


 青ノ鬼が微笑む。


「金の瞳も似ているけど……性格も少し似てるよ。……さっきから思ってたけど、これは何?」


 青ノ鬼が目の前の、溶けかけのメロンクリームソーダをつつく。美峰が慌てて飲んだが飲みきれなかったもの。グラスの表面の水滴が青ノ鬼の指先につく。


「メロンクリームソーダだけど……美峰の」


「ふぅん。どうやって飲むの?」


「棒の形のそれ……ストローで吸うの」


 困った私が言うや否や、止める間もなく青ノ鬼はストローを口にくわえる。

 溶けかけだし、美峰のなんだけど……同じ身体だからいいのかな?

 青ノ鬼とメロンクリームソーダという奇妙な組み合わせに、変な緊張感で、批評を待つ。

 青ノ鬼が目を見開いた。


「……何これ、甘いのになんか口と喉が痒いよ! 美味しいね」


「痒い……」


 炭酸の奇妙な表現に私は笑いを堪える。


「悪くない。今度供物に要求しよう」


 その一言で限界だった。堪えきれず、笑ってしまった。

 メロンクリームソーダを供物に要求されて、奇妙な顔をする、総一郎と玲香がありありと思い浮かんだ。


「ああ……笑った。青ノ鬼は全然こういうの知らないんだね」


「神楽殿くらいでしか鬼憑りしたことないからね。会いたい存在なんて君が初めてだったし、美峰もまさか了承するとは思わなかった。美峰はいいね、将来有望だよ」


 頷く青ノ鬼はストローを再びくわえる。

 私はある事が思い当たり身がすくむ。


「今の話って……美峰覚えてるんだよね。そういえば綾人も視てるって」


「ああ……君は己穂である事を言っていないのか」


 青ノ鬼はストローをくわえたまま喋る。

 余程気に入ったようだ。


「父様との約束もあって……記憶を思い出してからにしたいの」


「心配ない。僕と美峰がやり取りできても、美峰は鬼憑りしている間の記憶は無いから。綾人の遠距離の出来事を視る能力も、まだ聴力まで発展出来てないし」


 その言葉を聞き、私はほっと息をつく。

 青ノ鬼はメロンクリームソーダのストローから口を離すと、にやりとする。美峰とは違って、少し悪意を感じる妖の者らしい笑みだ。


「丁度いいから、このまま君の気持ちを確認しよう。君は結局誰が好きなんだ? 」


「……美峰の時の記憶はあるの!? 」


「多少ね。相性がいいのかも」


 青ノ鬼にまで聞かれるなんて、ちょっと絶望を感じるんだけども。微妙な笑みを固まらせるしかない。


「僕としては、前世の思いを果たして欲しいな――。鴉は絶対君のこと今でも思ってるだろうし。まあ、智太郎も悪くは無いだろうけど」


「もうやめてください……」


 絶対私の顔は真っ赤になっているに違いなかった。


「ごめんごめん……。でも、話すまで鬼憑り辞めるつもりない」


 ぎらり、と青の左目が怪しく光る。

 絶対に本気だ。

 こうして楽しそうに話していても、鬼憑りは美峰の身体に負担になっているはずだ。うじうじしてる暇など無いのだ。


「……智太郎が大切だから、助けたい。それだけじゃ、駄目なの?」


 私は顔を手で覆う。

 心の内に巣食うものを隠したいから。


「駄目だよ、行動には確かな気持ちが必要なんだ。君が彼の命を救おうというなら尚更、自分の気持ちが分からないと達成できないだろ? 」


 青ノ鬼の声が重く響く。

 これ以上は開けてほしくないのに……。


 だけど、何を躊躇う必要がある?という自分がいる。

 目の前の存在は、己穂が救った存在だ。

 私が望めば……口外なんてしない。

 そう考えると、これはある意味自分自身との内なる対話なのだ。


――なら気にする必要なんて、これっぽちも無いじゃない。


 私が顔を覆う手を下ろすと、青ノ鬼は僅かに眉をひそめる。青い左目だけが浮かぶように光る。


「そんなに聞きたいなら、いいよ。話してあげる。……内緒、だからね」


 私が唇に人差し指をあてる。

 見計らったように照明の電球が一つだけ、切れた。

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