第二十七話 雨有
―*―*―*―《 過去夢 展開 》―*―*―*――
灰色の空から、雨が降ってくる。
男の長い黒髪も、着物もすべて濡らす。
雨は男の名前の由来だった。
雨の中に有り。
両親は何を思ってこの名前を付けたのだろう。
両親は青ノ鬼の血を狙う者に殺され、もう問うことはできない。
「雨有……」
振り返ると、傘を持った玲香が自分を見つめていた。
凛とした黒い瞳には強い意志を秘めている。
この世で一番、大切な女性。
「なぜ、傘を持たないのですか。風邪をひいてしまいます」
「雨の理由が知りたかったんだ」
そう言うと、少し困ったように玲香は笑う。
「雨が降るのは、雲の中の氷のつぶが降ってくるからですよ。空を見てても分からないでしょう」
「雨は氷だったのか。……だけどもっと詩的に答えて欲しかったな」
玲香は怒ったふりをして、顔を背ける。
「どうせ私は詩的感性なんてありません」
そんな玲香に苦笑し濡れた髪をかきあげ、私は彼女の傘に入る。
透明な傘越しに再び空を見上げる。
私が雨に流して欲しかったのは……この身に宿る全てだ。
視界が反転する。
血に濡れた部屋の中、荒い息をつき雨有は一人の女性を押さえつけている。
その女性は妖しく微笑み、雨有を見上げている。
広がった白金の髪も血に濡れている。
部屋に広がった血は、彼女の手の中のナイフによって、彼女自身を傷つけたもの。
「何故、こんなことをする! マーリヤ!」
「何故って……ふふ。だって貴方に必要だからよ。私の事は麻里とお呼びになってと言ったはずなのに」
麻里は血に濡れた手で、雨有の頬に触れる。
雨有は自身の中の強烈な乾きを自覚し、顔を押さえる。
牙が疼く。
「やめろ……私の中の鬼を呼び出すな」
青ノ鬼は均衡によって存在している。
それなのにこの女は。
「いいじゃありませんの。貴方は私だけの鬼。さぁ」
麻里は雨有を自身の首に引き寄せる。
妖にとって人の血肉は糧。
されど、愛する人からなら殺さずとも生力を糧に生きることが出来る。
だが、私はこの女を愛してはいない……。
目の前の女は、妖側に傾く雨有にとってただの餌だ。
雨有は餌の首に牙を立てた。
それから時は過ぎ、麻里は雨有に告げた。
腹に宿った子のことを。
嫌悪しか覚えられなかった。
麻里の膨らんだ腹を見る度、自身の罪を見せつけられているようで。
腹の子に罪はない、だがやはり受け入れられなかった。
「雨有……?」
傘を打つ雨の音で我に返る。
隣には心配そうに自分を見つめる玲香の姿。
彼女に言えないのは自分の弱さだ。
玲香のお腹の中にも自分との子がいる。
何故こんなにも目の前の二人は愛せるのに、あの女は受け入れられないのか。
自分の中の鬼も、罪も……そしてこの力も雨に全て消えてしまえばいいのに。
過去夢の力が初めに視せたのは、自分の父親が惨殺される姿だった。
骨箱に触れた瞬間、見た事のないはずの、血に塗れた部屋が、悲鳴の中、倒れゆく両親の姿が、鮮烈に視覚と聴覚と嗅覚を刺激して吐いた。
「悪い夢はもう収まりますから」
母親が父親の後を追って逝ってしまった後も……そう言って、総一郎はよく背を撫でてくれた。
普通の幼子はそうやって夢を見たあと、慰められ温もりに安心して眠ることが出来るのに、自分はそうはできなかった。
青ノ鬼の血を継ぐ人々の歴史が刻まれたこの家は、眠りすら奪った。
戦乱の時代、兄の首を手に血の海で泣く弟の姿。
妖と戦い、生きたまま喰われる葉達の姿。
一番辛かったのは、外に出れば開放される、という希望が打ち砕かれた時。
総一郎に連れられて見た外の世界にも、あらゆる人、妖の過去が自分をすり潰してしまいそうな程溢れていた。
決して辛い過去の記憶ばかりでは無かったはずなのに、どれを見てももはや、苦痛しか感じなかった。
そんな中、玲香が弐混神社にやって来てから全てが変わった。
彼女の手に触れても嫌な過去は視えなかったのだ。
その代わり彼女に触れる度、青ノ鬼が縛る運命というものが許せなくなっていった。
自分を救ってくれた玲香は、もし青ノ鬼という者が存在していなければ外の世界で自由に生きていけたのではないか?
それは疑惑から、いつしか確信に変わっていった。
いつかこの力も、青ノ鬼の運命も全て無くなってしまえばいいと思うようになった。
だけど、妖の力を消すことはできないから。
せめてこの生を終わらせたい、と思うようになったのだ。
だから、鴉が現れた時、私にとって希望だった。
この身が滅べば、何もかも開放される。
過去夢の呪いから逃れたい。
妖としての自分を殺したい。
麻里も自分が居なくなれば、自分に対する執着を忘れ、腹の子と普通の生活を送れるかもしれない。
愛する玲香とその子には青ノ鬼なんて運命から解放されて、外の世界を自由に生きて欲しい。青ノ君である自分が死ねば、青ノ巫女姫としての彼女の運命は終わるはずだから。
「私を殺しにきてくれたのか?」
鴉は黒い翼を広げ、私の前に立つ。
その姿はさながら黒い死神のようだった。
だが、鴉は首を振る。
「私はお前を殺さない」
「何故……」
「私は
「なら……私を封印してくれ。過去夢の力はお前に渡すから」
雨有の言葉に、鴉は目を細める。
「本当にいいのか? お前は人間として生きることが出来るはず」
「もう嫌なんだ……妖の力に苦しむのも、妖の力で誰かを傷つけるのも」
「それが、お前の望みなら」
鴉が手を向けると、雨有は目をゆっくりと閉じる。
ああ……これでやっと終われる。
雨有は、瞼の端、自分が急速に青い光に包まれるのを感じた。
―*―*―*―《 過去夢 展開 end 》―*―*―*―
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