第二十八話 血


視覚の端、金の光がちらついて消える。

あれからどうなった?

自分は何故封印されたはずなのに、起きている?


両手に食い込む爪に痛みを思い出し、私は我に返る。

後ろに僅かに青く光る結晶に、雨有は今も眠っている。

私は、雨有の過去の記憶を見ていたようだ。


「大丈夫? 千里ちゃん」


言葉とは裏腹に、私の両手に爪を食い込ませているのはこの男だ。

水野翔は過去夢を見る前と変わらず青い二つの双眸で、こちらを見つめている。


全然事態は好転していない。


「もしかして、今過去夢視てた? その男の過去だったりするわけ、やっぱり僕の言う通りだったんじゃない」


「それは……」


事実は変わらなかった。

雨有は翔と麻里を受け入れられず、罪悪感を持ったまま眠りについた。

だけど。


「麻里さんと翔を自分から解放したいって思ってたよ」


私の言葉に、翔の瞳は一瞬揺らぐ。


「翔は……本当はお母さんとお父さんと普通の暮らしをしたかっただけなんでしょ。だから……雨有を許せなかったんだよね」


そうじゃなきゃ、麻里が死んだ後、わざわざ死んでいるかもしれない男を探すだろうか。


私の両手を掴む力が強くなり、私は歯を食いしばる。

翔の顔にはっきりと怒りが浮かぶ。


「分かったような事、言わないでくれるかな? 大体それが本当だったとして、叶うとでも。初めから、僕が産まれる前から、不可能じゃないか! 」


翔の瞳は感情に揺れていた。

怒りと悲しみに。


「なら、君が叶えてくれるってわけ。幸せってやつを。別に青ノ巫女姫じゃなくたって、僕は……」


その時、ぴたりと翔が止まる。

瞳が赤色になっていく。

見つめているのは私の血。


これって、まさか。


「さっきから思ってたんだけど、なんか凄く甘い香りがするよね。これって君の血だよね……なんでかな。やっぱり金花姫様、だから?」


手首の血を舐められて、傷が染みる。痛みに耐えると瞼が震えた。


「やめて」


「やっぱり甘い。やめてって言われて、やめると思う? 寧ろ僕はそう言われると、やめたくない派なんだけど」


翔が私の首筋に近づき、白金の髪が触れる。

必死に抵抗するが、手首を抑えられたまま逃れられない。

やはり翔は私の血を奪うつもりなのだ。

息が上手くできない。


「それにさ、君って雨有の過去夢の力持ってるんだよね。僕欲しいな、それ。貰うにはやっぱり、ね?」


吐息が首筋にかかり、牙があたる。

恐怖が心臓を支配する。

叫び声を上げようとした口は、翔の手で覆われる。

口を抑えられた腕を掴み、首を振るも払えない。


「可愛くいやいやしたって無駄だから」


首筋で喋られ唇でくすぐられたとか思うと、牙が一気に突き立てられ、今まで感じたことのない強烈な痛みが私を襲う!


「……ぁぁぁあああぁ!」


翔の掌に覆われ、篭った悲鳴が反響した。

涙が勝手に零れる。

命が吸われる音が、耳元でする。

強い耳鳴りと、砂嵐が視界を覆っていく。

貧血だ。

翔が首筋から離れる。


「あれ……やり過ぎちゃった? ごめんね、僕初めてだから分かんなくて。でも力を貰うにはまだ足りないんだけどな」


私の血で赤く塗れた口と牙で、どうしようか、と呟く翔の声が遠くなる。

青から赤に変わった双眸が闇に浮かぶ。

涙が勝手に頬を伝って落ちていく。

涙の生ぬるい感触が、不快だ。


「千里……」


智太郎の呆然とした声が聞こえる。

嘘でもいいから声が聞けてよかった。


「っ、お前は……!!」


だが、その怒りの声は嘘では無かった。

銃弾の音がすぐ近くで弾ける。

私を支えていた翔が消え、身体が打ち付けられる瞬間、智太郎のレモングラスの香りが私を包む。

私を呆然と見下ろす、花緑青の瞳に安心する。

だけど、首の傷から血が止まらない。

身体が冷えて……寒い。

喋れずに唇を震わす私を、智太郎は抱き寄せる。


「悪かった……遅くなって」


震えるその言葉に、僅かに口角を上げて応える。

智太郎は、一度私を離す。


「治すから……我慢しろ」


何をだろうと思うと、智太郎の花緑青の瞳が赤く変わっていく。

まるで自分が怪我をしたかのように、痛みを堪えるような表情を浮かべて。

智太郎の吐息が、血の流れ出る私の首筋に近づき、私の指先が反応してしまう。


「ごめん」


首筋を暖かな舌が這い、痛みと感触に耐える為に私は瞼を強く閉じる。

流れる血を元ある場所に戻そうとするかのように、舌は血の筋と傷口をたどる。

私を支える、智太郎の身体が強ばっているのを感じる。

何かの衝動を我慢しているように思えた。

舌が傷口に深く触れたとき、私は何かが自分に流れ込むのを感じる。

傷口から流れる血は止まり始めていた。

暖かな、若葉色の光。

私が生力を使う時に、今まで人々に与えてきたものと同じ。

……これは、私の力だ。


傷が癒えると、私は智太郎の手を取って立ち上がる。

先程までの怪我が嘘のように身体が軽い。

見つめる瞳はまだ赤く色づいていたが、怖くない。

安心したように、智太郎が見つめているから。


「残念、もう守り人のご登場か」


翔は裏腹に、楽しそうに笑う。

舌なめずりをして、目を細める。


「もうちょっと欲しかったのにな」


「……お前に千里は渡さない。綾人も殺させない」


眉尻を上げ、赤い瞳を開くと智太郎は銃を向ける。

翔に向き合い、私を背後に庇う。

翔は相変わらず楽しんでいるようだ。

まるでゲームかのように。


「怖いなあ、そんなに怒っちゃって。でも智太郎は……多分僕に勝てない」


「智太郎……殺したらだめ」


私は智太郎と繋いだ手に力を込めて伝える。


「努力する」


「翔は感覚操作能力があるの。視覚や聴覚なんかも操れる。あの結晶の中の、雨有も殺そうとしている」


「記憶を弄られたのもそれか。やはり、綾人とその父親を殺し復讐するのが目的ってとこだな」


智太郎は頷き、翔の方を向いたと同時に発砲する。

弾丸は翔の腹を貫いた……と思ったが、そこに翔はいない。

智太郎が左を見上げるので、私も視線を追うと壁に空いた、高い位置にある横穴に翔は立っていた。

あれが翔がやって来た入口だろう。

先程は見つけられなかった出口。


「いきなり乱暴だよ。まぁ、場所は分かったし……何時だって雨有と綾人は殺せるから。じゃあね」


翔は暗闇の中に消える。


「待て!」


智太郎は私を抱き上げ、跳躍し、翔の逃げた横穴に着地すると、暗い闇の中を疾走する。

凄いスピードに思わずしがみつく。

やがて天井に光が見えると、智太郎は再び跳躍し私達は闇から抜ける。

着地したのは外では無く、先程来た屋敷の廊下だった。

床に空いた隠し扉から、私達は出てきたのだ。

翔は屋敷から、地下に入ってきたのか。

智太郎は私を下ろそうとするので、しがみつく。


「待って。私も最後を見届けたい」


「……危険だぞ」


智太郎の視線に、私は強く頷く。


「だけど、翔の結末を見届ける責任があると思うから」


諦める様子の無い私に、智太郎は溜息をつく。


「分かった。だが戦いになったら、離れていろ」


「分かってる」


翔が門を抜け、疾走するのが縁側のガラス扉から見える。

外は夕焼けで赤く染まっている。

逢魔が時だ。


「あいつが森を抜ける前に決着をつける」


智太郎は私を再び抱え屋敷を出ると、門への道を駆け抜けた。


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