第十六話 桂花宮初代当主


「入りなさい」


父の声が聞こえたので、挨拶をし、部屋に上がる。

父の部屋は本棚がいくつかあるのみで、質素だ。

唯一の花瓶の花は多分、下働きの者が気を使って置いてくれたのだろうけど。

目の前に用意された物も、一つの本だった。


「体調が優れないらしいな」


大蛇に生力を奪われたことを聞いたのだろうか。

珍しい一言に、少し驚いた。


「少し、体がまだ重い感覚はありますがそこまでではありません」


「そうか…」


父の顔を見やると、いつも感じる厳しさが抜けて、少し疲れているような印象を受けて。

なにかを思案しているようにも感じる。


「栄螺堂での事は聞いた。私との話はもう済んだが、伊月家から、体調が戻り次第、お前に正式に謝罪をしたいとの事だ」


「分かりました…」


「それから、鴉という妖がまた現れたそうだな」


あの守人から報告は受けた、と継ぎ足され少し智太郎の事が心配になる。

父は、妖の血を引く智太郎の事をあまり良くは思っていないはずだから。


「はい、私は栄螺堂で姿を見ただけですが」


「その、書物に鴉の事が載っていた。読むといい」


あらためて差し出された本を見ると、初代当主の手記の一冊だった。

全てを読んだことがある訳ではなかったので、まだ知らない手記だ。


四月十日。


また庭に鴉が現れた。

ここには来ては行けないと告げる。

鴉は聞いてくれない。



前に見た手記と同じような内容だ。

鳥に話しかけるなんて、初代当主は少し変わっているとしか思わなかったが…。


似たような内容が続き、あるページで私は指を止める。



七月二十一日。


妖が屋敷の狩人達を殲滅しようと、戦を仕掛けてきた。

一部の狩人以外は、皆死んだ。

雪も殺された。



八月一日。


鴉を見かけた者が、あの妖がそうだと私に言った。

受け入れ難い。



八月七日。


鴉と再会した。

説得はできなかった。

私は鴉を殺すしかない。



九月十一日。


妖との争いが続く。

鴉は深手を追わせてもたちどころに治る。

今の私と同じ。

だが、いつかは必ずどちらかが死ななくてはならない。



九月三十日。


私の力も尽きる。

皆に遺言をのこす。


金木犀の木が聳える、すすきの草原に行こうと思う。

鴉はそこにいる。



手記はそこで終わっていた。


愕然とした。

結末は書いてないが、私は秋暁しゅうぎょうの野の夢を知っている。

あの金の髪の女性は…初代当主だったのか。

そして、鴉と殺しあった。


「初代当主は…どうなったのですか」


「生きて戻ったと聞く」


ほっ、と千里は息をつく。

だけど、違和感が残った。

何故手記の続きが無いのだろう?

こんな終わり方では、まるで死んでしまったかのよう。


「黒曜……鴉のこと…桂花宮と関係があったなんて、初めて知りました」


「当たり前だ。このことは、代々当主にしか伝わっていないのだから」


「…どうしてですか」


鴉という妖はいつから存在しているのか分からない古い妖で、同時に強力な妖でもある。

そんな妖との関わりを何故秘密にするのか?


「…お前は、この手記を読みどう思った」


「…鴉と親しいように思えました」


初代当主は、最初は鴉と親しかったように思えた。鴉を逃がそうとする程。

だが、桂花宮は対妖の狩人達を支える立場。中には妖に対する強い憎しみを持つ者もいる。


「初代当主は、一時は鴉を逃がし狩人達を裏切ったとも言える。そんな事は知られてはならない。それにな、妖と和解しようとして、結局は叶わなかったなんて事実は悲しいだけで何も生まない」


父が何を続けるか、私は分かる気がした。


「鴉がお前に執着しても、同情してはならない」


普段なら、桂花宮家の為に言っているのだろうと思った。

だが、今日の父がらしくないのは、私を心配してくれているからだと分かった。

出産するとほぼ同時に母が亡くなり、ずっと嫌われて、むしろどこかで私を憎んでいるんじゃないかとすら思っていた父がだ。

だからこそ、言葉が重くのしかかる。


「…父様。私、鴉になにかを思い出すように言われて。昔会ったことがあるようなんです。それに、夢というか。初代当主の手記のような夢をみて」


言っておかなくては、と思った。

手記を見せ、私を心配してくれている父に。

今まで私もこの事実を知らなかったということは、当主にのみ代々受け継がれてきたことなのだろう。だけど、まだ次期当主の私に教えてくれた。


「お前に鴉が執着するのは、初代当主以来の生力を持つ故かと思ったが、それが理由か。夢を見たと言ったな。何度もあった事なのか」


顎をさすった後、父は言った。


「今思えば、鴉と初めて会ってから記憶の夢を視るようになったと思います」


「その時に……何か力を与えられたのか」


「分かりませんが……接触はありました」


黒い羽は後から貰ったものだし、まさか黒曜にキスされたなんて父親には言えない。


「能力の後天的発現はあまりあることでは無い。元々持っていたのに気づかなかったか……やはり後から与えられたか、だ」


妖に関わることの無い普通の人間なら分かるが、妖と対峙する桂花宮家に育ち、特殊能力のある人間に常に接触してきたから理解はしているつもりだ。

古くから妖と対峙する狩人や術師の家門は、常に戦いの中で危機的状況を味わってきたからか、特殊能力が発現する人間が稀に存在する。

発現するのは幼少期がほとんど。

特殊能力とは少し違うものの、自分は先祖返りの生力をもって生まれてきたからか、他の力は発現しなかった。


「鴉がお前に力を与えて何かを思い出させようとするのは必ず何か目的があるからだ。鴉がもしお前を利用しようとしても、拒否しなさい。むしろこちらが利用してやればいい。初代当主の件は、他言無用だ。尾白にも言ってはならない」


「心得ております。…父様、教え下さりありがとうございます」


三つ指をつき、顔を上げるとふいをつかれたように父が瞬きをしていた。


「…ああ、もう下がりなさい」


父が手記を箱にしまう。

どうりで、あの一冊は読んだことが無かったわけだ。

あの一冊のみ、当主が代々管理しているのだろう。

見届けると、私は再び礼をし、部屋から下がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る