第4話
聳え立つ木々の間を縫って走る。その残像だけを追っているようで、子馬との距離は全く縮まらない。
そりゃ速いわよね。お馬さんだし。
けれど地の利はこちらにある。
幸い密集した木々によって、子馬が走れる道は限られていた。私は先回りしようと、背の高い植物の間を一直線に突っ切る。
小枝が当たった頬が痛み、ローブの裾や袖が悲鳴を上げる。恐らく、引っ掛けてどこか破けている。
それでも私は走って、程なく森を抜けた。
月明かりが照らす街道。緩く下り坂に伸びた道は、そのまま街へと通じている。私は息を整えた。
飲み下した唾液だけでは、全く喉の渇きが癒えない。
私は街を背に、森へと向き直る。
夜の森はそれ自体が黒く巨大な怪物のようだ。
そこから金色の光が次第に迫ってきて、瞬間、飛び出してきた。
「お願い! 止まって!」
呼びかけにはもちろん応じない。子馬は嘶き、真っ直ぐ向かってくる。やはり見慣れない世界にパニックを起こしているのだ。
私は急ぎ呪文を唱え、放つ。前方に太い蔓で作られた大きな籠が出現した。
窮屈な想いをさせるけど、すぐ元の世界に返してあげるから。
籠は子馬の全身を包み込み、その動きを止めた。
そう思ったのは、一瞬だった。
子馬が大きく首を振り回すと、頭部の角が呆気なく蔓を断ち切ってしまう。
止まらない。私の目の前に鋭い角が迫る。
慌てて別の呪文を唱えるが、間に合わない。
その時、何者かが、子馬の身体に抱きつくように飛びかかった。驚いた子馬が前足を高く上げたことで、一旦前進は止まる。
私はその誰かの名を呼んだ。
「ディラン!? どうして」
「やはり貴女が気になったので、様子だけでもと。こんなことより、早くこの子を落ち着かせてあげて下さい!」
ディランが子馬にすがり付きながら、叫ぶように言う。
落ち着かせて、あげる?
その言葉で私はローブのポケットを探る。そこにあったのは、手のひらに収まるほどの小瓶だ。
効果があるかは分からないけど。
私は子馬に駆け寄りながら、小瓶の蓋を開ける。
そして、それを子馬の鼻先に近づけた。
小瓶には私が調合した、心を落ち着かせる香油が入っている。
自然の、花から抽出したものだから、きっと。
暴れていた子馬はやがて、嘘のようにその動きを止めた。効果があったようだ。
「良かった……」
私もディランもやっと全身の力を抜く。
私達を見つめる子馬の円らな瞳は優しげで、先程とはまるで別の生物のよう。
本当に、美しい生き物だ。
「やはり、
ディランの声は、何故か自慢気に聞こえた。
私たちはその後、子馬を森の“扉”へと導き、無事に元の世界へ帰すことができた。
やはり調べても扉に異常はなく、何故子馬が迷い込んできたのかは分からない。
「
ディランが心配してくれている。
でも掠り傷よ、こんなの。
「平気よ。それより」
私は彼に近づき、真っ直ぐその瞳を見つめた。
「本当にありがとう。そして、ごめんなさい。あの時は、酷い八つ当たりをしてしまって」
痛感した。私は、未熟だ。
けれど魔法が使えると言うことは、精霊はまだ私に力を貸してくれるということ。
私はその期待に、応えなければならない。
「いいえ。俺の方こそ、言葉足らずで貴女を傷つけてしまって、申し訳ありませんでした。――俺は、人の心の機微に疎いので」
「分かってるわ。大丈夫」
私は深く息を吸うと、少し緊張を滲ませて彼に問いかけた。
「ねぇ、ディラン。こんな、私でも、まだ着いてきてもらえるかしら?」
「当たり前です。まだ貴女に教わることはたくさんありますから」
即答だ。
良かった。ディランの言葉に、胸が温まる。
今はそれで良い。彼が側にいてくれるだけで。
「まだ自分の笑顔は好きになれないし、貴方の言う、笑顔の素敵な女性にはなれないけど。もっと頑張って、皆をちゃんと守れるようになるからね」
決意を新たに私が一人頷いていると、ディランが口を開けたまま固まった。
どうしたのかしら。
「シルヴィア
え――私、口に出てた!?
顔から火が出るとはこの事だ。私は意味もなく手を振り回す。
「何か勘違いをされているようですが」
勘違いって、なんだろう。
ディランが深く長く、ため息を吐いて言った。
「俺がいつ、貴女の笑顔を素敵でないと言ったんですか?」
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