第2話 『元宮廷料理人』

「ルイズ!お前はクビだ!」


ボースの怒りの感情に任せた声が静かになっている厨房に響き渡る。


(はあ、何も考えなしに感情に任せて、こういうことを言っちゃうからボースは駄目なのよね)


言われたことの深刻さとは裏腹に、私は特に感情を動かされることもなくボースの話を話半分に聞いていた。


すると、私とボースのやり取りの雰囲気に呑まれ、近寄らないように遠巻きに黙って作業していた他のスタッフたちも、手を止めて、私たちを凝視せざるを得なかった。そして、ボースの言い放った一言に驚愕し、ざわつき始める。


「料理長に全権を任されているっていうことは俺の裁量でスタッフをクビにするのも可能ってことだ」


たしかに、ボースの全権を任されているという意味であれば、言ってしまえば人事権も任されているということになるのは間違いない。だが、それで私をクビにするというのは道理を外れた発言で、ボースが私のことを気に入らないっていう事を理由に権力を翳してるに過ぎない。私が内心、やれやれと呆れているところに――


「ボース副料理長。いくらなんでも、それは酷過ぎます!」


厨房スタッフ全員の視線が私たち二人から、その言葉を発した人物へと視線が移った。


それは厨房の端に居た、まだ少年のあどけなさが残る見習い料理人のコミィが、意を決して発した言葉だった。その声は緊張から震えていた。


それを聞いたボースはコミィへと視線を移して睨みつける。その視線にコミィは恐怖のあまり固まり立ち尽くしてしまう。


「そうか。じゃあ、コミィ。お前もルイズと一緒に仲良くクビになりたいのか?お前みたいな雑用は幾らでも替えが効くぞ!」


薄笑いを浮かべながらボースはコミィへにじり寄りながら、そう言い放つ。それを聞いたコミィは絶句し、みるみるうちに表情が青ざめていくのが分かった。他のスタッフたちも、自分が巻き込まれないよう、ざわつきがボースの啖呵をきっかけに収まり。皆がボースと目を合わさないように目を逸らしていた。


「待ちなさいよ!コミィは関係ないでしょ!」


ボースが言い出したことは、いつもの私に対する嫌がらせだと思い、本気として捉えずに軽い気持ちで、ボースの言動を流してきたが、私とボースの諍いのとばっちりで、コミィをクビにされては堪らない。思わず語気を強めに言い放った。


「ルイズ。お前が辞めるのであればコミィのことは聞かなかったことにしてやる」


一瞬考え、私はボースを睨みつけた。


「分かったわ、私は辞める」


そう短く答える。


「ルイズさん!そんなっ!」


コミィが声を上げると同じくして、厨房内のスタッフも再び、ざわつき始める。


「うるさいぞ!」


ざわつくスタッフたちを厳しい一言でボースが制する。その言葉とは裏腹にボースの顔は、ほくそ笑んでいた。


「いいだろう。決まりだな。ルイズには即刻、出ていってもらおう。今日のディナーからは新体制だ。おい、ティミット!」

「はい。なんでしょう?」


名前を呼ばれた糸目の長身の男が他のスタッフたちより一歩、前に出る。


「ディナーから、お前がアボイエと今、やっている肉料理ロティシエールを兼任しろ。できるな?」

「わ……分かりました」


ティミットからすれば、はいとしか答えようがない。選択肢なんてないようなものだ。できないなどと答えればクビにされかねない。

ボースの機嫌さえ損ねなければ私の見立てでは、ティミットの実力であれば慣れさえすれば、アボイエと肉料理ロティシエールロティシエールの兼任は問題ないだろう。


「よし!片付けが終わったら休憩だ。ディナーからは新体制だ。気を抜くなよ」


ボースが、にやりと口元を緩ませながら厨房内へと一際大きな声を上げた。最初の怒号とは打って変わって、その声には喜びの感情が溢れていた。


「ルイズ。早速、出て行って貰おうか?」


にやにやした顔を隠すこともなく私にボースが告げてくる。


「分かってるわ。じゃあ、世話になったなわね。皆、元気で」


私は自分の包丁などの荷物をまとめ、厨房を後にする。他のスタッフたちの今後の不安と私への心配と申し訳なさを思う視線も背中に感じていたが、それを敢えて振り返らずに厨房を出て、後ろ手に扉を閉めた。


こうして私は、5年間働いたノースノワール王国の宮廷料理人をクビになったのだった――

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