第50話 嵐の日08

 お、お、お、おおおおおおおおんんんんんん――――っっっっ!

 大気を震わす咆哮が、突風となってアスライを叩く。巨人と化したデベンゾは、さらに大きさを増した両足で直立し、自らの力で歩行が可能になっていた。人であった時の姿を失ってもアスライに向かってくるのは、辛うじて残った憎しみの残滓か。


「そんな姿になってまで、何を望むのか……」

 誰よりも大きく、誰よりも強く、死すら超越したデベンゾは、この地上で最も神に近しい存在であろう。だが歩けば地を陥没させ、息を吐けば木々をなぎ倒す、生ける災厄に成り果ててしまった。やがてその災いは、帝国を含む世界の全てを滅ぼす。


「お前なぞのせいで終わるものか。オレには、帰る場所も待っている者もいるんだ」

 必ず帰ると約束した。アスライはトワ、ウルク、ミア、シウ、リフら一人一人の顔を思い出し、眦を決する。

 黒雲が太陽を隠し、雨と風が吹き荒ぶ暗闇の嵐の中、掲げられた黄金の剣・『雷喰力換』が、光を放つ。


「【この哀しみは何の咎か? この苦しみは何の咎か? 我ら咎人なりしや? ……否、否! 断じて否! 我ら咎無し。罰せられる謂れ無し。我怒る、我ら怒る。咎無き者を咎むる世を憎む。我戦わん、我ら戦わん。この世の不条理に抗うための力を示さん。見よ、我らが怒りの顕現を――破城大雷】」

 天が轟音と共に撃ち下ろした雷は、デベンゾではなくアスライへと降り注いだ。


「ッ…………オオオオオオッッッ!」

 『雷喰力換』が落雷を吸収し、数倍の大きさになる。

(まだだ、まだ足りない! あの巨人を屠るには、まだまだ足りない!)

 体積と共に重量が増した剣を支える腕から血が噴き出し、足の骨が砕けるが、アスライは尚も神詞を唱え続ける。


「【――破城大雷】!」


「【――破城大雷】!」


「【――破城大雷】!」

 連続する落雷の力を全て吸収し、『雷喰力換』が際限なく伸張する。ベキベキと音を立てるのは、天まで届こうかという『雷喰力換』か、それと大地を繋ぐアスライの肉体か。

 天への柱の如くなった剣の大重量と、【不死】の神授の再生強化力とが拮抗する。

 己に向けられた刃の脅威に、デベンゾが大地を蹴立て火山弾のように押し寄せる。


「わぁがぁえいきゅぅうぅうふめぇつぅのぉてぇいこぉくのぉ、いぃしぃずぅえぇとなれぇぇぇぇぇ――――――――っっっ!」


「断る」

 両腕を広げたデベンゾの大巨体が、アスライを圧死させんと突っ込んでくる。


 【雷】と【不死】の神授が恩恵を失う。神気が枯渇したのだ。

 途端、アスライの全身に亀裂が走り、鮮血が噴き出す。『雷喰力換』の大重量に、肉体が敗北する。


 アスライは、フッとデベンゾへ、『雷喰力換』を落とした。

 初めはゆっくりと、だがすぐに速度を増し、『雷喰力換』が大気を切り裂きながら傾く。

 黄金の刀身が摩擦で炎を纏い、赤い閃光を星々のように生み出しながらデベンゾへと落ちる。

 山のような巨人となったデベンゾを超越する、天まで届く大剣。その超絶な大質量を受け止めたデベンゾの両腕は、灼熱で一瞬のうちに蒸発。頭と胴体を押し潰し大地を割ると、太陽が誕生したかのような大爆発を起こす。


ぎ――――ああ――――あああ――――……………………

全てを無に帰す光が、悪しき者を浄化する。

大地は岩も土もドロドロに溶け、空を覆っていた雲は切り取られたように消え失せ、雨の代わりに火の粉が舞う、終末を思わせる惨状と化していた。


「……やったか……」

 草も木も焼却された溶岩の川の傍で倒れるアスライは、勝利を確信する。

 直撃を受けたデベンゾはもちろん、この半径一キロメートルの範囲で命ある者は、自分しかいないように思われた。それほどまでの凄まじい破壊の嵐であった。


「…………ああ」

 足に、力が入らない。爪先からサラサラと白い砂に変わり、もう指が無かった。

 砂に変わっているのは足だけでなく、全身に及んでいた。


(マズイ……神気の、神気のあるところへ……)

 アスライの肉体は限界を超え、崩壊し始めていた。


 【不死】と【雷】、二つの神授を併せ持つアスライは死から解放された。しかしその神授の恩恵はここでは受けられない。神授の動力源である神気を枯渇させたのは、他ならぬ彼自身であったからだ。神の加護が及ばぬ死の大地と化したこの場所で、アスライの命は尽きようとしていた。

 神気を求め、這いずって移動する。

だが腕が崩れ、太股が崩れ、肩が崩れ、動けなくなった。


「かひゅ……か…………ひゅ…………」

 息をするだけで、体の内部が崩壊していくのか分かる。


 人は死ぬものだ、とリオネイブに言った言葉が投げ返ってきていた。だがまだ死ねない。

 死への恐怖はアスライに無かった。あったのは生への未練であった。

 幼い弟たちにはまだ大人が必要だ。弟たちが成人するまで見守る義務がある。同胞を弔い、父の首もまだ取り返していない。それに、トワに必ず帰ると約束したんだ。


(神でも……悪魔でもいい……魂でも何でも捧げよう……だからオレを、この世界に留まらせてくれ――)

 アスライは祈った。神在る世界で神を棄てた棄神者としての信念を捨て去り、某かの超越者に我が身の延命を願う。その結果、どうなろうと構わなかった。


「――――兄様ッ!」


「…………う…………?」

 意識が消え去る間際、抱き上げられる。


「兄様、アスライ兄様ッ! 死なないで、お願い……っ!」

 トワに抱き締められ、流れ落ちてきた涙が頬に触れると、己の内側に暖かいものが灯る。それが脈打ち、全身に巡るのを感じる。

 神授が力を取り戻す。アスライの内にある【不死】の神授が肉体の崩壊を食い止め、再生を促す。


(まだ……この場の神気は枯渇しているのに……?)

 アスライの神授は、周囲から神気を吸収できないでいた。代わりに神気を供給しているのは、トワだった。


(そうか……【不死】の神授は本来トワのもの。模造品よりも強力なのは道理……)

 トワの【不死】の神授がより広域から神気を吸い上げ、アスライへと受け渡していた。そのお陰で見る見るうちにアスライの欠損した体が治っていく。


「兄様、良かった……」

 涙を零しながら、トワが笑みをつくる。


「…………」

 再生は完了した。しかしアスライは素直に喜べないでいた。

 トワに助けられたのは、これで三度目だ。偶然というにはありえない頻度だった。


「兄様?」

 トワがきょとんと見てきたので、アスライは「何でもない」と首を振る。

 これが偶然だろうとそうでなかろうと、やることは変わらなかった。オレはオレの道を進むのみ。

アスライは立ち上がり、トワに手を差し伸べる。


「帰ろう。皆のところへ」


「はい。どこまでもお供します。この命がある限り」

 太陽が二人を祝福するように、歩む道を照らしていた。

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だから変えよう、人を不幸にするこの世界を~不死の少女と出会うとき、残酷な運命が始まる~ 橘直輝 @tatibananaoki

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