第49話 嵐の日07
「――――きひっ、きひひひひっ!」
奇声に弾かれたように振り向くと、デベンゾが口の端から泡を吹きながら哄笑していた。
「世界を変える? 苦しむ者を救う? 片腹痛いわ! そんな夢物語が叶うとでも思うておるのかっ!」
デベンゾは腫れ上がった顔面から血と唾を垂れ流し、血走った眼球をひん剥く。
「この世は、皇帝陛下のもと統一される! ディグナ帝国の尊き者のみが甘美な蜜を味わい、それ以外の者は我らに頭を垂れ服従するのだ! 貴様ら虫けらごときがどう足掻こうと、この運命は変えられぬ! じゃがっ!」
ヨロヨロと、デベンゾが後ずさっていく。
「失敗作の小童、貴様だけは許せぬっ! 貴様だけは何としてでも、ここで亡き者にせねばならぬ!」
「何をする気だ?」
貧相な男の、しかし狂人めいた気迫に、アスライはトワを背に身構える。そんなアスライをデベンゾは嘲笑する。
「こうするのよっ!」
デベンゾが、台座の上から飛び降りる。
「おおおおおっ! 我らが帝国に、永劫の栄えあれっ!」
ドボンッ、と落下したのは、トワの血液が溜められた大穴だった。
デベンゾを丸呑みにした血の池はゴポゴポと泡立ち、見る見るうちに嵩を減らしていく。
「そんな……私の血が、全部…………っ」
立っている人間が手を伸ばしても尚深いほどの大穴にあった血液が、空になる。その穴の底で、血塗れた衣服で佇む男が一人。
「……おお。おおおおおっ! 素晴らしい! 素晴らしいぞこれはっ! 体の内から力が湧き上がってくるっ! これならば、これならば我輩が皇帝陛下に成り代わり――り……りり……りぺっ?」
ボコンッ、とデベンゾの頬が膨れ上がり、それに目や鼻がつき顔になる。
顔のみならず、全身がボコボコと蠢く。やがて衣服を突き破ってきたのは、手であり足であり尻であった。さらにそれらは、デベンゾ本人のものの数倍の大きさがあった。
「「「あはぁ、あははぁぁっっっ♪」」」
巨大な腕や脚や尻に無数の唇が生じ、笑う。それはおぞましい大合唱であった。
トワの【不死】の神授の力を持つ血液を大量に取り込んだせいで、神授の力が暴走しているのだ。
アスライはトワを窺う。彼女は唇をギュッと噛み締め、醜悪な現実を直視していた。そこには自らの罪を決して見逃すまいとする、悲壮な決意が見て取れた。
それはお前の罪ではない――などと言っても、この頑なな義妹は聞き入れまい。ならば兄としてすべきことはなんだ? アスライの決断は早かった。
(この現実を終わらせることだ)
アスライは【雷】の神授を活性化させる。枯渇していた神気は、既に回復していた。
「【迸れ雷――
掌から一条の光となって放たれた雷がデベンゾを直撃。穴の壁に叩きつけられ血肉を散らす。
「「「あはっ、あはぁあはぁっ、あばばばばぁぁぁぁぁ――――っっっ!」」」
デベンゾの笑い声が重なる。それはもう、人の声からは掛け離れていた。
デベンゾの傷という傷からドロドロと赤い肉が湧き出し、人の形状を保っていた部分が埋もれていく。
「あ…………」
トワが見ていたのは、檻に幽閉されていた奴隷達であった。
肉は大穴から溢れ、床に散らばる台や道具や瓦礫などを飲み込み奴隷達に迫る。
大量の肉塊が鉄格子の隙間から侵入し、命乞いをする奴隷達を餌食にする。
「助けられない、逃げるぞ」
「……はい」
冷徹なアスライの言葉をトワは受け入れた。
「【雷よ、我が脚に神速を】」
トワを抱きかかえ、アスライは脚力を倍増させる。
床を踏み砕くほどの大跳躍で肉塊を飛び越えると、出口へ疾走する。
デベンゾはなおも膨張し続け、地下室の天井まで到達。さらなる膨張先を、アスライのひた走る地下通路へ求める。
(信じられん……なんという速度だ!)
一人分の重量を抱えているとはいえ、アスライの走力は駿馬のそれに等しい。だというのにデベンゾの膨張速度は、アスライを上回っていた。
「兄様……」
「しっかり掴まっていろ」
体に細い腕がしがみ付いてくる。アスライは脚の骨と筋肉の悲鳴を無視し、速度を速めた。
肉塊が背に迫る。階段を十段飛ばしで駆け上り、一階へ出る。と、その後から液状の肉塊が間欠泉のように吹き上がる。
それは空中で停止すると波打ち、飛び散った物まで集まって何かを形作る。
手だ。赤い肉が剥き出しになった巨大な手の平が出来、そこから肘、肩らしきものになる。そしてゆっくりと肘が曲がり手が床につくと、己の体を地下から引っ張り出すように地面を押し始める。
肉塊で満たされた地下室への入り口がひび割れ、新たな肉片が漏れ出る。
「これが……この世の光景か……?」
思わず呟いてしまう。あたかも神に放逐された悪魔が現出するような光景に、アスライは心胆を寒からしめられる。
恐怖で強張る体を叱咤し外へ出ると、嵐の大雨が体を打つ。アスライは湖面に浮かぶ橋の残骸を渡りながら叫ぶ。
「ウルク!」
クルルッ! と健気に馳せ参じたウルクに飛び乗る。この嵐の中で待機してくれていたのだ。アスライは兄弟のように育った闇狼に感謝する。
「ウルク、ここから離れ、」
お、お、お…………おおおおおんんんんんん……………………
地を揺さぶるほどの轟音に、腹の中で内臓が掻き回される。
エンナラーム城を瓦解させながら現れたのは、城と同じサイズの人の顔。そこから腕が、胴体が続く。まるで肉色の粘土で作られたような、歪で巨大な人の形をした何かだった。
「これは……」
言葉が出ない。ウルクの背中でアスライは呆然となる。
肉の巨人となったデベンゾが、首を左右に巡らせる。 そしてアスライを認めると、ニイィィィッと笑った。なんという不快で不気味な笑みか。
「ウルク、走れ!」
脱兎のごとくウルクが走る。その背から恐怖が伝わってくる。魔獣たる彼女がこれほど怯えるのは、アスライの一八年の付き合いの中でも初めてだった。
デベンゾは足を大きく上げ、一歩踏み出す。がよろめくと、湖へ頭からダイブしてしまう。津波のような水飛沫が、離れたアスライのところまで届く。
(アイツ……自分の力で歩けないのか?)
大きすぎて移動が出来ないというなら、何か手があるかもしれない。そんな淡い期待は、再び立ち上がったデベンゾの姿に打ち砕かれた。
「お……大きく、なってる……?」
「……お前もそう思うか?」
トワが驚く様子に、アスライは目が錯覚を起こしたのではないと認識させられる。
デベンゾは、巨大化していた。一歩踏み出しては倒れ、一歩踏み出しては倒れる。その度に飛び散る肉が木や土や水を取り込んで集まり、デベンゾの養分となっているのだ。抉れた地面がその証拠だった。
(コイツは、小さいうちに殺さねばならない)
今はまだ城より大きいくらいだが、どこまででも巨大化する予感がアスライにはあった。もしそうなれば、国はおろか世界が滅ぶ。
アスライは、デベンゾと戦う決心をする。
「【――我戦わん、我ら戦わん。この世の不条理に抗うための力を示さん。見よ、我らが怒りの顕現を――
雷雲が瞬き、稲妻がデベンゾを撃つ。腕ごと左の肩が弾け飛ぶ。
お、お、おおおおおんんん…… デベンゾが吠え、倒れる。しかし右腕を支えに立ち上がると、新たな左腕を再生させる。より大きなものとなって。
(ダメだ。破壊するよりも再生する方が――いや、増大する方が早い)
不死者の殺し方は、神気を枯渇させ【不死】の神授の恩恵が無くなった状態で殺すこと。
しかしデベンゾは、既に【破城大雷】でも殺せないほど強大だった。神気を枯渇させ不死で無くしても、殺す手段が無ければどうしようもない。
力が要る。あの巨人を一撃で破壊できる大きな力が。
脳漿を絞るアスライに、呼びかけるような音。それは腰に差した一本の剣。リルヴ族族長の証たる黄金の剣・『雷喰力換』は、雷を喰らい形状と重量を自在に変形させる、創造神・フォルスが与えたとされる神剣だ。
それが事実であるかは定かではない。定かではないが、これならば……
「ウルク、このまま進め」
「兄様? ……兄様っ!」
アスライはウルクの背から下りる。トワが手を伸ばしてくるが、両足をウルクの被毛で固定されていては降りることができない。
ウルクが振り返りながら不安そうな目で見つめてくるが、安心させる為アスライは微笑を返す。
「先に行け。コイツを倒して、必ず帰る」
「兄様っ! 兄様っ! イヤです、私も一緒に――…………」
ウルクは疾風のようにトワを運んで行き、声さえも連れ去ってしまう。
(すまない、トワ。ありがとう、ウルク)
後で目一杯の毛繕いと、ご馳走を用意するとしよう。アスライは『雷喰力換』を抜剣する。
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