第47話 嵐の日05

「や、やや、やられてしまったぞ、あの獣モドキっ! ま、まだ手はあるのだろう? あると言ってくれサイスクルスっ!」


「黙っていてください」


「な……なななんじゃ、その口の聞き方はっ!」

 白衣の男と貧相な男が言い争う。

 アスライの視線に気付くと貧相な男は慄いたが、白衣の男は胸に手をあて微笑んでくる。まるで恋人に向ける笑顔のようだった。


「ボクは、マッギオ・サイスクルス。そこのリオネイブと不死兵を創った、ディグナ帝国随一の神授研究者さ」

 柔和な笑みそのままに、マッギオはアスライへ名を名乗る。


「お前が……お前がこんな馬鹿げたことをした張本人か」


「馬鹿とはヒドイなあ」

 マッギオは目を吊り上げるアスライを恐れることなく、クスクスと笑う。


「でも、帝国最高の頭脳だ天才だと持ち上げられていたくせに、結局、不死兵も獣化兵もやられてしまったとあっては立つ瀬がないね。うんうん、立つ瀬ない立つ瀬ない」

 しきりに頷くマッギオを、アスライは気味悪く感じる。


(こいつは……何だ?)

 マッギオは、自身がどういった状況にあるか分かっているようには見えなかった。まるで親しい友人と語らっているかのようにニコニコとしている。


「でもね……うーん? あ、そうそう、アスライ! アスライって言ったっけキミ。キミには感謝してるんだ! ボクの不死者を創り出す研究は、ほぼ完成したと思ってた。でもそうじゃなかった、まだその上があった。キミだ。キミのお陰だ。キミは、完璧だ」

 舌なめずりするようにうっとりと、マッギオはアスライを目で嬲る。それにアスライは怖気が走る。


「そう、完璧。

 自我を喪失することなく、肉体を汚らしい獣に変貌させることなく、キミは完璧な人の姿を維持している。それどころか、生来の神授を保ったまま不死者への昇華を果たしている。これは驚異だ。奇跡といっても過言じゃない。

だからね、アスライ君。ボクはもっともっとキミのことが知りたい」


「お前は、何を言っている…………?」

 言葉を放たれているのに、頭に入ってこない。それはマッギオの関心があるのが、アスライという個人ではなく、その奇跡的な肉体の有り様のみだからだろう。その人ではなく、予想以上の結果を出した実験動物を賞賛するような態度に、アスライは例えようのない恐怖を覚える。

 それは人が、人に向けて良い目ではなかった。


「もちろん、タダとは言わないよ!」

 アスライの気持ちなど一顧だにせずに、マッギオは上機嫌で提案する。


「ボクは、皇帝陛下と旧知の仲なんだ。だから使い切れないほどの大金、帝国中の美女、それに爵位と領地、領民、何でも用意できる。帝国は世界最大の版図を掌握する超大国。キミが想像できる遥か上の快楽がこの世にはあるのさ。それを毎日、毎夜、終わることなく味わい続けることができる。さあ、キミの望みは何だい? ボクに協力してくれたらその望み、全て叶えてみせよう!」


「オレの……望み」

 マッギオの異様さに自失していたアスライは、『望み』という単語で我に返る。

 脳裏に浮かんできたのは、木々の生い茂る故郷・ストロキシュ大樹海。そして――


「オレの望みは……」


「うんうん。何だい? 何でも言ってくれ!」

 マッギオは台座から身を乗り出し、両腕を広げる。


「オレは、姉上と兄上と共に森を駆けたい。一族の皆と酒を酌み交わしたい。父上に、一人前の戦士と、男と認められたい」


「うんうん! ……うん? それは……そ……れは…………」


「叶えられるか?」

 マッギオは先ほどとは打って変わって、唇をパクパクさせるだけだった。アスライの瞳に、赫怒の炎が宿る。


「叶えられるはずがない。オレの認めてほしい人達は、お前が全員殺してしまったのだから」

 人の死は、人を殺すということは、取り返しのつかないことなのだ。そんなことすらこの男は分かっていない。


「お前がオレに与えられるものなど何も――いや、一つあるか」


「な、なんだい? 何でも言ってくれっ!」

 マッギオが、パッと顔を明るくする。


「お前の首だ」

 目を剥いたマッギオへ、アスライは冷え冷えとした酷薄な声で告げる。


「お前の首をオレに寄こせ。お前が奪ったものに、首一つでは到底釣り合わないが、旅立っていった者達への慰めにはなるだろう」


「ま、待って、待ってくれ! 他のものなら何でも用意する! 金、女、地位、名誉、何でもだっ! だ、だから命だけは…………」


「…………」

 マッギオの命乞いにアスライは無言。『雷喰力換ラグリカン』を手に、台座への階段を昇る。

 台座には階段が一つしかない。マッギオに逃げ場はなかった。


「く、クソッ! こんな、こんな所でボクが――うっ……?」

 右往左往するマッギオの腹から、血塗れた刃が生えていた。それをキョトンと見つめるマッギオ。


「ひ、ひひひひひっ! 貴様の首が欲しいと申しておるのだ。大人しく差し出せいっ!」

 デベンゾのサーベルに貫かれたマッギオは、ドウッと倒れる。

生き足掻くようにズリズリと這っていくのは、台座上の柱に磔られているトワの方だ。


「ま、まだボクには、まだ……ま、」

 トワの足元まで辿り着いたマッギオに、デベンゾが圧し掛かる。


「ひ、ひひっ、ひひひひひっ!」

 発狂したようにデベンゾは、マッギオを突き刺し切り刻む。

 数分の後、デベンゾは振り返り、笑みと共にマッギオの首を差し出してくる。


「の、のう! こやつの、サイスクルスの首が欲しいのだろう? それならそれこの通り! じゃから我輩だけは助けてくれいっ! 頼むぅっ!」

 へへっ、とへつらうデベンゾをアスライは一瞥する。


「ふへ、ふへへ…………へばちっ!」

 アスライの拳が、デベンゾの顔面を拉げさせる。そのままの勢いで二転三転と床にバウンドする。


「視界に入るな、目が腐る」

 あんな醜悪下劣な者の血で、『雷喰力換』を汚したくなかった。崩落する城と共に朽ちろ。

 エンナラーム城はアスライとリオネイブの暴威のせいで、構造を維持できなくなっていた。ここが崩れ去る前に、トワを救出しなければならない。


「トワ、待たせた。いま助ける」

 柱に杭で打ちつけられているトワは、ぐったりしていた。痛ましく思いながら両の手足を縛めていた鉄杭を引き抜く。


「トワ、大丈夫か?」

 トワを揺り起こすと、虚ろだった目に光が。それにアスライは安堵を覚えるが、


「ッ! 何をッ!」

 長い時間を拘束されていたとは思えぬ速さでトワはアスライの剣を奪い、自らの首筋に刃を走らせる。


「っぅっ!」

 寸前で刃を掴み、自害を阻止する。黄金の刀身の上に、アスライの血が流れる。


「バカなことをっ! 何をしているッ!」


「…………死なせて…………」

 見上げてきたのは少女ではなく、疲れ切った老女のようだった。

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