第46話 嵐の日04

「泣くな……トワ」

 ハッと顔を上げたトワの目に、二本の腕で大剣を掴みながら立ち上がるアスライが映る。右腕をリオネイブに噛み千切られたにも関わらず。


「バ……バカな……ッ!」

 リオネイブの獣面が驚愕で歪む。床には右腕が転がっているのに、アスライには新たな右腕があった。この現象はつまり――


「バカな……バカなバカなバカなッッッ!」

 アスライへ疾走すると、リオネイブが発狂したように拳を繰り出す。殴られ蹴られ切り裂かれ、アスライの体は傷が無い箇所がないほどにズタボロにされる。


「【迸れ雷――烈雷スパークル】」


「グッ」

 アスライの放った雷に撃たれ、動きを止めるリオネイブ。その間にアスライは後退する。

 全身の傷が、意思を持つかのように蠢き癒着する。うざったそうに前髪を払ったアスライの顔には、傷の一つさえ無くなっていた。


「これは……【不死】の、神授?」

 余裕の体を崩さなかった白衣の男が、初めて狼狽する。


「そんな……適合型は、『不完全適合』と『獣化適合』だけのはず……。しかも生来の神授を失わず、二つの神授を同時に所持するなどボクの研究成果にはないこと……。血肉や臓物、果ては排泄物まで試したのに、なぜ…………?」

 白衣の男が爪を噛み、ウロウロと歩き回る。爪からは血が流れていた。


「あ……ああ…………っ」トワの声は絶望に染まっていた。「そんな……兄様までこんな呪われた体に……ごめんなさい、兄様…………」

 その目から溢れ出る涙に、白衣の男が目を見開く。


「そうか、涙! 涙かッ! ボクがこんな単純なことを見落とすなんて……。リオネイブ、その少年を生かして捕らえ――いえ、本当に死なないかどうか確かめなさいッ!」


「承知ッ!」

 ジャキンッ! とリオネイブが両の爪を更に長く伸ばす。アスライは、いつもの涼しい表情で問い掛けた。


「お前、やはり自分の神授を使えないのか」


「く……っ。調子に乗るな小僧っ!」

 【不死】の神授を得たときに自らの神授を失ったことは事実らしく、リオネイブは激しく激昂しアスライに襲い掛かる。

 アスライは防戦一方。『雷喰力換』が無ければ幾度も首を撥ね飛ばされていただろう。僅かな隙に【雷】の神授を使うも、効果はほとんど無かった。


「貴様が【不死】の神授、そして元々持っていた【雷】の神授、その二つを有しているのは間違いなさそうダ……」

 冷静さを取り戻したリオネイブは、自らがつけた傷が再生していくアスライを観察しながら認めざる得ない。


「だが貴様に神授が二つあろうと、不死の我には無意味。そして!」

 暴風のように繰り出される連撃に、アスライは右に左にと弄られる。


「獅子の強靭さを持つ我に、貧弱な人である貴様は勝てぬっ!」


「…………し」

 血塗れになりながらも、アスライは何事かを呟いている。


「【――我怒る、我ら怒る。咎無き者を咎むる世を憎む】……」


「ッ! 貴様ッ!」

 リオネイブの攻勢が増すが、アスライの詠唱は止まらない。目が慣れ、大剣で防御できるようになり、負傷が少なくなっていた。


「【我戦わん、我ら戦わん。この世の不条理に抗うための力を示さん。見よ、我らが怒りの顕現を――破城大雷リルヴ】」

 ガアアアアンンンッッッ! と地下の天井をも突き破り、眩い閃光がリオネイブを打ち据える。


「ぐがああああああ――――っ!」

 落雷の高熱で発火。黒煙の中からボロボロと炭化したものが落ちる。だが、


「ク……ハハハハハッ!」

 火が小さくなっていき、黒炭と化した皮膚の下からピンク色の肉が盛り上がり、真っ赤な毛が生える。脱皮するように燃えた部分を脱ぎ捨てると、以前よりも艶やかで力強い真紅の獅子顔の異形が現れる。


「効かぬ、利かぬなア? それが『破城のリルヴ族』と謳われた者の力か? いかに城を破壊するほどの力とて、この不死身の肉体には無意味!」


「無意味かどうか、これから分かる」

 アスライは、再び神詞を唱える。


「無駄だと言っておろうガ!」


「――【破城大雷】」

 さらなる雷が、天からリオネイブへと落とされる。堅牢な城さえも砕く雷はしかし、リオネイブの毛と皮膚を燃やしただけだった。


「フハハハハッ! 素晴らしイ、素晴らしいぞこの肉体はっ! 壊されれば壊されるほど強くなる! 最早貴様の雷なぞ、針の一刺しにも及ばんっ!」

 リオネイブが大爪を一振りすると、アスライは凄まじい勢いで壁に叩きつけられる。


「ガハッ……」

 苦悶の声が漏れ、床に崩れる。


「【――の……しみ】、ぐぶっ」アスライは吐血しながら、膝に手をつき立ち上がる。「【――の、咎か】」


「……くどいゾ、小僧」

 リオネイブは獣面を不快気に歪める。


「【――れ、怒る】」息も絶え絶えに、神詞を紡ぐ。「【――戦わん】」

 アスライは指先を揺らしながらリオネイブを指す。


「【――を示さん。見よ、我らが、怒りの、顕現を――破城大雷】」


「無駄無駄無駄ァッ!」

 落ちる雷は、片腕でリオネイブに防がれてしまう。


「こんなもの、痛くも痒くもないワっ!」

 アスライは蹴り飛ばされ、ボールのように転がり壁にぶつかる。


「詰まらン。さっさと首を落として水瓶の中にでも――」


「……【――ん。みよ、わ、れらが、いか……りの、けん、げんを……】」

 諦めることなく、四度目の大技を構築する。


「貴様……なぜ分からん…………」


「【破城大雷】」

 落雷は、起きなかった。

 パチュン、と空中に光が瞬いただけだった。


「フッハッ! 何だそれハ? 神授力が尽きおったカ!」

 リオネイブが嘲笑う中、床に座り込んでいたアスライの口角が上がる。


「ああ、やっと尽きた」

 ゆらりとアスライが立ち上がる。


「もう飽いたぞ小僧! 素っ首刎ねて、終わりにしてくれル!」

 疾走したリオネイブが剛爪を振り下ろす。が、空を切る。


「ほう、まだそのような力を残しておったカ。だが、いつまで持つかナ」

 一撃一撃が必殺の破壊力を秘めるリオネイブの攻撃は、悉くアスライに防がれる。


「グッ……なぜだ、なぜ急に……ッ!」

 圧倒していた状況がひっくり返ったことに、リオネイブは困惑する。それにアスライが静かに答える。


「お前はその再生能力に頼るあまり、技術の研鑽を怠ってきたな? 力と速度は人外そのもの。しかし戦闘の技量においてはそこらの新兵にも劣る。そんなお前では、オレには勝てない」


「戯言をぉぉぉぉぉッ!」

 互いの攻撃が交差する。宙を舞ったのは、リオネイブの右腕だった。


「まだだぁっ! この肉体は永久不滅! 腕の一本や二本、すぐに再生する!」


「それでか?」

 リオネイブの言葉通り、欠損した腕は再生した。しかしそれは、枯れ木のように皺くちゃな、ミイラのような腕だった。艶やかな毛も逞しい筋肉も、そこには一片も無い。


「な、なんだこれは…………なんだこれはぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」


「神は」

 ザンッ、とアスライは枯れ木のような腕を切断する。


「お、お、おお……い、痛い? ああ……イタいイタいイタいぃぃぃぃぃっ」

 リオネイブが、再生しようとしては崩壊する腕を押さえながら後ずさる。


「この世界を創造した神・フォルスは、脆弱なヒトを憐み、その力の一端である神授を与えた。神授は、世界を流れる神脈から神気を得て力を顕す。神脈とは大河、神気とはそこを流れる水のようなもの。決して尽きることは無い無尽蔵の水流だ。だが――」

 じわりじわりとリオネイブを追い詰める。


「だが、その大河の流れよりも速く、水を汲み上げたらどうなるだろう? その『答え』がそれだ」

 再生しない腕に目を向ける。


「堅牢な城壁を一発で破壊する【破城大雷】を八発、この一時間弱で使った。この場の神気は枯渇し、神気によって力を発揮する神授は、その加護を失った。故にここに、不死の者はいない」

 アスライは、【雷】と【不死】の神授を併せ持ったことで、神の理の一端に触れた。そしてその『答え』によって、不死者を殺す方法を知ることになった。

 アスライは、リオネイブと見詰め合う。


「決着をつけよう。斬られれば死ぬ、命ある者の正しい戦いで」


「否! 否! 否! 我は死なヌ! 【不死】の神授によって獅子の肉体を得た我は、不滅の存在となったのダ!」

 リオネイブが決死の形相で、剣の如き左の五爪を繰り出す。

 石造りの壁や床をバターのように切り裂いた大爪であったが、【不死】の神授の恩恵を失ったそれは、アスライの大剣の一振りに耐えることはできなかった。

 大爪ごと、首が斬り飛ばされる。


鮮血を撒き散らしながら巨体が崩れ落ち、リオネイブの首が床で跳ねた。


「あ……ああ……な、治らヌ……治らヌぅ…………っっ。し、死ぬ……のカ? 我は…………死ヌ? …………怖イ、怖イぃ……。死にたく、なイ…………死にたく、ナイィィィッッッ!」


「人は死ぬものだ、リオネイブ・エレジアン。お前の殺した、多くの人々のように」


「あ……あ、あ……………………」

 リオネイブの瞳から光が消えると、その体から色彩が失われ、真っ白になる。

 サラサラとそれは砂のように崩れ、その白い砂の塊が人であった痕跡など、無くなってしまった。


「…………」

 仇は討った。父と姉と兄、同胞を滅ぼした男を殺した。だがアスライの胸中には一欠けらの喜びも湧かず、虚しさだけがあった。

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