第44話 嵐の日02

(……いま考えることはよそう)

 思考を切り替え、自らが破壊した跳ね橋の破片の上を飛び移る。城に近づいても、アスライを見咎める者はいなかった。

 跳ね橋を渡りきり、門を潜る。落雷の余波で、門の片側が内側に倒れていた。

 内部は、上階から避難してきた兵士らでごった返していた。そこへ外部から侵入すれば、当然発見される。


「き、貴様、どうやってここにっ! 何者だ!」


「この城は落ちる」

 兵士の誰何には答えず、アスライは黄金の神剣・『雷喰力換』を抜き、大剣へと変じる。

 この城を落とすためなら、どんなことでもするとアスライは決めていた。必要ならば、エンナラーム城にいる全ての兵士を皆殺しにでもしようと。


「逃げるなら、追わない」


「ふ、ふざけるなあっ!」

 怒号と共に三人の兵が槍をしごく。が、槍を突いた体勢で動きが停止し、胴が下半身から滑り落ちる。三人分の血液が、床の上に撒き散らされた。

 静寂。圧倒的な力の差に、帝国兵らは身動きが取れなくなる。


「リオネイブ・エレジアンはどこにいる?」

 問うが、誰からも声は上がらない。金縛りにあったかのように、誰一人動けなかった。

 アスライは血溜りを歩き、一人の兵に目を向ける。


「奴はどこだ?」


「し……しら、ねえ……」

 喉元に刃を当てると、パクパクと喘ぎながら喋る。


「う、あ……ち、地下だ! 地下には、俺ら下っ端じゃ入れねえ! ど、どど奴隷どもを集めて、なんかをしてる……。た、多分そこだ! だ、だから、殺さねえでくれよぉっ!」


「地下か……」

 アスライが剣を引くと、兵はヘナヘナと座り込んだ。


 ――ガクンッ、と地面が揺れ、上から何かが落ちてくる。崩落した城の一部だ。


「う、わあああっ! く、崩れるぞぉっ!」

 それを切っ掛けに、兵士らが武器を捨て逃げ出す。


 陸への跳ね橋は、帝国側と共和国側の両方を落としてある。外は嵐だが、ここに留まり生き埋めになるか、アスライに殺されるよりかはマシだ。

 帝国兵らが、我が身大事に押し合い圧し合い外に出る中、アスライは城内を見回す。


(アレか)

 地下への階段を発見する。兵士らはアスライを止めるより、逃げるのに必死だ。

 兵を避け、階段へを下る。とそこに漂う臭気に、アスライは顔を歪めた。


 血の匂いと死臭。それも一〇や二〇では有り得ないほどの数が混じったものだ。ここに間違いないとアスライは確信する。

 薄暗い通路を進むと、反響した声がしてくる。


「は、話が違うではないかっ!」

 ヒステリックに喚く男の声。若くは無い。


「き、貴様の作った兵は不死だと、絶対に死なぬ無敵の兵だと豪語していたではないか! なのになんだこの体たらくはっ! 皇帝陛下からお預かりした軍は壊滅、不死兵も一兵すら帰って来ぬっ! こ、これでは、我輩は破滅だっ!」


「ええ――ボクも驚いているところです」

 応じた声は若く、相手に比べひどく落ち着いていた。


「おい、止まれ! ここは、」

 部屋の入り口に立っていた門番を、アスライは【雷】の神授で気絶させる。


 急に明るくなり目が眩む。照明の明るさに馴染んだ目が映し出した部屋の光景は、自らの眼球を潰してしまいたくなるような、人の醜悪さが形になったものだった。

 まるで屠殺場だ。牛刀があり、拘束具があり、作業台があり、汚れないよう皮製の作業着で全身を覆っている人員がいる。しかし、台の上でそれらを用いられているのは、動物ではなく人間だった。

 刃物で切り刻まれる人間。死して物のように廃棄される人間。檻の中で自らの運命に震える人間。そしてそんな人を人とも思わぬ所業を行っているのも人間だった。


「貴様っ! ここは貴様のような下賎な者が入っていい――ぎゃふっ!」

 血の滴る牛刀を手に近づいてきた者を、アスライは殴り飛ばした。血肉が付かないよう被っている気味の悪い皮製のマスクが脱げ中から現れたのは、どうということのない平凡な顔つきの男だった。


「フ――ゥゥッ、フーゥゥゥッ…………」

 己の中で荒れ狂う憤怒を、息を吐いて宥める。ここにいる人でなし共を、一掃したくてならなかった。


「あ……あ……アスライ、兄様……?」

 一番聞きたかった声に、アスライの感情の昂りが冷めていく。


 部屋の奥。迫り上がった台座から伸びる柱に、磔になった全裸の少女がいた。

 両の手首と足首を杭で穿たれ、そこから流れ出る血が溝を通り、下にある穴に溜められていた。それは一人の人間から出ることは有り得ないほどの量だったが、それでも死なないのは、彼女の持つ【不死】の神授の力ゆえだろう。ここは彼女の神授を研究する実験場なのだ。

 アスライは、少女に微笑む。


「助けに来たぞ、トワ」


「ああ……生きて、生きてた……兄様……っ」

 トワは止め処なく、涙を零す。


「き、きき、貴様貴様貴様ぁっ!」

 台座の上にいる貧相な小男が、唾を飛ばしながらアスライを指差す。


「こ、ここはトーク州が領主、デベンゾ・トークの居城なるぞっ! 貴様のようなドブネズミが足を踏み入れて良い所ではない! 即刻、」


「なぜだ?」

 アスライは、真っ青な顔で虚勢を張るデベンゾに問う。「なぜ、こんなことが出来る? お前たちに人の心は無いのか? 良心は痛まないのか?」

 憎き帝国人といえど人間だ。人間なら誰にでもある他者を思いやる心を、コイツ等はどこに捨ててしまったのか。


「――フフッ、何を言うかと思えば」

 白衣を着た若い男は、デベンゾの隣からにこやかにアスライを見下ろす。


「神は、この世のものを二つに分けました。天と地、光と影、男と女。そして支配する者と支配される者。ボクたち帝国貴族は支配者の側、あらゆる者の上位者です。奴隷や平民は領主の所有物。物をどう扱おうと、それは主たるボクらの自由です」


「人は……物ではない」


「いいえ、物です。帝国法には、『領地に生まれたるあらゆる生命は、領主の所有物である』と明記されています。ボクらは帝国誕生以来、民を物として扱ってきました。そして今この瞬間も、民は生まれ続けている。

 いいですか? もしもボクらが間違っているのなら、ボクらの地に平民の子が生まれるはずが無いのです。なぜなら、神は存在するのですから。ゆえに帝国貴族が民を物として扱うのは、神が許したもうたことなのです」


「……………………」

 アスライは絶句する。


 この世界に神は存在し、帝国が人を物として扱うことを罰しようとはしない。それは神が帝国の所業を認めているからだ。

白衣の男の論法に反論が出来ない。この世界をこのように成さしめたのは、創造神・フォルスなのだから。

思いやりや良心など、神の絶対性の前では塵芥に等しい。だが……アスライは周囲を見る。

体を刃物や鈍器で潰され死んでいる者、牢で身を震わせ怯える者、そして全裸で両手両足を貫かれ柱に括り付けられている少女。これも神は許しているのだろうか。


「そうか……」

 リルヴ族は棄神者である。神在る世界で神を棄てた者達。祖先が神への信仰心を失った理由を、アスライは真に体感した。

 神は弱者を救わない。ならばそんな神は不要。オレが弱者を救う。


「よく分かった」

 言葉を交わしても無駄だった。互いの信念、信仰に、どうしようもない断絶の崖があった。

 理解し合うことはできない。人を人と認めない略奪者に、人として接するのは間違っていた。ここからは獣の時間だ。


「リオネイブ・エレジアン」

 件の人物は、貧相な男と白衣の男の後ろに控えていた。赤い全身鎧の男が、のっそりと前に出てくる。


「父上の、ライデンの首はどこだ?」


「…………」

 視線で火花を散らすアスライとリオネイブに、逃げるチャンスと見た屠殺人めいた者らが、バタバタと出口から外へ出る。


「ふ、ふほほほほっ」

 せせら笑ったのはデベンゾだ。


「蛮族めが、わざわざ父親の首を取り返しに来おったのか? じゃがあの小汚い生首なら、もう皇帝陛下に献上してやったところだわっ!」


「何だと……?」


「ひいっ!」

 怒気と共に睨みつけると、デベンゾはあわあわと腰を抜かす。

 父上の首が皇帝の元にあるのなら、ここで取り戻すことはできない。本当に忌々しい奴らだ。だがそうなら、この城を破壊しても何の憂いもなかった。


「お前たち全員を、この城と共に沈める」


「リオ」


「ハッ」

 リオネイブが鎧を軋ませながら、アスライの正面に降り立つ。


「ディグナ帝国第一級覇将、リオネイブ・エレジアン。次こそ完膚なきまでに殺してやろウ」


「リルヴ族族長、アスライ。家族と同胞の仇、討たせてもらう」

 リオネイブが斧槍を、アスライが大剣を構える。

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