第九章
第43話 嵐の日01
豪雨と暴風が荒れ狂う。嵐であった。
ディグナ帝国南西部、ミロイズ共和国との国境にある守備の要、ビュレイ湖の中央に屹立するエンナラーム城は嵐の中、身を竦めるように跳ね橋を上げ、豪雨と暴風を耐え忍んでいた。
建造一五〇年に渡り不落を保つ堅城の内部では、帝国の兵士らが補修と任務で忙しく働いていた。
「まいったぜ、このクソ嵐にはよっ!」
兵士待機所の扉を乱暴に開けた若い男は、鎧の上から着込んだ合羽から水飛沫を飛ばしながら喚く。
「誰かさんのせいで、こんな時でも敵を見張らなきゃなんねぇっ! なあバンレノさんよっ!」
濡れた体を暖炉の前で温めていたバンレノ・ミハイは、ビクッと若い男へ振り返る。
「い、いや、共和国攻略が失敗したのは、私のせいでは――」
「ああんっ? この俺に口答えしようってのか! 俺は上官だぞっ!」
バンレノは、唇を噛み反論を堪える。
共和国への大規模攻略の失敗で、バンレノはエンナラーム城城主、デベンゾ・トークに階級を剥奪され、最下位の兵卒にまで落とされてしまっていた。今やこの二〇は年少の若い男は、バンレノの上官である。抗弁は許されなかった。
常ならば免除されるほどの悪天候の見回りも、共和国を警戒して行われていた。そのせいで兵士たちの苛立ちの矛先が、バンレノに向けられているのであった。
「い、いえ、申し訳ありません。今度は私が、見回りに行って参ります……」
バンレノは逃げるようにして、待機所から出る。
(ああ……どうして、こんな事になってしまったのだ?)
鎧を叩く雨に打たれながら、バンレノは悲嘆に暮れる。
共和国軍のアドガン要塞総司令官、カーン・ゴイズスに取り入り、兵力を削ぎ情報を集めて要塞を陥落させる。そこまでがバンレノの任務であり、任務は完全に成功した。なのに、
「無能め……プルーブリィの無能のせいで……」
あの偉そうなハゲ達磨め、どんな失策を犯せば、一三万の大軍で負けることができるのか?
「私は何も失敗しておらんぞ……全てはあのハゲ達磨が――」
そうだ、私は何も失敗していないのに……トークの阿呆め、体だけでなく脳みそまで貧相らしい。
「まだだ、まだ私は終わっておらん! ここから、こ…………」
……何だ? 歌? 歌が聞こえる。
雨が城壁を乱打する音に混じり、確かにバンレノの耳に、歌が聞こえてきた。
手で傘を作りながら雨と暗闇で視界の悪い中、音の方向へ目を凝らす。
「――、――、――、――、――、――」
そこに誰かがいた。豪雨の中、天を指差す者が一人。エンナラーム城からビュレイ湖の淵まではかなりの距離があったが、その者が何者か、バンレノが見間違うはずが無かった。
「小僧っ! 貴様あの時の――」
濡れそぼる長い金髪の間から、真紅の瞳がバンレノを見据えた。指がゆっくりと下ろされる。
「【――
その声は隔たっていても、なぜかバンレノにはっきりと届いた。
暗黒の空に、光があった。
雨で足元が泥濘るむ中を、逸る気持ちを抑え歩く。
この日を待っていた。この大嵐が来る日を。
打ち付ける雨が体温を奪い、枝さえ折る風に体を持っていかれそうになりながらも、アスライは一歩一歩前に進む。
帝国兵が、エンナラーム城外に出て巡回することは無い。この悪天候のお陰で目的地まで敵に悟られること無く移動できるのも、アスライにとって好都合であった。
「――♪」
アスライは喉の具合を確認するため声を出す。
この大技をやるのは初めてだ。やれるだろうか?
前に……と思い出そうとして、教えてくれた父の姿が浮かんだ。それが首を落とされた最後と重なる。
この技は、族長になる者ならば絶対に扱えなければならない。リルヴ族の未来を切り開き、始祖の名を冠したこの技は、一族の誇りでもあった。
父の存命のうちに実践することは叶わなかったが、今のリルヴ族の族長は、自分なのだ。
(やれるかではない……やるのだ)
エンナラーム城が射程圏内に入る。アスライは精神を解放するように両腕を広げ、天を指差す。
「【この哀しみは何の咎か? この苦しみは何の咎か? 我ら、咎人なりしや?】」
リルヴ族の祖先は、実験動物だった。【雷】の神授を軍事利用する為に人としての尊厳を奪われた彼らは、自分たちが罪を犯し、罰せられているのではないかと考えた。
「【……否、否! 断じて否!】」
だが非人道的な実験で体と心を壊していく、友と恋人と子供達を前に、到底容認できることではなかった。
「【我ら咎無し。罰せられる謂れ無し。我怒る、我ら怒る。咎無き者を咎める世を憎む】」
何らかの切っ掛けを経て、神授力が爆発的に増加する現象を『発現』という。リルヴという名の一人の少年は、同じ境遇の者達を切っ掛けに『発現』した。
「【我戦わん、我ら戦わん。この世の不条理に抗うための力を示さん】」
ある嵐の日に、ディグナ帝国の実験施設を破壊し脱走。動物から自らの手で『人間』になることを勝ち取り、リルヴ族という一族の始祖となった、英雄が示した力である。
「【見よ、我らが怒りの顕現を――
アスライの指が天からエンナラーム城へ落とされると、空一面の雷雲が瞬き、光無き地上に、神の一撃を彷彿とさせる雷撃が降り注いだ。
時をおき、大気を震わせ齎される轟音。
あらゆる色彩が白に、音が消え、死が訪れたかのように五感が失せる。
目を聾する光が止み、色が戻っても、世界は時が止まったかのような静寂に包まれていた。
……ピキッ。
その音と共に、世界が動き出す。
止んでいた雨がビシャビシャと降り、エンナラーム城からもうもうと白煙が上がる。そして雨音に混じる異音。その出所であろう城壁のひび割れが広がっていき、破裂した。
ジャララララララ――――ッッッ!
城の内部から踊り出たのは巨大な鎖。人間二人分の厚みのある跳ね橋を支える鉄鎖が、接合点を破壊され飛び出したのだ。
うねる鉄鎖が跳ね橋を引き千切りながら湖面を叩き、雲を裂くような水柱を作る。
跳ね橋を湖にバラ撒いたエンナラーム城に、唖然と大口を開けるような空洞が出来る。
「さらに一つ」
アスライが神詞を唱えると、再び落雷が城に落ちる。それが続けざま、三度起こる。
もう一つある帝国側への跳ね橋が、力尽きたかのように陸へと倒れこむ。
「…………なぜだ?」
アスライは初めて【破城大雷】を成功させた喜びの後に、大きな戸惑いが生じていた。
城の二つの跳ね橋を落とした。だが共和国側のは一度だったのに対し、帝国側のは三度も必要だった。急激な威力低下に、アスライは技をどこかで間違えたのかと不安になる。
(いや……そうじゃない)
自らの内の奥の奥に、感じたことの無い違和感があった。そしてその『答え』をはっきりと認識する。
「そうだったのか……」
何もかも水没させるつもりだった。【破城大雷】でエンナラーム城を水没させ、湖の底に瓦礫と共に沈んだトワとライデンの首を取り戻す。そう計画していた。
しかし『答え』を得た今となっては、その方法は不可能だった。そして『答え』によって、新たな方法が思い浮かぶ。
「どうして……オレなんだ?」
『答え』を得たのは、自分だけだという確信がアスライにはあった。
だがこの日、この時、この状況で、この『答え』を得るということに、作為めいたものを感じるのは偶然だろうか?
「なぜだ?」
この世界を創造した神・フォルスへ問い掛ける。しかし沈黙の神は答えず、ただ地上へと雨を齎すのみであった。
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