第42話 レードの決戦10
「ぐひゅっ、ぐひゅひゅひゅひゅ…………」
ミロイズ共和国北東部、ディグナ帝国との国境にある国防の重要拠点アドガン要塞は、現在帝国軍によって占領されていた。その要塞防壁上にて、壮大な景色を見下ろしながら悦に入る男がいた。
名をバンレノ・ミハイ。かつて傭兵集団・『暁の戦士団』を率い、今は亡きカーン・ゴイズス、アドガン要塞総指揮官に取り入り重用された男であった。
彼は帝国からの密計の元、傭兵と偽り共和国に雇われることで兵力の弱体化と情報漏えいに成功していた。アドガン要塞を奪取できたのも、彼の長年に渡る暗躍の成果が大きい。
(これで私の恩賞は思うがまま。まったく笑いが止まらぬわいっ!)
後はオビィ・プルーブリィ一級覇将が共和国を攻略するのをゆるりを待てば良い。自らの未来の輝かしさに、気持ちの悪い笑い声も漏れようというものだ。
「何がそんなに面白いのだ?」
せっかくの良い気分を、何者かが水を指す。
この私に尊大な口をきくのはどこのどいつだ――と睨みつけようとしたバンレノはギョッとする。
闇色の外套と金色の長い髪。前髪の一房と瞳が真紅なのには違和感があるが、その出で立ちは見間違えようがないものだった。
「リ、リルヴ族! なぜここにっ!」
「ほお……オレ達のことを知っているのか?」
マッギオ・サイスクルスの不死兵が、村ごと滅ぼしたはず。生き残りがいたのか! バンレノは声を張り上げる。「誰か! 侵入者だ! 侵入者がいるぞっ!」
金切り声に槍を携えた帝国兵がワラワラと集まってくる。しかし
「スゴイな……。こんなに高い建物に登ったのは、生まれて初めてだ」
と防壁の下を覗いて感動している様子で、槍を突きつけられ囲まれているのを全く意に介していなかった。
(阿呆かコイツは!)
だが見れば随分と若く、また美しかった。
リルヴ族は美男美女が多い一族だが、この若者はとりわけ美しい。捕らえて有力者に献上すれば覚えがめでたくなるに違いない。喉を潰し、両手両足の腱を切れば、いかなリルヴ族といえど家畜のようなものだ。そんな打算をしていたバンレノを、リルヴ族の若者は不快そうな目で見る。
(ああダメだ。コイツは殺さなければならない)
例え喉を潰し両手足を切り落としたとしても、残った歯で敵を噛み殺す。コイツはそんな人種の目だ。残念だが殺す以外にない。
バンレノは己の危機察知力の警鐘に従い、取り囲む兵らに殺害を命じようとする。
「帝国の侵略者どもよ」
静かだが、有無を言わせぬ声だった。
バンレノは怯む。たった一人のリルヴ族が、五〇はいる帝国兵を圧倒していた。
「お前たちに一〇日の猶予を与える。その間に兵を引き、国へ帰れ。今回だけは見逃すことを約束しよう」
若者の頭の貧しさに、バンレノは失笑する。
「なんだ、キミは共和国の使いパシリかね。なぜ我らが引かねばならんのだ? 共和国が帝国に下るのは目前だというのに?」
嘲笑するバンレノに、ドササッと袋が放り投げられる。若者が背負っていた、大きな袋だ。
若者は無言だった。開けろということだろう。
袋からはおぞましい気配がした。しかしそれから目が離せない。兵士の一人に開くよう促し、袋を開けさせる。
「あ……あああああっ!」
兵士が袋から飛び退く。その拍子に中の物が転がり出てきた。
転がり出てきたのは、塩漬けにされた五つの生首であった。それも、
「プ…………プルーブリィ閣下……?」
間違いなく、オビィ・プルーブリィとその幕僚の首だった。
なぜ共和国の首都・ワトブリクの攻略に当たっている彼の首がここにあるのだ? バンレノは、ヒッヒッと過呼吸を起こす。
「帝国軍・一三万は、共和国が打ち倒した。それがその証拠だ」
そう言って若者は、防壁の縁にひらりと飛び乗る。
「大軍を壊滅させたオレ達と戦うか、その首を持って作戦の失敗を報告に帰るかは、お前達の自由だ。だが覚えておけ」
若者は宙に身を躍らせる。その下は三〇メートル下まで何も無い絶壁だ。
「一〇日後、ここにいる者は、一人残らずその首と同じになる」
飛び降りた若者を追い、バンレノは防壁に駆け寄る。彼は体から伸びた幾筋もの光を壁に絡みつかせ、ゆっくりと下降していた。あれがリルヴ族の【雷】の神授か。
「ど、どうすれば…………ヒィッ!」
頭を抱えようとしたとき、積まれていた生首が崩れ、ゴロッと転がってきた。
怨嗟の死に顔を晒すオビィ・プルーブリィが、バンレノを見ていた。
(こ、これはトーク様に報告せねばなるまい! 今は一旦国に帰り、戦力を整えた後打って出る。それが亡くなられたプルーブリィ閣下への弔いとなろう。そうだ、それが良い!)
バンレノは言い訳を捻り出し、腰が抜けたままワタワタと通路を這いずった。
アドガン要塞を占拠していた帝国軍・五〇〇〇は、一〇日も経たずに撤退した。
一〇日の後に騎兵・三〇〇〇を率いてきたスタンリーは、無人となった要塞に驚愕しながらも再占領。ミロイズ共和国は帝国の侵攻を撥ね退け、侵攻以前までの領地を回復したのであった。
「とんでもない大戦果なのに、浮かない顔をしているな?」
アドガン要塞では戦勝の宴が連日連夜くりひろげられていたが、アスライはその輪に加わらず、ずっと空を仰いでいた。そんなアスライを心配し、スタンリーが声をかける。
「オレはまだ、奪われたものを取り返せていない」
失われた同胞の命は帰ってこない。だが父の首ともう一人。この二つは取り返せるはずだ。
「来い。早く」
西の空を恫喝するように睨むアスライに、スタンリーは首を傾げた。
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