第37話 レードの決戦05
日が落ち、夜になった。
撤退した帝国軍は、レードから離れた場所を宿営地と定め、休息をとっている。その陣営ではそこかしこで篝火が焚かれ、歩哨が立ち、警戒に抜かりが無かった。夜襲への対策は十分であった。
「奴ら、狙い通りのところに陣を張りましたね、アスライ様!」
「ああ」
森の中、アスライは斧を持った兵士に首肯する。
ストロキシュ大樹海の端に当たるこの場所から、帝国軍の宿営地は距離をとっている。魔獣を恐れたためだ。一〇万を超える軍を魔獣が襲撃することは滅多に無いが、用心するに越したことはない。その位置は、スタンリーの予測と寸分違わぬところにあった。
いかに帝国軍といえど魔獣は脅威だ。しかし、共和国軍にとっては違った。なぜならこの近辺を縄張りにする魔獣は、アスライの指揮の元、討伐された後だったからだ。ゆえに共和国軍が魔獣の領域であるストロキシュ大樹海に潜伏しているなど、帝国軍は夢にも思わないだろう。
当然仕掛けはそれだけでなく、木片を噛ませ、蹄に布を巻いて音を消した馬と、弓矢を黒塗りにした弓兵、予め倒れる寸前まで切れ目を入れた木々がそこら中に用意されてあった。
アスライは、タタンッと指を弾く。
「倒せ」
「はい!」
斧を構えた兵が、一斉に木へ最後の一振りを入れる。
幹の半分を抉られ自重を支えきれなくなった木は、悲鳴を上げながら勢いを増し、地面に倒れこんだ。
アスライの【電指通信】によって、一〇ヵ所でほとんど同時に行われたそれは、夜の静寂を轟音と地響きによって引き裂いた。
さらに、
「「「【風よ、吹け】!」」」
【風】の神授を持つ共和国兵が気流を生み出し、倒木によって生じた土煙が帝国軍陣営に留まるよう操作する。
「撃て」
アスライが指を弾くと、一〇箇所から矢が放たれる。黒塗りの矢は闇に紛れ、位置が特定され辛くする。そして矢が狙うのは敵兵ではなく篝火。矢に射抜かれ、土に塗れた薪は、明るさを小さくしていく。
魔獣蔓延る大樹海からの騒音と土煙。謎の攻撃によって光を喪失した帝国軍は、届いてくる物音だけで、憐れなほど混乱しているのが聞き取れた。
「行こう」
「「「はっ!」」」
騎乗したアスライは馬腹を蹴り、一〇〇〇の騎兵を率い敵陣へ突撃する。別方向から三ヵ所、計四ヵ所から四〇〇〇の騎兵が帝国軍を襲う。
「ま、魔獣だ! 魔獣の襲撃だ――ッ!」
これを叫んだのは帝国兵ではない。闇夜に紛れ潜ませておいた、共和国の伏兵だ。
虚偽の情報と夜襲の混乱に踊らされた帝国兵は、鎧も剣も帯びず天幕から飛び起きてくる。それを敵陣に達したアスライら四〇〇〇の騎兵が蹂躙する。
真っ暗な森から突撃してきた共和国兵は、土煙の中でもある程度の夜目が保てたが、篝火の明かりの中にいた帝国兵はそうはいかない。
「ぐあっ!」
帝国兵を切り捨てたアスライは、混乱の極みにある陣内を見渡す。
(総大将はどこにいる? 頭を討ち取れば、この戦は終わりだ!)
アスライが最も大きく派手な天幕に目をつけた瞬間、その天幕が燃え上がる。
(何だ? 火をつけろなどと指示は――)
「【掻き乱せ、風よ】!」
その声の後に大量の火の粉が飛び散り、立ち並ぶ天幕が次々に延焼する。
燃え上がる火の手が、暗闇の中から共和国騎兵の姿を明らかにしてしまう。
(これは共和国ではなく、帝国の仕業だ)
アスライがそう察したとき、先ほどと同じ声が耳朶を打つ。
「奴を取り囲めっ!」
グルグル巻きの包帯から若葉色の髪を覗かせる男が、アスライを指差す。逸早く混乱状態から立ち直った帝国兵らが、槍を突きつけ、徐々に数を増やしていく。
そんな彼らの後方で、多数の兵に守られながら逃げていく髭面のハゲ頭が目に入った。護衛の数からして重要人物だろう。できれば討ち取りたいが……
(これは厳しいか)
とアスライの感覚に、シウからの【電指通信】が伝わってくる。
「大将首を取りたかったが……」
察知されてしまえば、一〇万を超える敵に四〇〇〇の騎兵など塵芥に等しい。引き際だ。
「撤退する!」
声を張り上げたアスライは、雷球を空に打ち上げ破裂させることで撤退の合図とする。共和国軍騎兵が四方に散り、速やかに撤退を開始する。
「逃がすな! 追えッ!」
「若! 馬も矢もありませぬっ!」
帝国兵を切り裂きつつ馬を駆るアスライの背に、「クソッ!」と吐き捨てる声が届いた。
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