第35話 レードの決戦03
『進軍せよ! 共和国の青もやしどもに、目にもの見せてやるのだ!』
「「「おお――っ!」」」
大盾を装備した帝国兵・八万が隊列を組み、粛々と進軍する。功を焦り突出する者もいない。兵の練度と部隊長の統率力は高い。
空から雹のように降り注ぐ矢を大盾で防ぐ。防壁の高所から打ち下ろされる矢の弓威は凄まじく、盾の隙間を潜り抜けたものが何名かの脱落者を出したが、大盾自体は持ち堪えていた。品質も上々だ。
「進め進め進めーっ! 己の手で自由を勝ち取るのだ!」
「「「応っ!」」」
ペレウスの檄に部下達が応じる。ペレウスが指揮する第一歩兵部隊・一万は、帝国に併呑され奴隷に落される以前は、フューギン王国の兵士であった。
帝国の皇帝は、戦で軍功を挙げれば奴隷身分からの解放を確約していた。自らと家族を救うため、ペレウス達の士気は並々ならぬものがあった。同様に奴隷で構成される第二~第五歩兵部隊もそうであるに違いなかった。
矢の嵐を耐え切り、空堀へと辿り着く。深いが、傾斜は下れないほどではなかった。
「貴様ら、俺に続けぇっ!」
「お、お待ちくだされ若! 若に遅れをとるなっ!」
ペレウスがいの一番に飛び込むと、バジーも慌てて後を追う。微塵の躊躇もない指揮官の行動に、他の兵らも続く。
(ッ! この匂いは……ッ)
「……若」
「言うな!」
堀の底に達したペレウスは匂いの正体を察するが、もはや兵を止めることは出来ない。
「登れ登れ登れーッ! 敵はすぐ目の前だ!」
部下を前に送りながらペレウスは叱咤する。矢の勢いが増し、被弾する者が散見するようになるが、頑強な大盾を前列に並べその後ろに固まれば、被害を最小限で食い止めることが出来た。
(やはりコイツ等は、張りぼてだ!)
共和国軍は数こそいるものの、個々の力量に大きな開きがあるのは、射出される矢に現れていた。レードの住人を徴発したが、たったの一ヵ月で一人前の兵士に仕立てることは不可能だったのだ。
矢を降らせても、恐れずにじわりじわりと防壁を登っていく帝国兵の形相に慄く者達が出始めてきていた。
ペレウスが脅しを掛けようと口を開いたその時、
「みんなー、ヤならいーぱいあるから、ジャンジャンつかってねー! あ、あっちのがゲンキだよー!」
戦場には似つかわしくない舌足らずな少女の声に、ペレウスは我が耳を疑う。さらに驚くことに、それで恐怖に絡め取られようとしていたレードの住人達が戦意を取り戻した。
声の主は、まだ十代前半の金髪の可憐な少女。だが大男に肩車をされ、そこからニコニコと指示を出している。異様も異様。そしてその指示の的確さのせいで、帝国軍の進行速度が停滞させられていた。
「弓を」
ペレウスは部下から短弓を借り受け、部隊中央から最後尾へと下がる。
(許せとは言わん。恨め。仲間を救うためならどんな汚いこともすると、俺は亡き母に誓ったのだ!)
ペレウスは良心をかなぐり捨て、隙を晒した少女の頭部目掛け矢を放つ。
必中の矢。しかしそれは、見えない障壁に阻まれる。
(ッ! い、【雷】の神授! あの少女も、あの化物と同族か!)
考えてみれば、生き残ったリルヴ族が一人という理由は無かった。そしてこの失敗のせいで、少女がペレウスを見据える、と、瞳を光らせ笑った。
ペレウスはゾワゾワッと、全身の細胞が震えるのを感じる。それは殺意を浴びることによって生じるものとは異なる、初めての感覚だった。得体の知れない何かに見下ろされているような錯覚の中、脳内で無邪気な声が響く。「おいしそうなエモノがいるぞー♪」と。
これがリルヴ族か。笑顔のままの少女の右手にパチパチと光が瞬く、【雷】の神授を使う前兆現象だった。あの落雷のような技を防ぐ手立ては無い。少女の右手が下ろされたとき、自分の命は終わるのだ、とペレウスは悟る。
「やったなー! ミアが……ミアの…………」
少女がハタと止まり、聞き耳を立てるような仕草の後、「むうー」と頬を膨らませる。
「あーん、もお? しょーがないなー」
少女が下の大男を回転させ、後ろを向く。何だ、何をする気だ? ペレウスは、生命の危機は去った、とは微塵も思っていなかった。
「みんなー! アレ、やるよぉー!」
「「「おいさぁ――っ!」」」
(クソ! そう来るか!)
防壁の反対側から複数の男どもが運んできたのは、丸太であった。
帝国軍は、防壁の半分ほどのところまで登ってきている。引き返す時間は無い。ペレウスでもこのタイミングでやる、イヤになるほど的確な判断だった。
どうしてこんな年端もいかない少女が? と余計な思考に時間を費やしている暇は無かった。
「総員、盾を地面に突き刺し、後ろから支えろ! …………来るぞ、耐えろ――ッ!」
ガルンガルンガルン、と丸太が頂上からバウンドしながら斜面を転がり落ち、ガアアアアンッッッ! と大盾を直撃する。
丸太は盾の後ろに小さく固まるいくつかの部隊を巻き込み、乗り上げて、兵士を絡めとりながら堀へと落ちていく。
「今だ! 次が来る前に登れーッ! 近づけば威力が落ちるぞ!」
しかし大声で指示を飛ばすペレウスに悪寒が走る。ピッタリと見つめる者があった。
「あそこにゲンキなコがいるよー! しゅーちゅーこーげきーッ!」
集中攻撃。目をつけられたペレウスを殺そうと、矢の圧力が激増する。丸太のせいで盾を失った者のところから、バタバタと倒れていく。
「耐えろ耐えろ耐えろッ! 俺達が耐えた分だけ、味方が敵に接近できるッ!」
丸太や岩に打ち据えられても、帝国軍は徐々に防壁上の共和国兵との距離を詰めていく。
「むー……ガンバるなあ……。……んにゃ? そっかー、つぎはアレかー」
次だと? というかあの少女は誰と会話しているんだ? 通信系の神授を持つ者が近くにいるのか? だが通信系の神授の発現率は非常に低い。この広い戦場に行き渡らせるほどの人数は用意できないはずだ。考えるも、今ペレウスに出来ることは、急いで斜面を登ることだけだった。
「ヒヤをよういしてー」
ヒヤ? 少女の言葉が上手く変換できないうちに、答えはペレウスの視界に現れた。
(……火矢か!)
防壁上に、火矢を番えた弓兵がズラリと並ぶ。だがオレンジの軌跡を描いて火矢が到達したのは、ペレウスら帝国兵ではなく、その遥か下の空堀だった。
ゴウッ! と爆発するような火柱が空堀の底から吹き上がる。それは瞬く間に伝播していき、炎の壁となった。帝国軍はその壁によって、登攀途中の兵士らと後続とを分断されることになり、退路も断たれてしまう。
(やはりさっきのは油の匂いか! だが構わん! 剣の届くところまで行けば!)
袋のネズミとなったペレウスからすれば、まさに尻に火のついた状態。活路は正面、共和国兵をなぎ倒すしか生き残る術は無い。そんな決死の覚悟を嘲笑うかのように、少女は呑気な声で言う。
「じゃ、つぎー」
その声の後に何かが投げつけられ、ガシャンと盾に当たり壊れる。それがすぐさま、ゴワッと発火する。
(また油か! ほとほと火責めの好きな奴らだ!)
投げつけられたのは油壺だった。しかしこの油がよく燃える。飛沫の油にまで引火し、それを払おうとした手までもが燃える。
油壺が次々に飛んできて、炎に包まれた兵が焼け死ぬ。
「クソッ! もうダメだッ!」
盾兵が盾を離す。大半の油は盾で防いだが、火で熱せられ高温になった盾を持っていられなくなる。己の手が焼け焦げようと盾を持ち続ける者もいたが、そんな献身的な者ばかりではない。
防備を捨てる兵が出だすのを待っていたのだろう、共和国の指揮官から号令が発せられる。
「とつげきだよーっ!」
「ぬっはっはーっ! 待ちくたびれたであります!」
豪快な高笑いと共に現れたのは、兜から赤い髪を覗かせる長身の女だった。手にしている槍は馬上槍だろうか? 馬に乗っているわけでもないのに、なぜそんな無用の長物を? ペレウスの疑念に答えるかのように、女は軽々とその大重量の槍を構えると、声の限り叫ぶ。
「とおぉぉぉぉつげきぃぃぃぃぃぃっっっ!」
「「「ウオオオオオオ――ッッッ!」」」
共和国軍が防壁頂上から、一斉に突撃してくる。
盾を失い、人を失い、炎で焼け焦げた帝国兵に、高所から駆け下りてくる共和国兵を跳ね返す力は残っておらず、次々に隊列を突き崩される。
「ぬおぉりゃああああっ!」
中でも破格の働きをしているのが、馬上槍を操る赤毛の女だ。女が槍を振ると、その威力で人が宙を舞う。
ペレウスはその光景に、一つの格言が思い浮かぶ。曰く――『戦場で女を見たら、それは悪魔である』。
女は戦争に向いていない。背は低く、体重は軽く、力は弱い。しかしこの世界には神授があった。この戦場で暴れまわっているあの赤毛の女は、間違いなく高位の神授使いだ。
(くっ……これはもうダメだ)
女に食い破られた箇所から共和国兵の侵入を許し、隊列が意味を成さない。
後ろでは逃走しだす者も出てきている。だが背を晒せば矢で射抜かれ、それを凌いだとしても空堀から立ち上る炎で逃げ場はない。後退させられ空堀に落ちれば、炎と酸欠であの世行きだ。
ここから立て直すことは不可能。完敗だ。
「チーちゃん! あのシキカン、ヤっちゃってー!」
「チーちゃん言うなであります!」
女が、ペレウスへと突進してくる。
「ペレウス様!」
盾を持った部下が身を挺するが、部下もろとも槍に突き飛ばされる。
「殺ったり!」
「――【掻き乱せ風よ】、足裏!」
ペレウスは、【風】の神授を足の裏に発現させる。爪先を浮かせ指向性を持たせる。
「ぬあああああっ! 目が――ッ!」
突風が発生し、足元の土砂を女の顔面に見舞う。視界を喪失した女に剣を突きこむ。が直前で剣を止める。
シャッ! とペレウスの鼻先を、高速の何かが通過する。
それが飛来した方向には、矢を放った体勢で舌打ちする少年の姿があった。これもまだ十代前半の、トサカ頭の金髪の少年だった。
「リフ、はずしてるー」
「うっせー!」
きゃらきゃらと少女に笑われ、少年は赤面する。一体何人いるんだ、あのリルヴ族とかいうのは? ペレウスは忌々しげに顔を歪めた。
「ペレウス様、撤退を!」
「しかし……」
帝国軍の陣形は、蚕食されたズタボロだったが、プルーブリィからの撤退命令は出されていない。空堀からの炎の壁で、こちらの状況が把握できていないのだろう。でなければ、見捨てられたか。
「ペレウス様、お早く!」「ここは我らに任せてくだせえ!」
部下達が前に立ち、敵の攻勢を防ぎながら言う。自分たちが殿を務めるので逃げろと言うのか。『降伏』という選択肢がペレウスの頭を過ぎるが、却下する。
この緒戦は敗退であるが、最後に勝利するのは帝国だ。帝国は、降伏した兵を許さない。
ペレウスはギリリッと歯軋りする。
「撤退する! ここは任せたぞ!」
ペレウスは殿を残し、少数を率いて退却する。
「おりゃああああっ! ペレウス様をお守りしろぉっ!」「フューギン王国の勇者、ここにありぃっ!」
(すまない……すまない……)
部下らの奮戦を背に、ペレウスは逃げる。噛み締めた唇から血が流れた。
「みんなー、ひとりもにがしちゃダメだよー!」
「先ほどの借り、返させてもらうであります!」
共和国軍が、壊走する帝国軍の掃討にかかる。
「【掻き乱せ風よ】、頭上!」
ペレウスは【風】の神授で頭上からの矢を散らす。
坂を転がるように下ると、立ちはだかるのは空堀の底から吹き上がる炎の壁だ。部下らの足が止まる。ここでまごまごしていては、共和国軍に尻に喰い付かれて終わりだ。
「臆するな! 【掻き乱せ風よ】! 前!」
烈風がペレウスの掌から生じ、炎の壁に穴が開く。
「ぐ…………」
「ペレウス様、お気を確かに!」
フラつく体をバジーに支えられる。三度も神授を行使すれば、優秀な神授の使い手でも神授力が底を付く。レード北門を守る化物のように、長時間使えることの方が異常なのだ。
「あの穴が塞がる前に突破する! 大きく息を吸って、走り越えろ!」
「「「はっ」」」
ペレウスは穴に飛び込む。熱も酸素不足も、【風】の神授の烈風のお陰
で和らいでいた。ペレウスを見て、同じ方法で脱出を図る者がいたが、どれほどが生きて帰れるのか。
帝国軍の被害は甚大であった。
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