第34話 レードの決戦02
帝国軍陣営を、二人の男が歩いていた。
「……爺、いい加減に泣き止め」
ペレウス・ノナ・アドソン・フューギンは、後ろで嗚咽するバジーを諫める。
ペレウスは帝国軍第一奴隷兵部隊兵長である。その補佐官であるバジーがめそめそしていては、能力を疑われてしまう。
「申し訳ありません、若。このバジー、あの少年の熱弁に感涙を止めることができませぬ」
「青臭いことを」
だが一笑にふすことは出来なかった。心打たれたのはペレウスも同様だったからだ。
そうであっても、それが一体なんになる? あらゆる者が皇帝の横暴の前に屈した結果、今があるのだ。強い者が全てを得、弱い者は虐げられる。それがこの世界の摂理だった。
「奴は殺さねばならん。例えどれだけ正しい者であろうとも」
「……ええ。残念なことです」
バジーは丸めていた大きな背を伸ばし、鼻を啜った。
ペレウスは、平地に張られた大天幕の中に入る。内部を見回し、誰もいないことを確認して、長々と嘆息した。
(帝国貴族の『これ』は理解できん)
天幕は、実に煌びやかだった。机は、樹齢数百年の大木を切り出し、艶出しの薬剤を塗っては乾かしを繰り返したのだろう、深みのある見事な色合いをしていた。壁には一流の職人がその生涯を懸けた思われる、雄雄しく織られた帝国の赤獅子の絨毯が一面に飾られていた。並べられた椅子には、それぞれが異なる意匠が凝らされており、嵌め込まれた宝石一つで平民一〇〇人が一年は楽に暮らせるだろう。
優秀な職人や芸術家を抱えるのが貴族のステータスとはいえ、それをわざわざ戦場まで運んできて見せびらかす精神性は、ペレウスの理解の範疇外であった。
奴隷であるペレウスの椅子は当然用意されていないので、天幕の隅にバジー共々立っておく。
天幕の入り口が開き、ドヤドヤと幕僚達が入ってくる。ペレウスのことなど見向きもしない。
ドカッと各々が自分の椅子に座る。鎧で、彫られた鷹の目の部分が削れたが、持ち主はそれどころではないほどに、憤懣やるかたないようだった。
「何たる無礼な小僧だ!」「よりにもよって、皇帝陛下を四歳児などと!」「あの小僧には、この世の地獄を見せてやらねば気が済まん!」
幕僚達は口々にあの金髪の少年を罵り、怒り任せに机を叩く。その度に雄大な河の流れのような年輪が凹み、傷ついていく。それをペレウスは、我がことのように痛みを感じる。
(この、野蛮人どもめ……)
あの机は、素材の希少性ゆえ二つと同じものが作れない。だが美の儚さも、人の生み出す芸術を理解する感受性も持ち合わせていない蛮人は、それを無頓着に傷つける。
帝国がこの地上の全てを治めることになれば、あらゆる美も芸術も、あの机ように傷つき破壊され、消え失せることになる。それは自分の望む世界ではない――いつの間にか帝国を批判している自分に気付き、ペレウスは頭を振った。あの少年の言葉に感化されてしまっている。
「おおっ、プルーブリィ閣下!」
最後に入室してきたオビィ・プルーブリィを、全員が起立して迎える。
天幕の奥、一際豪奢な椅子に腰掛けたオビィは、手で着席を促す。
「では、レード攻略の作戦会議を始めます――」
参謀が状況を説明する。
現在レードには高さ一八メートルの防壁と、同程度の深さの空堀が張り巡らされている。これは一ヵ月前には存在しなかった防備であり、これを可能にしたのは共和国兵のみならず、レードの住人三万人を動員したことによるものだと推測される。さらに三万の住人は戦争に参加する並々ならぬ意思があり、これに正規の共和国兵を加えると、敵戦力は五万五〇〇〇を超えると見られる。
レードは最早街ではなく、要塞である。それが帝国軍参謀部の見解であった。
オビィや幕僚達が忌々しそうに舌打ちするのにペレウスも同感だった。どうやれば一ヵ月で街を要塞化できるのか、想像さえ出来ない。だからこそ不可解な点が一つあった。
「フン! 優秀なモグラどもだと褒めてやらねばならんな! だが所詮、急ごしらえの欠陥品よ。あれを壁と申したが、その実、高さはあれど土を盛っただけの砂山に過ぎん。あんなもの、梯子をかけずとも易々と登れるわ!」
捲くし立てたオビィに、幕僚達が「然り然り」と賛同する。
「そう……上手くいくのでしょうか?」
ペレウスが発言すると、非難の視線が集中する。皇帝の意向といえど、奴隷がこの場に列席していることを不快に思っているのだ。しかし作戦の不備で犠牲になるのは、他ならぬペレウスの部下達である。
「たかが一ヵ月であれほどのものを作り上げるのは並ではありません。だからこそどうしても気になります」
「……申してみよ。貴様の妄言に耳を貸してやろうではないか」
オビィが意見を聞こうとすることを驚く。この男も、不安や気味の悪さをを覚えているのかもしれないと思いながら、ペレウスは頭を下げる。
「感謝いたします。奴らの中には、まず間違いなく天才的な軍略家がおります。だからこそ解せません。あの無防備な一点が」
ペレウスが机上の地図の一点を指差す。そこは土の防壁で囲われたレード唯一の出入り口、北門であった。その北門を、共和国軍は空堀も柵も、障害物一つ無い状態で開門していた。
そこからは街中の建物が丸見えで、兵が配置されている様子もない。ただ一人、黒衣を纏った人物が立っているだけであった。あたかも「ここへ攻めて来い」とでも挑発しているかのように。
オビィはペレウスの懸念を鼻で笑う。
「無知な貴様に教授してやろう。あれは幻惑の策よ」
「幻惑、と言いますと?」
「何か大胆な奇策があると見せかけて、その実無い。相手の不安や疑心に付け込み、時間稼ぎを図るだけの虚仮脅しに過ぎん」
敵の策を喝破したオビィに称賛の声が上がる。
「なるほど!」「さすがはプルーブリィ閣下。帝国屈指の知将であらせられる!」「敵将が臍を噛む姿が目に浮かぶようですぞ!」
幕僚達がやんやと喝采を送る。戦場では将官同士であっても、国に帰れば貴族である。この大戦が終えれば更なる権力を得ることが確実なオビィに取り入ろうと、彼らも必死だ。するとその中から何者かが進み出て、オビィの前に跪く。
「ならばその猿知恵、このザスフが木っ端微塵に打ち砕いてご覧にいれましょうぞ!」
赤の重甲冑のうちに戦意を漲らせるザスフを、オビィは「ふーむ」と眺める。
「よかろう。重装騎兵・三〇〇〇を与える。見事功を挙げてみせよ」
「ははっ、必ずや!」
オビィの決に喜色満面となったザスフは、勇んで天幕を後にする。
(果たしてそうだろうか……?)
ペレウスの疑念は晴れない。あれほどの物を作り上げた者どもが、そんな子供騙しを仕掛けてくるだろうか? しかし総大将たるオビィの決定に、一部隊長であるペレウスが口出しできようはずもない。
矢庭に立ち上がったオビィが、神授を発動する。
『命を下す! ザスフ覇将の騎兵部隊・三〇〇〇が、レード北門の空隙を突破する。その後、全兵力にてレードへ雪崩れ込む。各々、遅れを取る出ないぞ!』
「「「おお――っっっ!」」」
一三万もの声が、雷鳴のように轟く。
オビィ・プルーブリィの神授は【下達】。配下・五〇〇人まで自身の音声を瞬時に伝達することができる。一三万もの大軍を指揮するのに、これほど最適な神授は無かった。
帝国軍が動き出し、レードの前に広がる平野にて整然と横隊を取る。大兵力でも大きく展開するに十分な空間があった。
その最前列に、カッポカッポと馬蹄を響かせながら、馬まで鎧った重装騎兵が進み出る。ザスフの騎兵部隊・三〇〇〇であった。
「行くぞ! 皇帝陛下の威光、我らにあり!」
「「「皇帝陛下、万歳ッ!」」」
槍を掲げたザスフに続き、三〇〇〇の騎兵が連なりながら速度を上げ、何の障害物も無く開かれているレードの北門へと突貫する。
奇妙なことに、矢の届く距離まで達しても、一矢たりとも放たれてこない。
「無能、ここに極まれり! 我らに盾突いたこと、あの世で後悔するがいいっ!」
これがザスフの今生、最後の言葉となった。
ヂカカッ、と目の眩む閃光が奔り、ドオオオオオオンンンッッッ! 臓腑を震わす轟音が轟く。
それは、横に奔った落雷であった。
「忘れたか、戦場で最も有効な神授。それが【雷】であると結論付けたのは、ディグナ帝国(おまえたち)であったことを」
レードの北門にて佇むただ一人の人物――アスライは、迸らせた雷の余韻で両手から白煙を立ち上らせながら呟く。
ディグナ帝国が戦争で最も効果的であると結論したのは、【雷】の神授であった。
【雷】の神授を発現させる者を安定的に確保する為、人を動物のように交配させ誕生したのがリルヴ族である。そしてその末裔たるアスライは戦場にて、帝国の神授研究者達の非凡さと先見の明を証明して見せた。
横殴りの雷に撃たれた重装騎兵は、馬ともども命無き物体と化し、慣性のまま転がる。金属製の鎧兜は雷をよく通し、より広範囲に影響を与えた。これも帝国の研究者のレポート通りの結果であった。
五〇〇を超える騎兵が一瞬で死亡し、その数倍の数の重軽傷者を出す。
「う……うわああああっっっ!」
運よく難を免れた者が、手綱を引き方向転換を図ろうとするが、まだ一〇〇〇を超える馬群の中にあってはそれもままならない。さらにそこは、レード防壁上からの矢の射程範囲であった。
矢が、雨霰と降り注ぐ。重装騎兵であっても、側面や背部の装甲は薄い。矢が馬の尻に突き刺さり落馬する者、そのあと踏み潰される者が続出する。
『ええいっ、ザスフの能無しめが! 殺せ、あの小僧を射殺してしまえっ!』
三〇〇〇の騎兵の内、隊長のザスフを含む半数以上を失ってしまったオビィは喚き散らした。オビィの神授・【下達】は、口にした言葉全てを配下に伝達してしまうため、そのみっともなさも余すことなく伝えてしまう。幸いなのは、それが部隊長に留まっている点だった。
帝国軍が前進し、弓兵部隊が矢を放つ。
レード北門に立つたった一人に、数千もの矢が打ち込まれる。一人きりの少年は、空を埋め尽くす矢の雨を迎え入れるように、悠然と両腕を広げた。
パンッ、パパパパパパパンッ、とけたたましく弾ける音が鳴り、矢があらぬ方向へと逸れる。必殺の意思を込められた矢は一つとして少年に掠ることも無く、地面に散らばった。その様に、帝国軍からどよめきが起きる。
「や、やっぱりリルヴ族だ……」「あの矢逸らしの技、間違いないっ!」「全滅したんじゃなかったのかよっ!」
彼の一族を知る帝国の古強者が動揺する。リルヴ族の脅威は、それほどまでに知れ渡っていた。
『クッ……リルヴ族だと? サイスクルスの奴め、皆殺しにしたのではなかったのか! 話が違うではないか! ど、どうすれば……? む? そ、そうか、確かに!』
誰かの献策に一々頷いているオビィの声が、【下達】を通じてペレウスに聞こえてくる。声は言葉だけでなく、不安や焦りまでも伝えてしまう。オビィは自分の神授の欠点に、少しも気付いていないようだった。
あの少年はこの戦場にて、自身の神授の長所を活用しているが、オビィはというと自身と神授の欠点を明確に晒してしまっていた。同じ人間でこうも違うかと、ペレウスは舌を巻いた。
『良し! 弓兵はそのまま射続けよ! あれなるはリルヴ族の【雷】の神授。なれど神授を無限に保てる者などこの世におらぬ! 力が尽きたときが奴の命運が尽きたときよ!』
合理的な指示だった。オビィは低能だが、その周りの幕僚はそうではない。低能でも高い地位にあるのは、それなりの理由があるのだ。ペレウスはレードからの矢嵐を盾で防ぎながら、状況の推移を見守る。
帝国軍からの矢は、まさに豪雨。少年の頭上に張られた雷の障壁はそれを弾き返しているが、いつまで続けられることか。帝国軍後方の補給部隊から間断なく矢束が届けられ、山のように積まれている。軍事力世界最強の名は伊達ではないのだ。
しかしそれが五分、一〇分と経っても、少年は神授を維持し続けた。それどころか障壁の形状を変化させ矢を後ろに流し、レードの街中に貯まっていくものを運ばせている。それも女子供にだ。これではタダで矢を共和国へ渡しているのと変わらなかった。
『ば、化物が…………。だが奴はたった一人! 一三万の軍勢相手に何ができるものか!』開き直ったオビィが新たな命を発する。『策を変更する! 第一、第二歩兵部隊は北の壁を、第三第四は西を、第五と第六は南、七と八は東の壁を攻略せよ!』
帝国軍は全方位攻撃に切り替える。数で圧倒的に上回るなら、数で押し潰すのが常道。それはオビィも理解していただろうが、攻城戦において騎兵は使いどころが無い。だから北門の空隙に欲が出たのだろう。まんまと罠に嵌められ騎兵部隊二〇〇〇近くを失った。だがまだ騎兵は一万八〇〇〇を残し、槍兵八万と弓兵三万は無傷であった。
さらにオビィ・プルーブリィには、美点が皆無というわけではなかった。その一つが装備品に金を惜しまぬことである。オビィは補給部隊に運搬させていた大盾を、出し惜しみすることなく全軍へ配給した。
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