第八章

第33話 レードの決戦01

 白旗を掲げた帝国軍の騎馬が一騎、レードへ向かってくる。


 弓に矢を番えたリフを、スタンリーが手で制する。「奴さん、何か言いたいことがあるらしい」

 レードの防壁上に並ぶ共和国兵に声が届く位置で、騎馬が停止する。


「我ら、偉大なる皇帝陛下の精鋭なりッ!」

 オオオオオオッ! と槍を突き上げた騎士に応じた一三万の帝国兵の大音声が、ビリビリと大気を震わせる。


「抵抗すること、これ愚の骨頂! この地を死と鮮血に染めたくなくば、速やかに街を明け渡し、英邁なる皇帝陛下の軍門に下れ! さすれば大いなる慈悲の元、諸君らに安らかな未来を約束せん!」

 騎士は高らかに言い放つが、共和国軍は無言。一三万の大軍が威圧しているというのに、恐怖や動揺でうろたえる者は一人としていなかった。逆にうろたえたのは、騎士の方であった。


「わ、我ら、戦端を開かば、一切の容赦無し! 女子供といえど――」


「もういい」

 騎士は、戦争の前口上のため選抜された人物だったのだろう。実に明瞭な声の持ち主だった。しかし、ぞんざいに放たれたその一言は、騎士の最大限の大声など歯牙にもかけず、戦場に響き渡った。


「馬鹿馬鹿しい」

 騎士を言葉で切り捨てたのは、防壁の上で金色の髪を風に晒した少年だった。


「何をしにきたかと黙って見ていれば、嘘八百の三文芝居……時間の無駄だ。帰れ」


「う、嘘ではない! 我ら帝国の威信に掛け、言を違わぬと誓おう!」


「それも嘘だな」

 騎士を見下ろす少年の真紅の瞳が煌めく。


「お前の言葉には真実が無い。人を騙し利を得てきた、卑しさが滲み出ている。約束を守るのというのが嘘なら、皇帝に慈悲があるのも嘘。軍が精鋭であるというのも嘘なら……ほう、皇帝が英邁であるというのも嘘か」

 騎士は二の句が継げなくなる。現皇帝が優れているなどと露とも思っていないことが看破されたからだ。そしてそんなことを明るみにされれば、ディグナ帝国では不敬罪で死刑になる。

 少年は騎士に微笑みかけて言う。「そこだけは正しい」

 恐怖で竦んだ騎士から、少年は帝国軍に相手を移す。


「ディグナ帝国の兵士達よ。お前たちに一つ教えておく――お前達の皇帝は、四歳児だ」


「「「!」」」

 少年の苛烈な声は帝国軍の隅々まで行き渡っているようで、発せられていた威圧に怒気が加わる。一三万人のそれは肌を切り裂かれそうなほどだが、少年は気にも留めない。


「他人の持つものを羨み、力にて奪おうとするは、躾のなされていない四歳児に等しい。しかしどのような幼子も、やがて物事の道理と善悪を理解し、家族の為、仲間の為、社会の為に自らを活かそうとするのが人というもの。だが、お前達の皇帝は違う」

 少年の言葉が熱を帯びる。


「悪しき心を正さず、力に責任が伴うことを知らず、人を傷つけることに痛みを感じず、四歳児の無知と稚心のまま成長することを止めた、世に苦しみと哀しみを撒き散らす悪逆無道の痴愚者、それがディグナ帝国の皇帝だ。

 帝国の兵士達よ、この世界を見よ。我が子を亡くした女を、土地を奪われた男を、辱められた少女を、一人ぼっちの少年を。これがお前の望んだ世界か? 本当にこんな世界がお前の望んだものなのか? お前がこれから成そうとすることは、お前の望んだ世界を創ることに貢献するのか?

 人の知性あらば考えよ。人の心あらば問え。自らが成すべきは四歳児に盲従しオレ達と戦うことか? それとも来た道を戻り、自らの国を善きものに変えることかを!」

 戦場が静まり返る。それだけの力が少年の言葉にはあった。

しかし――――オオオオオッッッ! と帝国軍から一斉に叫び声が上がる。


「「「皇帝陛下万歳ッ! 皇帝陛下万歳ッ! 皇帝陛下万歳ッ!」」」

 言葉は、思いは伝わらなかった。人の知性も良心も容易く権力に屈する、その証左が示されただけであった。


「……残念だ」

 少年は呟いた。


「残念だ」

 少年は、堪えるように瞼を閉じた。

 戦争の幕が上がる。ある者は愛し、ある者は憎む、人からは切っても切れない戦争が。

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