第31話 王者の行進03

 フォルス暦九九〇年五月二六日。(帝国軍襲来まで、残り二三日)


 タージュン・オルドは、ミロイズ共和国・万統の位にある、百戦錬磨の古強者であった。その歳、五九。

 寄る年波には勝てず、六〇を期に身を引こうと決めていた矢先に、ディグナ帝国の侵攻があった。六〇になる一ヵ月前のことであった。


 共和国はアドガン要塞を突破され、最早風前の灯である。仮に首都・ワトブリクを死守したとしても、豊かな農業地帯である北方を帝国に占領されては、以前の権勢を取り戻すことは不可能であろう。

 タージュンは、レードまで一万五〇〇〇の援軍を率いてきた。予定より三日遅れての到着である。

レードの現有戦力は六〇〇〇。合わせても二万一〇〇〇の寡兵で帝国軍一三万と雌雄を決しなければならない。


 共和国政府はレードでの戦争に勝つつもりはない。時間稼ぎをするつもりだ。その間にもう一つの大国であるカド神王国に派兵を促し、帝国軍に兵を退かせるという腹積もりであるが、神王国はより良い条件を引き出す為にギリギリまで決断を先延ばしにするだろう。外交とはそういうものだ。

 タージュンを含む二万一〇〇〇は戦場の露と消える。長年、共和国の兵士として禄を食んできた彼に否はない。一万五〇〇〇のうち半数を占める古参兵も同様だろう。しかし、憐れなのは残り半数の若者達だ。

 彼らのほとんどは孤児達だ。身寄りがないため、戦死しても見舞金を支払わずに済むのだ。彼らが幼少期を過ごしてきた孤児院が国費で賄われていたとはいえ、あまりにも非情であった。

 逃亡兵が出て、数が一万四〇〇〇まで減じてしまったが、無理に引き戻すことは出来なかった。


「ぬう…………?」

 歌だ。歌が聞こえる。

 耳鳴りが幻聴に聞こえるほど耄碌したつもりはないのだが、とタージュンは己の耳を穿り返したが、周りの兵たちも同じような反応をしているので、空耳ではないらしい。

 その歌は、目的地のレードから届いていた。


『はぁあ~、楽しい楽しい♪

 帝ぇ国のあん畜生にぃ、一泡ふかすぞ♪ 一振りぃ二振りぃ♪ ほいっ♪ ほいっ♪

 おらが穴にぃ赤豚落ちりゃあ♪ 煮てやろうか焼いてぇやろうか♪ 

 ほーぅれ♪ ほーぅれ♪ 豚がブヒブヒ、涎ぇダラダラ、汚ねえ顔してやぁてぇ来~るぞ♪ 掘ぅれ掘ぅれ、もっと掘ぅれ♪

 掘~りゃあ一匹、掘~りゃあ二ぃ匹♪ 大漁ぉ~大漁ぉ~♪ 大漁ぉ~祭りだ♪

 おらが神さんに赤豚供えりゃ、みんなが笑ぁて暮らせる日がくら♪ 

はぁあ~、楽しい楽しい♪』


(なんと……ひどい歌だ……)

 タージュンは眩暈がし、やはり自分の耳がおかしくなったかと周りを見回したが、他の兵たちもキツネに抓まれたような顔をしている。どうやらレードの住人たちは、恐怖のあまり集団で発狂してしまっているのかもしれない。

 歌は、レードに近づくにつれ大きくなっていった。だが歌は聞こえど、肝心のレードが見当たらない。


「あれは……何だ?」

 レードのあるべき場所が、茶色い何かに変わっていた。さらに近づくと、それが盛られた土であることが分かる。高さは二メートルと少し。手前に同程度の深さの穴があった。それが街を覆い隠すほど続いている。


(これを、街の全周に?)

 レードは人口三万人を要する街であった。それを囲う壁となると、どれほどの時間と労力が必要になるのか、タージュンには想像もできない。狂気の沙汰とも言えるが、それは現に目の前に存在していた。

 タージュンは全軍を停止させ、自ら空堀の淵まで歩を進ませる。底で、何人もの人がスコップを振るっていた。


「おい、お前達は何をしている?」

 膝を付き尋ねると、穴掘り人たちがスコップを止め、見上げてくる。


「なんだぁ? もう帝国が来たんだべか?」

「バっカ、帝国は赤だろ。あん兵士さんは青いべや」

「あれだべ? 国からの援軍でねえべか?」

 んだんだ、と頷きあう男達の体はさほど鍛えられていない。兵士ではなかった。


(この者達は民か? なぜ兵士でもない者どもらが、空堀作りに当たっている?)

 タージュンが不審に思っていると、男達がスコップを突きながら上がってきた。


「はー、しんど……。おおー! 兵士さんが沢山だべー!」

「『美人』さん、喜ぶどー!」

「『美人』さん、どこ行っただ? 知らせてやらねと!」

「さっき通ったから、そろそろ一周してくるべ」

 んだな! んだんだ。男達は勝手に納得し合っている。


(一周? 何が一周してくるのだ? それに『美人』さんとは一体……?)

 そんなことよりもレードの指揮官に会いたい。どうしてこうなっているのか聞かねば。

タージュンが口を開くよりも先に、男達の一人が、「あ!」と声を上げた。


「来たべ来たべ」「今日もよく上がってるだなぁ」「んだぁ」

 うっとりとした気持ち悪い表情の男達が見つめる先に、何かが吹き上がっていた。それはかなりの速度で近づいてくる。

 堀の底から土の壁へと掛けられているのは、土だろうか? タージュンは我が目を疑う。

スコップ一杯分の土は数キロある。それを堀の底から壁の上、合わせて五メートルの高さへ放り投げるのは、かなりの重労働だ。それを正確に休みなしで行う人間など、タージュンは出会ったことがなかった。


「おぅーい、おぅーい、『美人』さーん! おぅーい!」

 男が呼びかけると、土砂が舞い上がるのが止み、下から何者かが登ってくる。


「『美人』というのは止めろと言うのに」


「あ、すいやせん美……アスライ様」


「様もいらん」

 姿を現したのは、なるほど『美人』だった。金色の髪と長い睫毛に縁取られた真紅の瞳は、顔だけ見れば女かと錯覚してしまうほどだ。しかし半裸の首から下はというと、無駄な贅肉など一欠けらもなく、幼い頃から鍛錬していなければ創り上げられない肉体美の極みであった。

 こいつは何者だと、若々しさと生命力に満ち満ちた筋肉群に魅入られながら思う。


「増援か?」

 アスライと呼ばれた少年は――多分男だ――涼しげな目で尋ねてくる。


「ああ、はい。……申し訳ない、一〇〇〇ほど逃亡し、一万四〇〇〇になってしまいました……」

 自分の三分の一もないだろう若者に、タージュンは自然と敬語になっていた。ストロキシュ大樹海の魔獣の如き迫力が、この少年にはあった。


「ほう、一万四〇〇〇……多いな」

 多い? タージュンはまたも我が耳を疑う。一〇〇〇名も逃がしたのに、多いとは?


「ああ、申し訳ない!」

 別の声に振り向くと、中肉中背の男が走ってきた。共和国の軍服を着た、やや頼りない印象の三〇ほどの男だ。男は敬礼をしてくる。


「レード防衛戦、最高司令官のスタンリー・ラックひゃ……将軍であります」

 言い間違えたらしく、スタンリーとかいう男は言い直した。

確かこの者は、特例で一時的に将軍の地位を与えられたのだったか。元は百統らしい。一気に四階級も特進させられた若い指揮官に、タージュンは大いなる不安を覚えながらも敬礼を返す。


「……タージュン・オルド万統であります。申し訳ありません、一〇〇〇名ほどの逃亡者を許してしまいました」


「ええっ!」

 スタンリーは仰天する。そう。これが普通の反応だ。一三万の大軍相手に圧倒的な不利な状況で――


「たった一〇〇〇名ですか! すごいですね!」

 スタンリーは喜色満面になる。


「三〇〇〇くらいは抜けると覚悟していたのですが、まさか一〇〇〇で済むとは。オルド万統の統率力には感服いたします」

 ニコニコしているスタンリーに、タージュンは激しく困惑する。レードの兵や住人達は、もっと悲壮感に包まれていると予想していたのだが、何なのだこの明るさは?


「スタンリー、こいつらは貰うぞ」


「おう。しっかりと働かせてやってくれ。オルド万統、私達は司令室へ。詳しい話をします」


「……是非ともお願いいたす」

 レードに着いてからというものの、理屈に合わないことが多すぎる。その正体を明らかにしたかった。

 連れてきた一万四〇〇〇の兵らは、鎧兜を脱がされスコップを手渡されている。自分の手にしているものに戸惑いながらも、兵らは堀の底へ潜っていく。


「兵士さん」

 背に声を掛けられ、タージュンは振り向く。レードに着いたときに会話した住人だった。


「さっき、何してるか聞いてきたべ?」

 住人が、民とは思えぬほど精悍な顔つきで笑う。

「おら達は、帝国を倒すための防壁と空堀を掘っているだよ」


 倒すため。

 タージュンは、このレードに死ににきた。その覚悟をしてきた。だが倒す、帝国に勝つことは、微塵も頭になかった。

 住人の笑顔は、タージュンの決死の覚悟を打ち消し、新たな思いを生じさせるに十分だった。人はそれを、希望という。

 レード兵六〇〇〇。避難民六〇〇〇。レードの住人三万。共和国からの援軍一万四〇〇〇。計五万六〇〇〇もの人間による防壁と空堀作りが続けられた。

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