第七章

第29話 王者の行進01

 壮観だった。


 ディグナ帝国軍の、地を埋め尽くすほどの大軍勢。その総数、一三万。槍兵が八万、弓兵が三万、騎兵が二万と、赤い鎧の兵が列を成し進む様は、まさに王者の行進というのに相応しかった。

 アドガン要塞を攻略し、ネアイの砦を占拠。そしてキアンへと向かう、フォルス暦九九〇年、五月一八日のことであった。


(これぞ、大帝国というものよ)

 オビィ・プルーブリィは、馬上で我が身の幸福を噛み締めていた。

この大軍を率い、ミロイズ共和国の首都を占拠せよとの命は、実質共和国の壊滅させることと同義。そのような歴史的大役を任されるのは、男子に生まれたる者の本懐であった。


 あのいけ好かないマッギオ・サイスクルスが、リルヴ族の首魁の首を取ってきたのは忌々しい出来事だったが、そのお陰でこのように大規模な軍事行動が叶うことになったのだから、少しは認めてやらねばなるまい。

 オビィが四六年の人生の中で最も誇らしい気持ちに浸っていた時に、下から声が掛かった。


「プルーブリィ閣下、私の提案を一考していただけたでしょうか?」

 その声に、オビィの気分は台無しになる。見ると、褐色の肌と若葉色の髪をした青年が駆け足で馬に並んできていた。


「くどいぞ、ペレウス」


「しかし、」


「くどい!」

 オビィは一喝する。

 ディグナ帝国の新皇帝は、版図拡大に積極的だった。周辺諸国を次々に屈服させ、そこで得た財貨と奴隷を次の戦場へ惜しみなく投入する。帝国による世界支配を本気で成そうとするその姿勢に、オビィは崇拝に近い感情を抱いている。がしかし、


(貴族たる私に、奴隷如きが意見するなど許されぬ!)

 唯一オビィが承服しかねるのは、例え奴隷であろうと能力さえあれば重用する新制度だった。このペレウスなんじゃらとかいう奴隷も、『奴隷兵長』などという役職を与えられつけあがっている。実に腹立たしいことだった。


「貴様の提案してきた分散進軍は、各個撃破される可能性がある。我らの最終目標は共和国の首都・ワトブリクの陥落にある。皇帝陛下からお預かりした兵を一兵たりとも無駄にはできん。時間をかけてでも戦力を維持し進むのが最上であると理解できんのか!」


「ですが、アドガン要塞を奪った今、共和国の北域に我らに抵抗できる兵力はないとの間諜による調査にあります。ここは敵に防備を固められる暇を与えず、一気呵成に首都まで攻め込むべきかと愚考いたします」

 オビィは「フン」と鼻を鳴らす。奴隷の癖に、随分と流暢にディグナ語を操る。


「まさしく愚者の考えよ。見よ、この帝国の威容を。例え奴らがどのような策を講じようがが、我らの軍勢の前になす術なく蹂躙されるであろうよ!」


「しかし……」

 なおも言い募ろうとするペレウスの横から、兵士が割って入ってくる。


「報告します!」


「うむ」

 これ幸いと、オビィは報告に耳を傾ける。


「共和国は、レードにて軍を集結させている模様。その数、およそ六〇〇〇」


「ブワッハハハハハッ! 六〇〇〇! 物の数ではないな。……しかしレード? はて、そのような砦、あったであろうか?」

 馬速を速めたオビィに、ペレウスは息を切らせながら付いてくる。


「レードは、砦ではなく、近隣の村から物資を集め、アドガン要塞へ輸送する、人口三万ほどの、街、です」


「街か。ならば防衛力など無きに等しいではないか。なぜそのような場所へ軍を?」


「それが、住民を徴発して地面を掘っているようでありまして……。どうやら空堀と土壁を作ろうとしているようです」

 オビィは我が耳を疑い、その後呵呵大笑する。


「くっ…………はははははっ! 堀と壁を? 人口三万の街に? なんと涙ぐましい、一体何年かかることやら! おいペレウスよ。共和国人は計算のやり方も知らぬ能無しであるようだぞ!」


「は……左様で」

 ペレウスは謝意を示す。そのことに満足したオビィは手で追いやる。


「下がれ」

 ペレウスを下がらせ、再びオビィは自らが率いる帝国軍を眺め、悦に入る。


(アドガン要塞のときは、あの薄気味悪い不死兵を使うべしとの命令だったので致し方なかったが、次は必要なかろう。弱国を大軍をもって潰す。このような機会、二度と訪れまい。できるだけゆるりと堪能させてもらうとしようぞ)

 オビィは共和国の首都に、帝国の赤獅子旗を打ち立てるその瞬間を夢想し、鼻を膨らませた。




 一週間後。

 帝国軍一三万は、ネアイの次の砦、キアンを潰し進駐。その最中、斥候からの報告があった。


「報告します。共和国のモグラどもは、懸命に穴を掘っておりますが、まだ人の背丈ほどの高さもないようです」

 当然だった。人口三万人の街の外周が何十キロあると思っているのか。そんなことも理解できないバカども相手では、武人の誇りを満足させることは叶わぬだろう、とオビィは嘆息する。


「ご苦労だった。下がってよい」

 オビィは兵を労い、葡萄酒を楽しむ。




 二週間後。

 帝国軍は魔獣はびこるストロキシュ大樹海を迂回し、二つの砦を手中に治めた。そこで新たな報告が上がった。


「報告します。レードの周囲に人が隠れられるほどの堀と、同程度の高さの土壁が出来上がっております」


「……ほお」

 オビィは初めて共和国人に感心する。奴らはバカだが、穴を掘る才能はあるらしい。ならば一刻も早く鉱山の重労働に就かせ、帝国のために尽くさせてやらねばなるまい。


「引き続き監視に当たれ」


「ハッ」

 兵士が去ると、オビィはレードのことを忘れた。




 三週間後。

 オビィは退屈していた。共和国は一度として攻撃を仕掛けてこなかったからだ。

怯えて家で震えているのか、敵地とは思えない長閑さだった。

 兵士らの間にも緩みが出ており、占拠した町の人間に火をつけて遊んだ不届き者を処罰しなければならなかった。捕えてた共和国人どもは、帝国の働きアリとなる。イタズラに消耗することは許されない。


「ほ、報告します!」

 伝令の兵が、血相を変えて走ってきた。オビィは酒精の回った目を向ける。


「レ、レードの街を囲う堀と壁の高さが、一〇メートルに迫ろうかという勢いで作られているとのことです!」


「……なぁにぃっ?」


「さ、作業する者達が、まるでアリのように行き交い、五万は下らないだろうと……」


「そんなバカなことがあるか! 人口三万の街だぞ! 住人全員が参加しているとでも言うのか! 再度確認せよ!」


「は、ははあっ!」

 赤黒くなったオビィに、兵士が逃げるように走り去った。


(どこのバカだ報告を上げてきたのは。まさか酒でも呑みながら任に当たっているのではなかろうな?)

 このままの行軍速度だと、レードまで後一〇日はかかる。報告が事実なら、一体どんなことになっていることか。


「まさか……いや、あり得ん」

 オビィはひっそりと唇を噛んだ。




 四週間後。

「し、信じられないことに、壁の高さが一五メートルを超えたとのこと……。街が見えず、まるで山のようであると……。三度確認いたしましたが、事実だと言い張っております…………」


「そんなバカなことがあるか! 栄光あるディグナ帝国の軍人とは思えぬ無能ぶり! その愚か者は斬首にしてくれる!」

 幕僚達が居並ぶ中、オビィの怒りを宥めてくれる者はいなかった。


(ええいっ! レードは最早目と鼻の先! この目で確かめてくれる!)

 この三日後、帝国軍一三万は、共和国の街・レードに到着した。


「バ、バカな……こんなバカな…………。私は、夢でも見ているのか…………?」

 一五の時に初陣を飾ってから三一年。戦場で鍛えられた距離感覚が、平地の上に屹立する茶色の塊が二〇メートル近くあることを告げる。そしてその前に、長く深い堀がある。単なる街だったものが、立派な砦へと変貌していた。

 これをたった一ヵ月で作り上げるなど、オビィの長い軍人経験でもありえないことだった。


「来たか」

 金色の髪を棚引かせる少年が、真紅の瞳で一三万の大軍を睥睨する。

「お前たちに、人の力を見せてやろう」

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