第28話 レード04
レードの中央広場。押し詰めた民衆の前に壁のように、青い鎧の共和国兵が整列している。
その後方、突貫で作られた台の上に、スタンリーが登壇する。
共和国の首都・ワトブリクからの援軍が到着するにはあと五日かかるため、残留した統官で最も階級の高いスタンリーが最高指揮官に任命された。
百統という位にあって、五〇〇人ほどを統率するのが常態であったのに、二万一〇〇〇もの兵士達のトップに立つことになった。アドガン要塞から敗走するのに二〇〇〇名を指揮することになったのも非常事態であったのに、その十倍もの人間の命を預かることになるとは夢にも、いや悪夢にも見なかった。
夢なら醒めてくれぇ……と涙目になりながら、スタンリーは壇上で大きく息を吸い込んだ。
「このレードで、対帝国軍防衛戦の総指揮に当たる、スタンリー・ラックひゃ……将軍である」
いつものように『百統』と挨拶しそうになるのを言い直す。戦時特別任官により、スタンリーには『将軍』の地位が与えられた。一時的な措置とはいえ、百統→千統→万統→佐将→将軍と、四階級も昇進してしまった。戦死しても二階級特進止まりであるのに、何の冗談だろう。二回死ねとでも言うのか。スタンリーの背中は汗でビチャビチャであった。
「……スタンリー? 誰だよ? ニゲイルが逃げたってのは本当かよ!」「おいおい、えらい若僧じゃねえか! あんなんで大丈夫か?」「ち、ちょっと待て! 防衛戦って、レードが戦場になるってことか!」
民から上がる不安の声は、半ばパニックに近かった。
(あー……やっぱこうなるわな。こんなんであんなこと言わなきゃならんのか?)
スタンリーは目に入りそうになる汗を拭い、意を決する。
「……聞いてくれ。現在、我らが共和国は、帝国軍に国境を突破され、未曾有の危機的な状況にある。対抗しようにも、圧倒的に兵士の数が足りない。よって――」
スタンリーは壇の下に居るアスライを見遣る。これから言うことは奴の発案だ。あの顔であの声であの話し方で言われると、不可能なことも可能かもしれないと思わされたが、広場に犇めく民衆のあまりの数に、「やっぱ無理」と逃げ出したくなった。が、もう逃げられない。
ええいままよ、とスタンリーは宣言する。
「よって民から――志願兵を募集する!」
ザワついていた民衆の声が止む。ついで起こったのは、鼓膜を聾する怒号の嵐だった。
「ふ、ふざけんなあっ!」「聞いたぞ! 帝国軍は一〇万以上の大軍だってっ!」「そ、そんな数相手に志願なんて、俺たちに死ねってことかあっ!」
予め屈強な兵で壁を作っておいたのだが、民衆の凄まじい圧力に崩されそうになっている。いつ暴動になってもおかしくなかった。
「――――キャンキャンキャンキャンと耳障りな。まるで動物だな」
その呟きは、怒りが渦巻く広場に、一陣の風のように吹き渡った。
「……あ? なんつったアイツ?」「動物だと?」「おい、聞こえたぞそこのお前っ! 隠れてないで顔を見せろっ!」
民衆から怒りの矛先を向けられたアスライは嘆息する。「耳はいいらしい」
アスライは壇上にふわりと跳躍し、誰かが言った通りにフードを跳ね上げる。
露になった顔立ちの美麗さに息を呑む者が続出し、水を打ったかのように民衆が静まり返った。
共和国人が例外なく同じ反応をするので、あえて自らの美貌を利用する真似をしたのだろうが、実に不服そうに眉間に皴を寄せていた。しかしこの人々の心の隙を逃すアスライではない。
「オレはリルヴ族族長のアスライ。共和国と帝国の戦争に加勢することになった」
ぽけーと見蕩れていた人々の中から我に返る者が出始め、口々に騒ぎ出す。
「リルヴ族……? あの『破城』のリルヴ族か?」「じゃあこの戦争、勝てるのね!」「待て、リルヴ族の族長はライデンだろう? あのガキは偽者だ!」
バヂィッ! と雷が弾け、どよめく。広場の誰もが口を噤んだ。
「黙れ。話は終わっていない。人が話している時はきちんと聞くようにと、共和国では躾けられなかったのか」
アスライの威圧的な言動に、民衆は冷雨に打たれたように威勢が無くなる。魔獣を狩って肉を喰らう、森の蛮人として恐れられるリルヴ族の凶暴性は知れ渡っている。
アスライと名乗るこの少年が、無闇に暴力を振るう人間ではないことは、初めてリルヴ族と接する者には想像もつかないことだろうと、この場の発言権を持っていかれたスタンリーは思う。
「オレたちリルヴ族は、帝国に敗北した」その声音は、苦痛に満ちていた。「八〇〇人いた同胞は、皆殺された。残ったのは、ここにいる一七人だけだ」
民衆の視線が、アスライと同じ黒い外套を纏った者達に注がれる。その一六人は、いづれも小さかった。
「オレたちは、親兄弟、同胞、そして故郷を失いここにいる。リルヴ族全てに残虐の限りをつくした帝国軍が、共和国だけに温情を示すはずが無い」
アスライの声は卑怯なまでによく響き、人の心に突き刺さる。彼の胸の内にある哀しみが、絶望が、直接流し込まれたかのように、ここにいる一人一人に暗い哀しみを呼び起こした。
「帝国は強い」
アスライの口調が熱を帯びる。
「帝国の軍勢は一三万を超える。こちらは増援を含めても二万一〇〇〇。その差は圧倒的だ。だがこの男は、あと二万の兵がいれば勝てると言った」
人々の注目が、アスライの後ろにボケッと突っ立っていたスタンリーに集中する。彼は何とか動揺を表に出さないことに成功する。
(ちょ、ま、最低でもそれくらい居れば時間稼ぎになるって意味で……ああっ!)
スタンリーを見る人の目が、畏敬に変わっていた。
もしやあのお方は、我らが共和国の隠れた天才? 見ればまだ三〇くらいなのに将軍に任命されるほど。きっと自分達が知らない名軍略家に違いない。などと人々が勘違いしていくさまを、スタンリーはいま正に目の当たりにしていた。
本当は四階級下の百統なんですよー、ド凡人でーす、と叫びだしたい衝動に駆られる。
「二万」
スタンリーの心の絶叫も知らず、アスライが厳かに言い放つ。
「帝国軍を打ち倒したと子や孫に語り継がれる二万の勇者となるか、恐怖に震え家で小便を漏らしていたその他に入るかは、お前達の自由だ」
アスライは言いたいことだけ言って、スタンリーと交代した。
「志願者は、用意してあるスコップを手にしてくれ」
スタンリーは魂が抜け出してしまったように半笑だった。大丈夫。きっと皆、大軍を前に余裕綽々の大軍師と思ってくれるからさ、と投げやりな気持ちだった。
「俺たちは穴を掘る。帝国に勝つための、デカイ穴だ」
あーあ、『勝つ』って言っちゃったよ。スタンリーは涼しい顔をしている少年を睨みつけるが、当の本人は満足気に笑みを返してくるだけだった。
(もう止められねえ。行くとこまで行くっきゃねえ)
今は帝国軍一三万よりも、目の前で争うようにスコップを取り合うレードの民の方が恐ろしかった。そして、それを創り出したアスライという少年が。
「…………へっ。帝国に勝つなんざ、ムリに決まってらあ」
男が、広場へ繋がる脇道で、熱狂に包まれる群集を馬鹿にしながら唾を吐いた。
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