第27話 レード03

 幸いというべきか、チチリーはナマルの同期であったため、レードの通行がかなった。


 が、「それならそうと、早く言うであります」とチチリーに殴られ、「何で早く言わなかったんだよ」とスタンリーに殴られ、「ひどい、二人ともひどいッス!」とナマルはむせび泣くことになった。

 ともあれ、レードの軍司令室において現状を把握したスタンリーは、絶望した。


「あり得ない……。マジであり得ない…………」

 上級将校の逃亡。それだけでも重大事態であるのに、ニゲイル佐将だけではなく、兵を率いるべき統官までもがごっそりと逃げだしていた。

 その結果、またも最上位の階級がスタンリーになってしまっていた。末期であった。スタンリーが白目を剥き、泡を吹きそうになっているのも無理からぬことであった。


「敵前逃亡は、死刑なんじゃなかったんスか?」


「……賄賂を握らせりゃ、罰金と降格で刑を減免できるんだよ。大金だがな」


「世の中、金ッスね……」

 帝国兵一三万に皆殺しにされれば、罰金もクソもない。ある意味、機を読むに敏といえなくもなかった。残された方にすれば大迷惑であるが。


「お前は、なぜ逃げなかった?」

 アスライが、不動の姿勢を崩さないチチリーに問う。チチリーが、きょとんとした顔で答える。


「小官は孤児ゆえ、他に行くところが無いのであります。レードに居残った者には、そのような境遇の者が多くいるのであります」

 戦争や魔獣の被害で親を亡くし、食い扶持を稼ぐため兵士になることは、共和国ではざらだった。


「そういうことか」

 アスライは得心し、机の上で溶けた氷のようになっているスタンリーを見遣る。


「良かったではないか」


「なにがだー」

 スタンリーがふて腐れて聞き返してくる。


「ここにはもう、戦場で逃げ出す腰抜けはいない、ということだ」

 窮地だったが、追い詰められるほど力を発揮するのは、人でも獣でも変わりない。


「……帝国と戦えるだけの兵力と、指揮官もいないんだけどな……」

 スタンリーは「へっ」と笑い、お手上げのポーズを取る。


「……ずっと気になっていたのでありますが、この頭の天辺から爪先まで真っ黒けっけな者たちは、一体何者でありましょう?」

 チチリーが不信感を隠そうともしないで、アスライ達を指差す。確かに名乗りもせず、頭からフードを被って顔を隠す一七人を怪しいと思わないわけがなかった。

 アスライはフードを脱ぐ。 


「失礼した。オレの名はアスライ。リ、」


「ふおおおおおっっっ! すっっっごい美少女であります! あやや、金髪の美少女と美少年がこんなに沢山っ! ……あや? 少女? 少年? ん? どっちでありますか?」

 フードを外したアスライとリルヴ族の子供達に大興奮したチチリーだったが、よくよくアスライの風貌を見るに、性別が判定できなくなり盛んに首を捻る。


「スタンリー、悩んでいるのは何だ?」

 相手をするだけ無駄と判断し、アスライは話を進める。


「あん? ……ウチと帝国の兵力差が、」


「コラーッ! 小官を無視するなであります! この美少、……美、び? あー分からんで…………あびゃあああああああ――――っっっ!」

 アスライが手から雷を放ち、チチリーを感電させる。チチリーは「きゅう……」と沈黙。これにナマルがブルブルと恐怖する。


「うるさい」

 アスライは冷淡だ。コンプレックスの女顔を刺激する者に、優しさは不要。


「おいおい、大丈夫かよ?」

 スタンリーは心配を口にするが、表情には表れていなかった。彼も「うるさい」と思っていたのだろう。


「気絶させただけだ」


「ならいいか」

 あっさりと終わらせる。

 司令室の大机の上にレード周辺の地図を広げ、その北方の平野に帝国軍に見立てた赤の駒を配置する。


「帝国軍の総数はざっと一三万。占領したアドガン要塞にいくらか置いてきてくれりゃあいいが、期待薄だな」

 帝国領内から、新たな人員が補充されるに違いなかった。


「で、こっちは俺の連れてきた二〇〇〇とレードに残留した兵力が……」

 スタンリーが「しまった」という顔をする。レードの最高責任者が逃亡したことに驚き、その他の情報を何も聞いていなかったことを思い出したのだ。

 レードの軍関係者はこの場にチチリーしかおらず、そのチチリーも気絶させてしまった。誰か別の人間を呼んでこなければと、ついチチリーに目をやるが、そこに彼女の姿は無かった。


「ニゲイル佐将と一緒に逃げたのが一〇〇〇くらいでありますから、残った四〇〇〇と遇わせて六〇〇〇でありますかー」

 香ばしい匂いをさせながらスタンリーの横に立ち、共和国軍に見立てた六〇〇〇人分の青い駒をレードに置くチチリー。それにギョッとしたのは、スタンリーよりもアスライの方が大きかった。目を見開いている両者に、チチリーがニカッと笑う。


「小官、体だけは丈夫なのであります!」


「…………」

 アスライのまん丸になっていた目が、スッと細められる。


「ノォッ! もうビリビリはイヤなのであります!」


「試そうとするな、アスライ。あーと、チシ……シリ……なんだ、他の情報は?」

 アスライを止めるも、チチリーの名前を覚えておらず、スタンリーはモゴモゴする。


「はっ! チチリー・パルーシ上級兵であります、スタンリー・ラック百統殿! 『通授官』からの報告によりますと、帝国軍は四日前、一三万の軍勢でアドガン要塞を出立。二日前にネアンを占拠したとのことであります」

 『通授官』とは、遠方でも情報を伝達できるような神授を持って生まれた者がつく役職のことである。軍の砦などに最低一人はいて、神授を通じ情報を伝えてくれる。

 帝国軍に張り付いて動向をつぶさに知ることができるなら、これ以上無い光明といえた。


「ありがたい。なら今頃、キアンは落ちているか……」


「いえ、未だネアイに留まっているようなのであります」


「なんだと?」

 スタンリーが詳細を話すよう促す。


「帝国軍は周辺の村々で略奪を働いた後、自国からの補給物資を受け取りながら、ネアイに待機しているそうであります」


「補給を受けている……?」

 腕を組んだスタンリーは、長い時間を沈思黙考した。


「どうした、考え込んで?」


「いや……敵の指揮官の考えが読めん」


「なぜだ?」

 スタンリーはアスライに向き直る。


「もし俺が帝国の指揮官なら、アドガン要塞を抜いたら時間をかけずに、首都・ワトブリクへ攻め込む」

 その発言に、アスライのみならずその場の人間全てが驚愕する。


「できるのか? 共和国で最も重要な場所だろう?」

 スタンリーは無念そうに頷く。


「出来る。出来てしまう。ワトブリクまでの経路は農業地帯や鉱山町ばかりで、軍事施設が少ない。兵数三万もあれば、一ヵ月で首都は落せる」


「バカなのか、共和国人は?」


「あー、違う違う。勘違いするな。元々は取られていたんだ、対策。それが無くなってしまったんだ」


「ゴイズス将軍のせいッスね」ナマルが、どこからかくすねて来た干し肉を齧りながら言う。「将軍の立てた軍事費削減策で、軍の施設を廃棄して人員をバコバコ切り捨てて、国の財政を立て直したんスけど、それが今となっちゃあ、裏目っちまったんスね。そういやあのデカッ鼻、どうなったんスかね?」

 ナマルが問うが、皆肩をすくめるばかりで興味がない様子であった。

ちなみにカーン・ゴイズス将軍は魔獣に殺され死亡している。アスライはその現場を直接見ているが、カーンであることは知らない。


「つまり、金を惜しんで国の守りを弱体化させ、そのせいで国自体が無くなろうとしている、ということか?」

 アスライの指摘に、共和国の軍人達が痛いところを突かれて押し黙る。


「話を戻そう。帝国指揮官はワトブリクまでの防備が手薄なのにも関わらず、入り口でモタモタしている。それはなぜだ?」

 いつの間にかアスライが場を仕切っているが、それについては誰も文句を言わない。皆が口をへの字にする中、「はーい!」と元気な声で挙手があった。


「テーコクは、そのことをしらないんだよ!」

 ミアが胸を張って発言するのに場が和む。チチリーが、「可愛い、あの子も可愛いでありますっ」と興奮する。


「帝国の諜報がそんなに無能だと、俺ぁとーても嬉しいね」

 スタンリーがヒラヒラと手を振ると、バカにされたと思ったミアが、「むー」と頬を膨らませる。


「はい」

 発言を求めたのはシウだ。アスライは頷き、許可を出す。


「軍を分散させた後、個別に攻撃されるのを警戒しているのでは? それに一三万もの大軍です。補給を十分に確保してから敵地を進もうとするのは理解できます」


「おい、あの子供、お前より軍人らしいこと言ってるぞ?」


「お、おいらだって同じこと考えてたッスよ! 先に言われちゃっただけッス!」

 目を泳がせながらナマルが反論する。スタンリーはシウに顔を向ける。


「さっきの話とも繋がるが、帝国の諜報が無能でないなら、分散した部隊を叩く兵力がすぐに集められないのも知られているだろうし、もし補給線を断ったとしても通り道は農業地帯で食い物は売るほど実っている。帝国兵が飢えることはないだろうな」


「なるほど……勉強になります」

 シウが微笑み、意見を下げる。


「ほんとに子供か? どっかの誰かとは大違いだ」


「それ、おいらのことじゃないッスよね?」

 スタンリーが鼻で笑う。


「否定ばかりしているが、お前はどう思っているんだ?」

 アスライに振られ、スタンリーはガリガリと頭を掻く。


「……分からん! 最悪、騎兵部隊が既にレードで交戦していることも予想していたが、ネアイに留まっているなんて想像の範囲外だ。こちらに時間を与える帝国側の利点は何だ? 示威行為? 降伏を促す? 離反を誘う? だが反撃体勢を整えさせることを上回るほどのものか? あ~! 分からんッ!」


「百統、ハゲるッスよ」


「やっかましいっ!」

 と叫びつつも、スタンリーは頭を掻くことを止める。


「分からないことを考えるのは無駄だ」アスライは冷静だった。「もし帝国がこのままの速度で進軍してくるとしたら、レードに到達するのはいつになる?」


「……約、一ヵ月といったところだろう。無論、奴らが進軍速度を速めれば変わってくるが」


「では、この一ヵ月の間、オレ達は何をすべきだ?」

 スタンリーは腕組みをし、天井を睨む。


「まず……ワトブリクに援軍を要請。指揮官の選定、防壁の構築、堀も必要だ。槍と弓、防具。ああ、兵糧の確認もしないと。その上でどんな戦術をとれるかだが……」

 スタンリーはブツブツ呟きながら頭を整理している。


「帝国は一三万……援軍は一〇万、は無理にしても、六万は欲しいな……」

 それでも敵の半分以下だが。


「あ。ワトブリクからの援軍は、一万五〇〇〇とのことであります」


「…………は?」

 チチリーの一言に、やっと回り始めたスタンリーの脳が、またもや停止する。


「え? そ、…………一万五〇〇〇? たったそれだけで、一三万と戦えと?」


「小官に言われましても」


「……そうだな、すまん」

 言葉を無くしているスタンリーに、スススッとナマルが擦り寄る。


「百統、いくら持ってるッスか?」


「……言っとくが、俺らの安月給で払える金額じゃねえぞ」

 賄賂で死刑を逃れようとしたナマルが、それが叶わないことを知り天を仰ぐ。


「貧乏って絶望ッスね……。それに統官になっても給金が大したことないってことに、二重に絶望ッス……」

 どんよりと暗い雰囲気になるスタンリー達を、アスライは不思議に思う。


「何をそんなに落ち込んでいる?」


「聞いてただろう? どうやら俺らは一三万の敵に対し、援軍と合わせて二万一〇〇〇で迎え撃たなきゃならんらしい」


「そうらしいな」アスライは首肯する。「勝てないのか?」


「こいつ、バッカじゃねえッスか? どんだけの戦力差が、あヒィッ!」

 アスライに一睨みされ、ナマルはスタンリーの後ろに逃げ隠れる。ポリポリと頬を掻きながら、スタンリーは口を開いた。


「あー……、よく言われることだが、篭城する相手を攻略するには三倍の兵力が必要となる。現状、帝国軍はこちらの六倍。しかもレードには篭る城も防壁さえも無いときてる。この様で希望を持つのは、中々厳しい」


「人がいて、壁があれば勝てるのか?」

 アスライは事も無げに、スタンリーに問い掛ける。


「そりゃあもっと人がいて、高い壁がありゃあ戦えるが……」


「人はどれほどいる?」


「そうだな……あと三万、いや二万いて、壁が一〇メートルもあれば……だがどうする気だ?」


「人なら、あそこにいる」

 アスライは司令室の窓の外へ顎をしゃくる。そこからは、レードの入り口で兵士らと口論になっている多くの人々が見えていた。


「あれは避難民だぞ? 近くの村から逃げてきた一般市民だ」


「一ヵ月で兵士にすればいい」

 無知を晒すアスライを、共和国の正規兵であるスタンリー達は冷ややかに見る。


「たった一ヵ月で兵士にするのは不可能であります」


「そーだそーだ! 兵士なめんな……ヒィッ!」

 ナマルは同じように睨まれ、今度はチチリーの後ろに隠れる。


「何も槍を持って突撃しろとは言っていない。訓練を受けておらずとも、石を投げる、矢を運ぶ、負傷者を回収するなど、戦闘以外にやれることはいくらでもある」


「それはそうだが……」

 スタンリーからはありありと不安が滲み出ていた。だがアスライは気にも留めない。


「リルヴの教えにこうある。『狩りが成功するかどうかは、準備で決まる』と。早速、準備を始めよう」

 自信に満ち満ちているアスライに、誰も反対しようとはしなかった。

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