第26話 レード02

 翌日。フォルス暦九九〇年、五月一八日。


「うおおおおおっ! 森を抜けたぞーっ!」「見ろ、レードの街だーっ!」「俺はまだ生きてるぞぉーっ!」


 共和国兵らが喜びのあまり、我を忘れ駆け出していく。


「おい、ここから走っても……って、聞いちゃいねえか」


 スタンリーが溜息をつく。

 アスライとスタンリーのいる場所からだと、レードの街は米粒ほどの大きさしかなかった。こんな所から走っても、途中で息切れするのが関の山だ。


(だが、分からないでもない)


 一〇日間、魔獣の蔓延るストロキシュ大樹海にいたのだ。水、食糧、眠る為の夜間警戒などはアスライたちリルヴ族が担当していたが、満足に眠ることは難しかっただろう。脅威から解放されてはしゃぐ部下達を諫める気は、指揮官のスタンリーにも無いようだった。


「うーん……こりゃ、マズイな」

 スタンリーが、長くなった無精ひげをジョリジョリと擦っている。真似してみたが自分の顎はツルツルで、ヒゲの一本すら生えていなかった。アスライは羨ましくなる。


「マズイ? 何がだ?」


「レードは、国内からアドガン要塞へ人や物資を輸送する中継地だ。帝国軍が首都・ワトブリクへ進攻するのに、必ずここを通らねばならないんだが……広い」

 スタンリーが地形を見渡し、ガリガリと頭を掻く。


「レードの東にはストロキシュ大樹海。西にはニウト川がある。ニウト川の水深はかなり深く、渡河はできん。が、見ての通り、森と川の間には広い平地が広がっている。一三万の大軍が横に広がり、レードを包み込む為には十分すぎる広さがな」


「戦場を変えるか?」


「そうしたいのは山々だが、レードの先にある軍の拠点は離れすぎていて連携がとれねえ。拠点を守ろうとすれば、帝国軍に好き勝手に略奪されまくって、人々は奴隷にされ、共和国は終わる」


「……共和国が、そんなに弱いとは思わなかった」


「耳が痛いねえ」

 スタンリーが力無く笑う。


「俺らは、アドガン要塞が落ちるなんて考えもしなかった。二〇〇年も帝国の攻勢から守ってくれていたんだ。それが永遠に続くとは思わないまでも、今ではないと思うのは、人間の性ってやつじゃねえかな?」


「だが落ちた」


「…………」

 スタンリーは黙りこくる。


「共和国軍はここで、帝国軍・一三万と戦う。勝算は?」

 スタミナ切れを起こし、へたばっている共和国兵たちを追い抜く。


「…………俺はこいつらに、死ねと命じなきゃならねえ」

 顔を歪ませ、スタンリーは血が滲むほど唇を噛んでいる。

 軍人でないアスライに軍略は分からない。だがスタンリーの思い描いていることは何となく分かった。


 スタンリーが行おうとしていることは時間稼ぎだろう。帝国軍・一三万に対し、共和国軍は半分の六万も集められるのかどうか。さらにレードのあるのは強固な防壁ではなく、少し工夫すれば跳び越えられそうな壁のみのようだ。これで勝とうなどとは到底思えまい。


 故にどうにかして時間を稼ぎ、もう一つの大国であるカド神王国と交渉し、援軍を送ってもらうかディグナ帝国を攻めてもらう。そうすれば帝国も兵を引かざるを得ない。交渉の時間を稼ぐ為に死ぬのは、無駄死にではない。そんなところだろう。


「生きるのを諦めるな」


 スタンリーがハッとする。


「良い言葉だ。言ったのは誰だ?」


 スタンリーが嫌そうな顔のまま赤面する。


「生きるのを最後まで諦めてはならない。お前は、彼らの長なのだから」

 そう言ってアスライはスタンリーを置いていく。残されたスタンリーは頭を振る。


「……あーあ。年下に諭されちまったよ」

 首をグキグキと鳴らし、スタンリーは笑う。

「ま、最後まで足掻いてみますか。死ぬのはいつでもできるしな」


 空を見上げて伸びをする。とても澄んだ青空だった。


「――――ふなああああああっっっ!」


 突然の奇声に、スタンリーがビクッとなる。


「寄るな寄るな寄るな寄るなーでありますっ!」


「な、何だありゃあ?」


 アスライが遠くから眺めていると、スタンリーに問われる。が、分かるわけがなく肩を竦めた。


 レードの門で赤い髪の兵士が槍を振り回している。スタンリーの部下ではない。槍を突きつけられ怯んでいるのが部下達だ。


「レードの街は、このチチリー・パルーシが守るであります! ここを通りたくば、小官を倒してからにするでありますよ!」


 よく見ると女だった。女は険しい剣幕でスタンリーの部下を追い払っていた。


 女は、共和国軍の青い鎧を着ていた。なぜか同じ共和国軍の兵士が、自軍の兵士に敵意を剥き出しにしている。


「なんだあのバカはっ!」スタンリーが走る。「待て待て待て! よく見ろ、俺たちは味方だ!」


 女が槍を止め、鼻面に皴を寄せる。


「みかた……? むむむ、確かに同じ共和国軍の装備であります」


 汚れてはいるが、鎧兜の色形は共和国軍のものだ。


「……ハッ! さては味方に扮した帝国兵でありますね! 騙されないでありますよ! 尋常にそこへなおるであります!」


「こんなボロボロでやつれた帝国兵がいるかあっ! もういい、お前じゃ話にならん! 一番偉い将校を呼んで来いっ!」


 スタンリーが青筋を浮かべ怒鳴る。苦労してレードに辿り着いてこの出迎えでは、無理もなかった。


「逃げたであります」


「……………………は?」

 パカッとスタンリーの口が開く。


「アドガン要塞陥落の報を受けたあくる日、この街を統轄していたニゲイル・ラーウェイ佐将は、家族もろとも行方不明。逃げたのでありましょう。この危機に誰も指揮を取りたがらないので、偉い将校など一人もいないのであります」


「……………………」


「ひゃ、百統っ!」

 スタンリーが蒼白になり、倒れそうになるのを周りの部下に支えられる。赤から青へ、人間が目まぐるしい速さで変色するのに、アスライは感心した。


「だからここを通りたくば、小官を倒してからにするでありますよ!」

 最初に戻ったな。アスライは冷めた目をした。

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