第六章

第25話 レード01

 豊かな敗走だった。


 二〇〇〇人もの部下を引き連れての敗走に『豊か』などという言葉をつけるとは夢にも思わなかったが、そう形容するしかないのが実情だった。


 スタンリーが戦争で敗走するのは初体験だが、その悲惨さは軍人なら誰もが耳にしている。敵に背中から刺され、道に迷い魔獣に喰われ、泥水を啜り病になり、味方同士で食糧を奪い合い、最後には死体で飢えを満たす……。それが先輩方から聞いた敗走だったのだが……


「はい、おじさん。どぞー」


 スタンリーはハッと顔を上げる。金色の髪と瞳をした愛らしくも可憐な少女が、串に刺した肉を載せた葉を差し出していた。狩った魔獣の肉だ。


 リルヴ族はストロキシュ大樹海を知り尽くしていた。清潔な水と食べられる果実や野草、安全に眠れる寝床。二〇〇〇人の共和国兵が一人として欠けることなく、怪我を負った者さえ自らの足で歩けるほどに回復したのは、彼らのお陰だった。


「どうもありがとう」


「はーい」


 花が咲いたように笑う少女は、確かミアといったか。どこか無理をしているように見えるのは、思い違いだろうか。


 リルヴ族。一族全員が【雷】の神授を使う、ストロキシュ大樹海に生きる強者たち。戦場で天下無双の力を振るう彼らが、ここにいる一七人を残し、壊滅した。あのライデンまでもが死んだなどとは到底信じられないことだが、彼の息子で、族長の地位を継いだアスライという少年の言を疑うことはできなかった。


 一七人は子供ばかり。最年長で族長のアスライでさえ、まだ一八だそうだ。だが強い。


 移動を開始して九日。日中に森を進み、魔獣を避けながら水や果実を得、時に魔獣を狩り肉とした。子供といえど侮れない強さの持ち主たちだった。それに、


「ミアちゃーん。もっとお肉ほしいよー」


「しょうがないでしょー? こんなにいっぱいなんだからー。ガマンしなさーいっ」


「ごめんねミアちゃーん。でへへへへっ」


「ミアちゃーんっ」


「はいはい。もー、うるさいなぁ~」


 デレデレと、先ほどのミアという少女に部下達が鼻の下を伸ばしていた。


リルヴ族は、女だけでなく男でさえもやたらに美しい。ことにここにいる少女ら八人は、妖精かと見紛うばかりだ。しかしまだ十代前半の女の子に、いい年した男どもが腰砕けになっているのはみっともないことこの上ない。


 それだけならばまだしも、少年らにも熱くねばつくような視線を送っている者がチラホラと見受けられるのは、何かの間違いだと信じたかった。


(ああ……苦労して鍛えたのになあ……)


 あのロリコンたち、俺の部下なんだぜ? スタンリーは涙を浮かべずにはいられなかった。


「どうした、浮かない顔だが?」


(ああ……来たよ)


 やってきた少年に、スタンリーは動揺する。美形ぞろいのリルヴ族だが、その中にあってこのアスライという少年は別格だった。


 陽光のような柔らかな色合いの髪は長く、一房だけ夕焼け色の前髪が目を惹きつける。真紅の瞳は宝石のようで心を落ち着かなくさせられるが、微笑まれれば容易く魅了されてしまう。創造神・フォルスが美の何たるかを知らしめるため遣わせたような、危険極まりない少年だった。


 アスライが隣に座る。男の癖にいい匂いがするのはなぜなんだ。スタンリーは口で呼吸をする。


「どうした、変な顔をして?」


 アスライが、痺れる美声で聞いてきた。


「生まれつきなんだ」


「そうなのか? 大変だな……」


 ドギマギしないようスタンリーが編み出した技が、寄り目にしてこの美少年をまともに見ない方法だった。


気のせい気のせい。きっと女日照りだから、ちょっと可笑しくなっているだけさ。スタンリーは自分に言い聞かせる。


「ほら」


「お、おお、ありがとう。……ぶわっ」


 アスライが手渡してくれた果実に齧り付くと、顔面が汁塗れになる。


「ハハッ。共和国人はジュルの実の飲み方も知らないのか。こうだ」


 アスライは無邪気に笑い、ジュルの実のへたを外すと、そこに口をつけ一気に呷る。口の端から汁が零れ、以外に立派な喉仏が動くのが妙に色っぽい。


(まいったなあ……。この年で、そっちに目覚めたくはねえぜ……)


 スタンリーは邪念を振り払い、ジュルの実を呷る。


「彼らは、問題ないようだ」


「……彼ら? ああ」


 アスライは、あの死なない帝国兵に引っ掛かれたり噛まれたりした者を気に掛けていた。


自ら不寝番をし、異常が現れないか見張るほどの念の入り様だ。幸いにも異常は出ず、順調に回復しつつあった。


「なあ……あの死なない兵士、不死兵ってな、何なんだ?」


「…………」


 アスライは答えなかった。何か知っている様子だったのだが。


「揚げナババいかがッスかー?」


 ナマルが素揚げしたナババを勧めてくる。ナババは木の上に生る芋のような果実で、油で揚げると甘味が増して美味い。


「いただこう」アスライが、カラッと揚がったナババを口に入れる。「うん、美味い」


 ナマルが、ナババを食べるアスライに恍惚としていて気色悪かった。


「俺はいいや……」


 スタンリーは断る。ナマルの神授は【油】。油を生み出す神授で、よく燃え食用にもなるのだが、ナマルの手から出た油だと知っているので口に入れたくはなかった。揚げナババに喜んでいるのはリルヴ族だけで、共和国の兵士はほとんどいない。


「一つ質問がある」


「あん?」


 アスライがモグモグしながら、ナババを配り歩くナマルに視線を向けている。


「なぜアイツを傍に置く? わざわざ重用するほどの人物には思えないが?」


「ハハッ。ひどい言われようだな、ナマルの奴。まー、庇えねえけど」


 スタンリーは茶化すが、アスライの面持ちは真剣だった。コリコリと頬を掻く。


「あー……。ナマルには一つ良い所があってな。それはすぐに文句を言うところだ。訓練がキツければ文句を言い、飯が不味ければ文句を言い、ベッドが硬ければ文句を言う。……あー分かるぞ。それは悪いところだろうと言いたいんだろ?」


 アスライの眉間に皴が寄る前に、先んじて心情を推察する。


「ま、軍人ならそういったことは耐えるのが当然だわな。でもナマルが辛いって言うときは、口には出さないだけで全員辛いと感じているし、逃げたいって言うときは全員逃げたいって思ってるんだよ本当は」


「ほう……」


「だから俺ぁ、ナマルを説得できれば全員を説得できるし、出来ないときは出来ないって考えている。アイツは、部下たち全員の心の声を代弁しているんだよ」


「あの男が……」


 当の本人は、ミアにしつこくナババを薦め、「しつこーい!」とひっぱたかれている。


「まーあのバカは、そんな大それたこと考えちゃあいねえだろうけどな」


「なるほど」


 腑に落ちたらしきアスライの視線がチクチク刺さり、スタンリーは尻がモゾモゾする。


「よ、予定では、明日にはレードに着くって話だったが?」


 寄り目になりながらアスライに問う。


「ああ。明日の昼にはレードに到着する。それからはどうする?」


 行き先を、近隣の砦であるネアイやキアンではなくレードにしたのは、そこが交通の要所であるからだ。アドガン要塞からミロイズ共和国の首都・ワトブリクへ進攻するには、どの経路を辿っても必ずレードを通過しなければならない。


小競り合いをし悪戯に兵力を失うよりも、レードに全兵力を集中させ、ディグナ帝国軍・一三万に対抗しようと共和国軍司令部も結論付けるに違いない。


「レードの将校にアドガン要塞の陥落は伝わっているだろうから、どういう対策をとるのか……それにこちらの情報も説明せにゃならんな……」


 レードの防備、兵力、食糧、首都からどれほどの援軍が来るのか。そしてアドガン要塞がどうして落ちたのかなど。聞くべきこと、言うべきことが山積みだった。なにより、


「一番の問題は、あの不死兵だな……」


 アレをどうにかしない限り、敗北は必至だ。一体一体の強さよりも、『死なない』という不気味さが味方の指揮を著しく削ぐ。


「不死兵なら、何とかできる」


「本当かっ! ……だが、どうやって?」


 アスライを真正面から見てしまったので、またスタンリーは寄り目になる。それでもアスライの不死兵対抗策を聞き逃しはしなかった。


「それは……上手くいくのか?」


 アスライの策が実現できる可能性は高いように思えなかった。


「おそらく」


「お、おそらく……」


 アスライは、スタンリーの不安を払拭してはくれなかった。


「そのことも含めて、レードで考えよう」


「……だな」


 微塵の不安も感じていないような一八才の少年の横顔に心強いものを覚えつつも、年下に勇気付けられている三〇才の自分を、スタンリーは情けなく思った。

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